2014年5月6日火曜日

ホキ 徳田 (ミュージシャン)     ・自由人生に乾杯!(2)

ホキ 徳田 (ミュージシャン)    自由人生に乾杯!(2)
3歳から7歳まで絶対音感教育を受けた。
上野で生まれ、物ごころついたときには元八王子村に疎開していた。
父が国際連盟の職員、外交官 母が家政科(お嫁さん学校)に行っていた人で、当時疎開先で目立っていたので私はいじめに遭っていた。
物ごころついたときにはピアノを弾いていた。
戦争後は聖歌隊に入った。
母の先生「チャペルセンタークワイアー 日本のアメリカ人のセビリアン 駐屯地の教会にクリスマスキャロル、マタイ 歌うとか   第9等を10代で歌っていた。
桜美林学園 に高校から行く。
元八王子村が戦争で焼けて、近所まで焼けて、それを目の当たりに見て、家が焼けるのを見ていた。
一人でいるのが好きで、明るい性格なのに、その辺がちょっと変わっていると思う。

カナダに留学するのはバラックからお城に行く様な、天と地の違いだった。
母方のおじいさんが那須与一の30何代目と言う事で 其おじいさんも留学している。
オーディションをうけて、帝国ホテルでピアノを弾いたのを覚えている。
カナダから帰国する寸前に母が亡くなってすごいショックだった。
父はNHKの論説委員をやっていた (徳田六郎)
父がお前は何をやるんだと言われて、ピアノは弾けるし歌も歌えるので、直ぐにNHKの番組に出て、出だしたら、いろんなところから声がかかった。
ホキ徳田 になったのが カナダで付けられた。 
本名がひろこで、巧く言えないようでなまって「ホキ」になった。

アメリカに行きたくて、コーラスで、2年間ハワイ、ロス等に行ってそこで一杯歌を覚えた。
映画女優としても活躍する。 
篠田正浩さん(監督)とマージャンしている時に君は映画をやったことはあるのと聞かれて、映画はやったっことがないと言ったら、助監督の前田陽一さんが温めている作品があり、陽の役、陰の役が必要で、陽の役にぴったりなので明日松竹に言って見たらと言われた。
考える暇もなく撮影に入った。
「日本パラダイス」と言う映画で元気な役だった。   全然緊張がなかった。
4本映画を撮ってからアメリカにいってしまった。
器用貧乏と言うか、なんでも何故か何でも出来るが、アメリカに行った。
(女優業に徹すれば、大スターになっていたかもしれないが)

ヘンリー・ミラーに逢うべきしてあったような感じがする。
アメリカ人のあけっぴろげな自由さ、その頃日本にはなかった。
映画を取ったのは昭和39年で、昭和40年にアメリカに渡った。
1989年に帰国するまでアメリカで過ごす事になる。
人間があふれていて、東京で生活できるかどうかを、先ず調べに来た。
日本に帰って来た時に、誤解されたと思ったが、文豪と富豪 お金持ちと思われた。
結構いろんな意味で騙されたが、それは私が脇が甘いと言うか、人を信じやすいと言うか日本人には悪い人がいないと思っていた。
アメリカで、アパートメントを借りに行ったりする、日本人だと喜ばれた。
日本人は犯罪に何も関係ないからと言われた。 10年で3人とかで、無いと同じだと言われた。
しかし、日本もこれからはしっかり守らないといけないと思う。

父も母もいなくなって、皆に逢いたいと思って、一応荷物は送らないで、帰ってきて、70年代買った家を手放したのが2003年 2000年になってから日本に完全に居ることになる。
アメリカは合理的で、一人で住むには、アメリカは寂し過ぎる。
これからは、子供の番組とか、おばあさんたちの番組とかに関わりたいと思う。
若い人たちと一緒というのは息切れすると思う。
人ごみ、原宿に買い物に行くには覚悟がいる。
私の歌はその日の感じで、キーも変えるし、歌い方も変えるし、二度同じフレージングをしないので、頭の運動にはいいと思う。
束縛しない代わりに、束縛されることは嫌ですね。  束縛されたことが無い。
ショーを遊びと思って楽しくやる。
ヘンリー・ミラーの絵は非常に自由で伸びやか、歌いながら書いている。