佐藤とく子(津軽カイト支部代表) 凧揚げて、世界の子供に安らぎを(2)
桜が終わって5月半ばから、リンゴの花が咲く。
南極の空にも舞う。 宗谷の船が偶然青森にも来て、オーロラをTVで流していて、素晴らしい南極の空に凧を揚げてみたいと、思った。
3点(紐が3か所)で引く津軽凧は揚げるのが難しいと言われるが、見事に揚げた。
南極の基地では、日本の年中行事を全て取り入れているそうです。
餅つきの場所に、きちんと並べて、写真を送ってもらった。
食堂は広くて、会議など、くつろぎの場でもあり、そこに触れられるように飾ってあります。
南極は国境のないところ 「ノーボーダー イン ザ スカイ」
日本との絆の取り方を何を媒介にして、自分たちの仕事を全うするかと言う時に、そこの子供たちが楽しく凧上げをしてるのが、自衛隊の方(後方支援ででかけた)がご覧になって、お国のお土産として、津軽凧をと言う事に決められたそうです。
戻られた隊長さんが、津軽凧で私たちの命がまもられているんですよ、と言う言葉で表現してくださった。(頭の下がる思いでした)
イラク、ハイチ 日本の文化のお土産を持っていって、交流のきっかけになる。
横の繋がりにも一役買う事ができた。
和紙に手描きなので、現地の人は結構感銘してくれると思う。
子供達と隊員とのつながりも深まっていた。
日本の遊び 日本風なものを色々、凧にそえて送ったので、それを喜んで受けてくれて、こちらで届けた絵具と、和紙を使って、こちらにハイチの子供たちが絵を描いて届けてくれた。
ハイチとの同時凧あげを計画が、時差の関係で危ない時間帯があるので、残念ながら取りやめになってしまった。
モンゴル 全体が一日子供達と遊びましょうとの事で、津軽凧が呼ばれました。
一週間いたので、学校(幼稚園から大学)で製作指導を行った。
モンゴルと日本の国旗を半分ずつ作って、国旗凧を送りました。
子供たちの反響 もの凄い行列で素晴らしいパレードだった。
アメリカのテキサス工科大学大学院 カイトマスター、美術関係の方(色彩学、舞台装置等の専門家)、子供達の遊戯関係(幼稚園指導者とか)で200名が集まる。
ナイロンなので、のりは使えず、ミシンで縫います。
日本は平面だが、向こうは立体です。 9年間教えに行った。
材料は全部こちらから用意した。
伝統凧に対する見方が随分違うと思う。 日本の凧は形状が違うので非常に関心は強い。
今も藤崎町の小学校で指導している。
寺子屋からスタートして小学校になった学校があるが、20年間続けて、授業の中に取り入れて、国語の本にもなった事があります。
先生も子供と一緒に指導を受ける。
先生が転勤して、新しいところで、凧クラブを作ったと言う、連絡を頂いたり、色々発展がある。
親子凧作りに変えたことがあるが、親の熱が入って子供からとりあげて、自分が必死でやり始める、子供はぷんぷんになって怒る、そんな感じの時もありました。
風の強さによって、しっぽの重さが変わってくる。(縄でなったものを使用する)
ブラジルへの移民は青森では今年100年 九州が100年と言う事で、其時に同行した。
畳3枚ちょっとの大きなものを、現地で組み立てをして、のりが乾かないうちに揚げてほしいとの要望があり、何百人が紐を引っ張り、4回目で何とか揚がりました。(大歓声が上がった)
藤崎町で国際交流凧上げ大会がある。
今年は19回 来年は記念の20回なので、何か考えなきゃと思っています。
凧を媒介にして、文化交流がある。 43カ国参加
ホームステーしてもらって、日本の生活習慣を体験してもらう。
一人一役参加 孫の手を引きながらおばあちゃんが大会を見るだけでも、立派な一役、豚汁、餅つきに婦人会が参加したり、町ぐるみで参加する。
夜は文化講座 何カ国かの話を聞いて、交流を深める。
今年、国連NGO世界平和女性連合の 青森第二連合会の議長を担当。
世界は、世界女性連合も、一つの地球と言う、一つの家庭の中に皆がいるという、平和と言う女性の活躍の場なので、何かこれまでの活動と、生かすことができる目的を持った団体なので、受けることになりました。