2014年5月23日金曜日

関 勉(コメットハンター)        ・ほうき星に夢を託して65年(2)

関 勉(コメットハンター)      ほうき星に夢を託して65年(2)
子供のころに、何回となく星空との出会いがありました。
父のいなか、高知市の米田 真っ暗なところで、提灯を持って歩いていた。
赤おに山の上に凄い星空がった。 三ツ星があるよと言われた。(オリオン座とは言わなかった)
星空の美しさを物凄く感じた。
小学校に上がったばっかりの頃、土讃線が 全通した記念博覧会が昭和12年に有ったが、両親に連れられて行ったが、幽霊館があり、逃げだした先にドームがあった。(今から思うと天文台)
頭に三角の白いものを付け、幽霊の格好をしたおじさんが案内していて、おそるおそる中に入ったら、望遠鏡があり、太陽の方に向けて白い紙を当てて、投影法で太陽の黒点を見ることができた。
その幽霊のおじさんは 五藤斉三という、高知県出身の天文官だった。(天文学者と言っていいくらいの人)

五藤さんは光学メーカーに務めたが、その後独立して望遠鏡を作り始めた。
有名な望遠鏡のメーカーになったが、現在は後を継がれた方がプラネタリュームを作っている。
日本では2社しかない。 プラネタリュームを海外にも輸出している。
40年経って、突然、五藤さんから電話がかかってくる。
会って話をしたいからホテルに来てくれますかと言う事で、話を面々と自分の業績を話していたら最後に、あなたに個人的に日本最大級の望遠鏡をプレゼントしたいと言いだした。
彗星を発見していることから、私がある程度技術を持っていて、きっと高知県の中で発見するに違いない、高知県の科学の振興のために、使ってほしいと、第二、第三の池谷さんの様な人が生まれてきたら素晴らしいとの考えだった。
ここの芸西天文学習館ができたのは、発端がそれなんです。

今は反射鏡を使うが、(ハワイに在るスバル望遠鏡もそうですが、直径が8m)
五藤さんが送ってくれたのは直径60cmの反射望遠鏡 高さは3m 倍率は600倍まで使える。
新しい天体が発見できるのではないかという期待があった。(未発見の小惑星)
小惑星は、火星と木星の間が開いており、その間に惑星があったのではないかと、何らかの理由で其惑星が崩壊してばらばらになって、公転しているのではないかと言われている。
明るいものはほとんど発見されつくした。 発見されると番号、其星に名前が付けられる。
お礼として、五藤さんの名前をつけて、五藤さんの業績を宇宙の中で、検証するのは素晴らしいと、それをやった。  「五藤」と言う星が生まれた。(2つ目の発見の時)
最初の発見は、高知県の「高知」を付けた。
ハレー彗星がやって来た時には、妻と一緒に見たいと言う事だったが、病気になり、ハレー彗星の来る前年に亡くなられた。
奥さんが来てくれて、1週間滞在して、ハレー彗星の後姿を見つめた。 
拝んでいた、「あなた ただいまハレー彗星を観測しました。 どうかご安心ください」

岡本啓先生 自然の好きな人、夏休みに1週間山の中にさまよって、滞在して新しい昆虫を発見する事に努力されたが、その話を理科の時間に話をしてくれて、物凄く引かれた、発見と言う事に対して。
私は体が弱くて、全く勉強が面白くなかったが、小学校3年の時に岡本先生が担任と成り、先生の印象が強かった。
日中戦争があり、先生は招集されて、帰ってこなかった。
先生は、又帰ってくる、又皆さんと勉強しましょうと言って、校門から去ってゆく姿が昨日の様に思い出される。
私たちは先生を追いかけた、あるものは膝まですがって、校庭で泣いたです。
先生に星が好きなことを一回だけ言ったことがあるが、先生は「関は星が好きだったね、先生は一冊天文の本を挙げよう、之を君に上げよう」、と 「天文学新話」 (松隈健彦著) と言う本だった。
小惑星 「岡本」と言う名前を付けた。
二つが回りあっている珍しい小惑星 小さい方は岡本先生を慕う私の姿ではないかと勝手に思っている。  「岡本」(6244番)  「五藤」が 2621  「竜馬」が2830 今は何十万です。

小惑星センターがアメリカのスミソニアンにあるがそこに申請する。
会議があり、OKと成ると連絡がある。
高知、四国に関する名前が(「漱石」、「黒岩 涙香」「とめ子」(五藤さんの奥さん)「興子」(妻)・・・
音楽に関する名前 もある。 「アンドレス・セゴビア」 スペインが産んだ世界的なギターの奏者。
1959年にセゴビアは日本に来るが、それを聞いて感激した。 (20歳でギターを始めた。) 
ギターは音質、たえなる音、が空から微かにやってくる星の光に似ている様に思う。
クラシックギターを愛好する様になった。
土地の名前も付けている。 郷土の名前、大分ついている。
宇宙を四国の地名で一杯にしたい。
小惑星は223個見つけたが、2/3以上は付いている。

観測している時にも暇な時もあり、常にギターがそばにあった。
弾くギターの音が宇宙まで沁み込んでいく様な気がして、楽しかった。
仕事はギター教室をやっていたりした。 
講演会、出版物などでカバーしたが、他は妻に援助してもらった。  妻はギターの生徒だった。 
ギターを弾く姿に惹かれるようになり、結婚しました。
二人で二重奏をやったっこともあります。
「バッハの曲」は何でも好きです。 一生かけてもマスターしたい曲「シャコンヌ ニ短調」
芸西天文学習館  5回/月に公開しています。  講師は10名  80名入れる。
天文学者、宇宙飛行士になりたいと言う人たちが多い。
好きでやってくる人の熱心さが凄い。 
息子のあんな熱心な目を見たことがないと父兄が言っていた。

感謝とお返しで、何かしないといけないと思っている。 天文を教えるという事に力を入れたい。
昭和5年生まれ 83歳になりました。
今もずーと観測をしています。  一生やらないといけないと思っている。
水泳もやっています。 山を歩いたり、ジムにも週に1回通っている。
健康でないとやろうという意欲が出ない、意欲が起こらなくなったらお終いなので常に前向きにやっている、健康が第一ですね。
発見から遠のいているので、発見したい、彗星、小惑星、新星でもいい。
池谷さんが彗星を7つ発見しているので、私がもう一つ発見して並んで、いいライバルになりたいと思っている。