2016年12月4日日曜日

ささきいさお(歌手・俳優)    ・時代を創った声(第10回)

ささきいさお(歌手・俳優)    ・時代を創った声(第10回)
ささきさんは宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999等の主題歌を歌われたことで知られていますが、俳優としても活動されてきました。
歌手、俳優、声優と幅広く活躍されているささきさんに伺いました。

宇宙戦艦ヤマトは1974年TVで放映されました。
人類を救うために宇宙に飛び立つ戦艦ヤマトの活躍を描いたアニメ番組です。
宮川先生の作曲と編曲が凄くうまいんでそれにうまく乗れた時は気持ちいいです。
デビューして去年で55周年。
時の経つのを身に沁みて感じます。
最近の10年なんてあっという間です。
1960年当時、ロカビリー歌手としてデビュー、和製プレスリーと言われた。
エルヴィス・プレスリーのレコードを買って毎日聞いていて、民放ののど自慢の番組があり、出てそれを歌ったら、合格して、審査員から君は東京のプレスリーだと言われて、その気になって、テストを受けて、堀さん(ホリプロ)から来ないかという事になり、直ぐにジャズ喫茶に行くようになった。
日活映画にも出ないかという事にもなり、長門裕之らそうそうたるメンバーの映画にも出ることになり、松竹映画にも出ました。
大島渚監督から会ってくれという話があり、芝居などやったことが無いのに、いきなり主役になり、今から考えると恐ろしいですね。

松竹と年間6本の年間契約をして、専属になって7本撮ることになったが、映画が斜陽になり、又歌手に戻る事になる。
しかし売れなくて、TVドラマをやる様になり、最初二枚目の役だったが、人気が無くなり悪役をやるようになり、これは先がなさそうだなと思って、これは勉強しないといけないと思った。
金子信雄さんから連絡があり、しばらく劇団に入って勉強していました。(22~27歳ぐらいまで)
ミュージカルにも参加して、歌も勉強した方がいいと言う事で1年間レッスンを受けました。
基礎は大切だと思います
エルヴィス・プレスリーの主演映画『燃える平原児の吹き替えの話があり、それから声優として色んな役をやりました。
マンガをやってみないかと言われて、1972年「科学忍者隊ガッチャマン」にでることになりました。
主役(ケン)をやる予定だったが声が低いと言う事で、ジョーをやるようになりました。
最高視聴率が28%とか、凄く良くって2年半やりました。

マンガの主題歌を歌ってみないかと言われて、新造人間キャシャーンを歌う事になりました。
主題歌が評判が良くて、その後4本主題歌の話があってその中に宇宙戦艦ヤマトの曲がありましたが、最初は私ではなくて子門真人が歌う予定だった。
譜面を送られてきたが、2日ぐらいしかないと言う事で、覚えていったが、譜面が違っていて、スタジオで違うと言われて、1時間練習して、歌ったが、作曲家などのみんなの意見が違っていて、何度となくやらされました。
6パターンをやらされてようやくOKになりました。
結局ヒット曲は宮川さんが推奨したものになりました。
銀河鉄道999 (1978年の作品)
子供が小学生2年の頃、離婚して、実家に子供を連れて帰って来て、そのころに松本 零士先生のマンガがあり面白いと思っていた。
子供のこととか、海外旅行に旅立つときの夜景を見たときなど、自分の境遇がダブった作品でしたので、余計にのめり込みました。

思い出深いのは 宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999ですね。
歌は体から出てくるものでないといけないんじゃないかと思います。
滲み出てくる歌がそれが一番いいんじゃないかと思います。
いかに力を抜くか、全部攻めていってはいけない、ようやく最近少しできるようになってきた様な気がする。
最後はハートをつたえる様な歌、そうやってエルヴィスの歌を聞くとあの人は天才だと思います。
テクニック、ハートは後から覚えるものだと思う、先ずは体を動けるように、リズム感、発声、基礎をまずやる必要がある。
色んな事をやっておくほうが、色んな時に役立つと思う。
一番いけないのは焦ることだと思う、それよりじっくり構えて勉強していた方がいいと思う。
身体が歳を取ってゆく事は防ぎようがないが、精神的に若くいる方法はいくらでもあると思うので、これが人生を楽しく送れる秘訣ではないかと思います。
細かなことでも喜びを見つけること、楽しみを見つける事がコツではないかと思っています。