関 勉(コメットハンター) ほうき星に夢を託して65年(1)
1965年に出現して、世界中の目を驚かせた池谷・関彗星の発見者の一人、関勉さんにお話を伺います。
ほうきほしとも呼ばれる彗星は何年かごとに必ず見られるものや、突然夜空にあらわれて消えてゆくものなど、様々なものがあります。
いつ現れるかわからないほうき星を一晩中探し求めるのが、コメットハンター 彗星の狩人です。
関さんはこれまでに6個の彗星を発見しています。
65年も彗星を追い求めてきた関さんに、発見の喜び、発見までの苦労などを伺います。
彗星 まるできつね火というか、人玉というか、非常にボ-っとした青い光。
中心に芯があって、周りはぼやけている、尻尾を引いている場合がある。
美しい姿に惚れてきた。
望遠鏡の視野は低倍率ほど視野が広い、そうでないと能率が上がらない。
彗星に関しては、極端に言えば、低いほど見やすい。
倍率は15倍で発見しました。 すべて手作りでした。 月が10個入るぐらいの視野。
砂浜を毎日散歩する人は、足元の模様に気が付いている。
貝殻にしても今日、打ち上げられたものか、毎日散歩していないと判らない。
彗星の捜索は星空の毎日の散歩なんです。
空の星をよく覚えているものですね。 漫然と覚えている。
異常のものがあれば、それでハッとする。 望遠鏡のピントは完全に合っていないといけない。
星がシャープで有ればシャープであるほど、心が落ち着いてくる。
目で見るよりも、心で見る、心に引っかかる、そうすると、おかしいなあと思って見ると、ボーとした小さな人玉見たいな物がいた、とその様な発見です。
彗星は、或る日宇宙のかなたから突然あらわれるので、予測がつかないので、常に休みなしにパトロールしていないといけない。
一晩中やるが見つからない。 私は10何年かかりました。
晴れた日は毎晩やった、根気との戦いです。
日没の間もなく、西の空から天地をくまなく探す、このパターンと
彗星は太陽の反射で輝いているので、太陽から遠ければ遠いいほど見えなくなる。
太陽に近い、低空を探す。
夕方でいなかったら、夜なかから明け方にかけて、東の方を探す。
満月の頃はまず見えない。
昼間も仕事はやっている。
去年、大変な予報が出る。 アイソン彗星(ロシアで発見)
発見されて1週間経ったら、いつどういう位置に来るのかはっきり分かる。
今の彗星の研究が凄い。
アイソン彗星は消えるのは当然だと思っていた。 摂氏100万度 コロナの中を何時間にもわたって氷たる彗星が通過する。 太陽の高熱にあぶられた。
池谷関彗星は消えなかった。
彗星の本体は汚れた雪だるま とよく言われるが、アメリカのホイップルという学者がそういっている。
氷たる彗星が長い年月宇宙を散歩していたら、どうしても宇宙の中のごみを拾ってゆく。
1965年 池谷さんは私より日本の東に住んでいる。 その日台風がやってきていた。
高知市は荒れていた。
普通は観測しないが、晴れるかもしれないと万一を期待して待っていた。
午前4時、急に静かになった。 晴れたかもしれないと思って、雨戸を開けたら、台風一過、星は所狭しとあり、誰かが何かを発見したと思った。(負けたと思った)
明け方なので、東に望遠鏡をセットした。 奇跡の発見だった。
一回横に探して行って、そのままバックして、地平線すれすれのところで、日周運動で彗星が視野の真ん中に入ってきたところで、いきあたる。
私が発見した望遠鏡は、おそらく世界中で一番、彗星を発見した望遠鏡では、小さい望遠鏡、
それでよく見えたと思う、助けてくれたものは、台風一過の物凄く綺麗な星空だった。
いろんな条件が重なって、彗星を発見したが、普通の彗星と思ったが、意外な彗星であることが1週間たって判った。
軌道を計算すると、1カ月後、太陽の中に突っ込む。 太陽に突っ込むのが10月21日正午。
何故池谷関彗星は残ったのかと、聞かれるが、どうか無事であってほしいと祈りが通じたものであろうと答えたが。
太陽ー地球の平均距離=1億5000万km それを1とすると 0.007という数値 太陽の表面から約35万km完全なコロナの中、 消えてしまってもおかしくない距離。
物凄い高熱を受けたが、火の中をくぐっていった。
段々太陽から離れていって、明け方の東の空に見えるようになり、彗星クラブで山の上に登って、はらはらしながら、そこで東の日の出を待った。
太陽の向かって右方の上に、キラーっと金星の様な光、誰かが見えたと叫んだ。
双眼鏡を当てると、物凄い強い光、想像できない光、金星の何倍か或いは何十倍の強さだと思った。
それが光って、よく見るとその周囲がぽーっと人玉の様にぼやけていて、尾が太陽から正反対に
ほうに伸びている。
その何分もたたないうちに太陽が昇ってもう見れないと思ったが、なお青空をバックに彗星が30分見えた。
池谷関彗星は健在であったと、さよなら 万歳と 叫んだ。 あれほどの感激はなかった。
バックが明るいので尾は薄く小さかったが。
11月になると、尾の長さが40度(天空の角度)あった。(壮大な距離、眺め)
尾がちょっと曲がっていた。 彗星の運動に対して追いつかずに遅れていた。
日本の彗星捜索会の大御所、本田 實先生は白昼、太陽のそばで写真を撮られた。
満月の数十倍する明るさと表現された、如何に太陽のそばで明るかったか、と言う事。
池谷関彗星は半世紀たつので、今の若い人は見ていないが、まだやってくる可能性はある。
太陽をかすめる彗星のグループの一つ それがたくさんある。
たまに大きいものがあれば、人々に見られることが起こり得る。
池谷さんとはその後、実に壮烈な捜索競争をやっていった。
結局5つ目めまで競争して行った。
池谷さんは病気をされて観測から離れたが、35年経って池谷彗星には吃驚した。
望遠鏡は左右上下にスムースに動けばいい。 倍率は高くしない、広い視野を取る。
後は熱心に探すだけ。
本田さんは戦後復員されて、その晩から観測を開始して、発見された。(広島県で活躍)
広島から1950年に岡山の倉敷天文台に移られて、長い間活躍された。
昭和23年ごろから、本田さんは次々に発見された。
高校生の頃凄く心を打ち、手紙を書いて、本田先生に投函した。
1週間経って1通の手紙が来た。
それで、こんな大先生に励まされた、絶対にそれを無駄いしてはいけないと、それから12年の苦闘が始まった。
1通の返書、これが実に重かった。
今も手紙を学生から質問を頂くが、参考書を送ってやらなければ判らないような質問が、葉書で来るが、必ず返事を書く、その1通の返書がどんなに人を成長させるかもしれない、それは本田さんの無言の教えです。 本田さんには感謝しています。
あちこち講演で走りまわった。
夏の空はいい。 天の川の美しさ、肉眼で見る実物の美しさ、ロマンを感じる。
天の川と言う宇宙の中に我々はいるんだと、星の一つ一つは実際には非常に遠い、何千光年、何万光年、すなわち何万年前の光を見ている。
そういう事を考えながら宇宙を見ると不思議な気持ちになる、そうすると宇宙を研究してみたいと言う心が浮かんでくるのではないか。
真っ暗い所へ行くと(スバル望遠鏡のあるところ) 星空に立体感がある。