2016年12月2日金曜日

佐藤晋也(元高校校長)     ・“赤い果肉のりんご”誕生

佐藤晋也(元青森県立五所川原農林高校校長  ・“赤い果肉のりんご”誕生
りんご王国青森県で今年、果肉まで赤いリンゴ「栄紅」が誕生しました。
佐藤さんはこの赤いリンゴで農村に元気を取り戻そうと、農業イノベーションに取り組んでいます。
佐藤さんは昭和29年青森県五所川原市の農家に生まれました。
近所にあった小さく酸っぱいが果肉が赤いリンゴを甘いりんごにすれば農家はきっと儲かると品種改良を志し、東京農業大学で育種学を学びました。
大学を終えた佐藤さんは故郷に帰り農業高校の教師になりましたが、その当時減反製作の影響で生徒たちは卒業と共に都会へ出て行ってしまいました。
五所川原農林高校の校長になった佐藤さんは若者が地元で輝ける場を造ることが農業高校の使命で有ると、情報通信技術を取り入れるなど新しい農業に取り組みました。
その情熱と行動力が買われ、校長を退任してすぐに、地域を再生する会社を任され、2年目になりました。

赤くてつるつるする感じで、大きさは小さい180g~200gぐらい。
「栄紅」という名前です。
果皮の部分の近くの果肉はずーっと赤くなっていて芯の部分もすこし赤い。
殆ど酸味の無いリンゴなので甘いです。
富士と同じ位の甘さで、小さいので食べやすい、肌にいいペクチンの量も富士より多いです。
ポリフェノール(抗酸化物質)も体には良いです。
1995年、平成7年 親戚に、育種家の前田顯三(けんぞう)という人がいて"御所川原"を作っていて"御所川原"(種子親)と黄りん(花粉親)とを掛けあわせて今のりんご「栄紅」ができてきますが、育成する段階でいろいろありまして20年掛かっています。
会社を立ち上げる事になり、生産から販売流通まで消費者も全部クラブ員になっていただいて、特定の限定された中でしか取引できないと言う形で、価格も生産者と私達が決めて、買っていただいて、全て健康に寄与していくと言う事です。
大量に作ると悪いものがでてきてしまうし、消費者は生で食べたいとか、加工して食べたいといろいろです。
ニーズという事で無く、私達はウオンツ(wants)のビジネスをしたいと思いました。(今までとは全く違う農業)
農業を行っている生産者がたまたま仕事が田舎だったと、たまたま消費者が都会だったと、こちらでもいいのですが、やりたいこと、食べたいことを繋いでいければなあと云うのがこの会社の在り方で、クラブ化です。

アグリビジネス (agribusiness) 農業で商売しようと、農村地帯をもう一回作り直そうと、今まであった農業は全く否定はしない、今までの農業にプラスして何ができるか、地域だけでは無くて世界を見ているのが若い人たちの感覚なんで、グローバル化は本当の話で、彼等は世界にいまどういう風な形で打って出るのか、若い人たちは考えています。
規模は小さいが考え方としては、五所川原から世界に発信することができる農産物を、どういう風な形で作っていけるか、どうプロモーションしていけるか、という風なことをやろうよという事で、再生して行く事で一次産業を中心にした産業副合体を作っていこうと言う事です。
教育は学ぶ場はあっても生かす場を保証してこなかった、私は生かす場をどこに作るかという事で
就農就労型のの六次産業を進めています。
法人化されていなければいけないという事が条件にはなってきます。
農業技術を教えるだけでは駄目だと言う事で、弘前大学の大学院に40歳の時に入りました。
技術は日進月歩で進歩しているので、技術を教えることで精一杯で、お金が無いと技術を取り入れられなくて、農業教育とは何かを勉強しなくてはいけないと思って、教育学を学びたかった。
人々は何で田舎で生活するのかという事を突き止めたかった。
我慢して生活するのか、ここに何があるのかと思った。
未来についてはどう考えればいいのかと思った。

社会教育の研究室で佐藤 三三という先生が専攻が農村社会学の先生で色んなことを教えていただきました。
かつて青森は開拓に力を入れて、そこに行く人がいて、小学校ができてゆく、なんで小学校が出来るのかを聞いたら、社会的人間にするためには学校教育が必要だと言われて、その通りだと思いました。
体得させてゆく事が大事だと言う事を学びました。
生きてゆくために大人はどういう学習をするのか。
最終的には生きるるということは何なのかを突き詰めてゆく、そのための職業とはなにか、農村に生きるとはそういうとかという事が判りました。
資源は学校にいっぱいあり、資源をどういう風な形で世に出してゆくか、子供達がやっていることをどう社会に評価してもらうのかが大事で、手立てとしては、企業と一緒になって売る、そういう風な様々な販売体験をする。
行政から頼まれて、生徒と相談して、酢を作って、地元の企業とスチューベン(ブドウの一種、メロンをしのぐとも言われるほどの甘さが最大の特徴)の酢を作ってもらってその酢を飲みやすい形にして、"酢チューベンドリンク酢"を製作販売しいまでも売っています。
良いものはいいという評価をしてほしいし、子供達を成長させます。

学校に第六次産業推進協議会を作って、肩書きを持って意見を出しあうので責任を持った発言をする。
校長時代に行政の人達、地域の人達、生徒を含めていろいろなことをして、それを下敷きにして現在の「アグリ・コミュニケーションズ津軽」の社長になる。
コミュニティーを作っていかないと、上手く事が進まない。
アグリでつながるという意味もあります。
①アグリビジネスをやってゆく、隙間産業。 
冬場の農業、燃料費が大変、今始めているのが国産のマカ(マカは南米ペルーに植生するアブラナ科の多年生植物。根は薬用ハーブとして使われる)を出来ないかとやっています。
マカは無加温で済むので良いです。(冬場の農業としては使い道がある)
②アグリ担い手
機能性野菜を取り入れた担い手を育成。
これをやっていないと次の展開が無い。
③六次産業の生産から販売まで
究極の目的は一次産業を中心にした産業複合体を作る、生活の母体ができてゆく。

小学校のころは学校から帰ったら、水車を踏んで用水路から田んぼに水をくみ上げる仕事をさせられていた。
親を見ていて今の農業だと、浮かばれないと思っていた。
稼げる農業を考えました。
近所で作っていた赤いリンゴを作っていて、そのリンゴを何とか大きくできなのかと本気で考えました。
大学で品種改良をしようと思った、担任の先生が東京農大にいったらどうかということで行きました。
赤いリンゴを近藤典生(のりお)先生に見ていただいたら、君、研究室に来いと言われました。
一生懸命に育種学を学びました。
県のリンゴ試験場があり、受験したが駄目でしたが、教員の採用試験があり入ることが出来ました。
試験場でも学校でもなにをやるかは関係ないと言われ、生徒もいるし面白いかも知れないと言われました。
一番大事なのは一年中働けるという事で、冬の方がいいものを採れることができると考えていいことドンドンして行って、売り場も確立していって、大量なものは大量で勝負していって、消費者の欲しいものを作っていこう、消費者が求めているものを冬場にやろうと言う事です。
アイディアを出しあってしっかりとしたビジネスを作ろうと言う話を若い農家の人たちと話しています。
「アグリ・コミュニケーションズ津軽」 
アグリは健康産業に変わると思ってので、安心して食べるものを作ろうと彼らと話をしています。