壇太郎・晴子(エッセイスト) 楽しい料理を受け継いだ幸福(1)
能古島 博多湾の真ん中にあるのこの島は人口800人 周囲12kmの小さな島、万葉集にも歌われている歴史の島、現在は四季折々の花の咲く島として人気のある島。
今から5年前、住み慣れた東京を離れ、父である作家の壇一雄さんが晩年を過ごされた、能古島に家を建て、畑や果樹園を作り暮らし始めました。
都会生活と比べると、不便だけれど豊かな暮らしが待っていました。
能古島に来た時には、自然がむき出しで、吃驚しました。
朝焼けは今でも毎日感動しています。
郵便局、なんでも屋さんが一軒 酒屋さんが3軒。 だけです。
インターネットでは注文ができるので、その点は便利。
父がここに家を買ったのが35年ぐらい前、2年弱住んで他界する。
夏休みをちょっと過ごすぐらいにしていた。
たまたま夏休みに来て、海に行ったりすると、アサリが取れたり、東京に長い夏いるのが嫌で、夏を過ごして帰る、と言うことをしていた。
63歳の時に能古島に引っ越すことにする。
店がないので、能古島に畑をやろうと言う事で、事前に体験農園で農作業を行う。
仕事柄、外国に120カ国いったが、やはり老後を暮らすには日本が最高だと思っていた。
自分の食卓の責任は自分で持つ、自分のことは自分でやる、しかし大変ではある。
体験農園では畑は出来ているし、殿様農業だった。
体験農業とここの土は全然違っていた。
ゼロからやろうとすると大変だった。
能古島はミネラルが豊富で、できたものは硬いが物凄く美味しい。
便利さを追求するばっかりに、野菜にしても、果物にしても、旬と言うものをどっかないがしろにしている。
本当に時満ちて、育ったものを食べる方がずーと嬉しい。 ない時期は無くていい。
高々100年前の暮らしを考えると、冷蔵庫、冷凍庫など、何にもなかった。
今は季節が全く逆転したものを食べることが、当たり前になってきている。
今は70歳なので、自力で色々やることが大変になる。
身体がぽろぽろ壊れてきて、修繕もしないといけない。
70歳になると、それまでとは違う。
冷蔵庫、冷凍庫があるが、冷凍庫はマイナス60℃仕様のもの、マグロはこの温度で冷凍する。
新鮮な魚は簡単に入手できると思っていたが、それは誤算だった。
漁師は市場に持っていってしなう。
釣りをやって、アジはわたを出して、冷凍してしまう。
こちらでは生きている魚、生きている野菜を食べている。
東京では海老は食べられなかったが、こちらに来て美味しくて海老を食べられるようになった。
東京は全てサービスをお金で買うところなんだなと思った、サービスは本来自分で出来るかもしれないことを、人にやっていただく、それの代償のお金なんですよね。
能古島では80歳過ぎの人達が、本当に元気で、仕事をしている。