東ちづる(俳優 一般社団法人 Get in touch 代表)・まぜこぜの未来 〜“ちがい”を楽しむ社会をめざして
まぜこぜの社会という理念のもと、障害の有無、国籍、年齢、性別と言った違いを越えて、誰もが共に生きられる社会の実現を目指し、様々な活動を続けています。 多様な活動の原動力、活動を通じて見えて来た社会の課題、まぜこぜの社会に込めた思いについて伺いました。
一般社団法人 Get in touch 代表という側面があります。 多様性社会を目指して、アート、音楽、映像、舞台などのエンターテーメントを通じて、私たちは多種多様な人たちと暮らしているんですよという事を、見える化、可視化、体現化する活動をしています。 舞台を作ったり、映像制作をしたり、アート展を開いたり、障害の有るアーティストの作品と企業さんを結び付けて商品開発をしたり、音楽を作っていろいろなアーティストに歌ってもらったり、沢山のコンテンツを展開しています。 報道番組からこの世界に入りました。 政治と報道は困った人のためにあるんだよと或る人から教えてもらいました。 白血病などの患者さんのための治療法である骨髄移植のための骨髄バンクを知ってもらうための活動からスタートしました。(33年前)
白血病の18歳の少年のテレビ番組を見て、いろいろ考えてしまって自分は芸能界にいる意味があるのかなあとか考えました。 最初はポスターを作りました。 活動を続ける中で患者さんとそのご家族、ご遺族の方とつながりが出来て、全国各地でいろいろなことをする様になりました。 1999年からドイツ国際平和村と携わるようになりました。 ライフワークにしようと思って今も続いています。 戦争で傷ついた子供たちを救う団体と一緒に活動しています。 始めた当時は芸能人としてデメリットしかありませんでした。
2011年から一般社団法人 Get in touchを立ち上げました。 東日本大震災があり被災地の避難所が日本の縮図でした。 普段から生きづらさを感じている人たちが不安に陥りました。 いざと言う時に支え合う社会作りだと思っていたが、こういう時に置いてきぼりになってしまう人がいるという事は寂しいなあと思いました。 社会的弱者が避難所に入ることを遠慮したり、躊躇したり、十分な救援物資が入手できなかったりしたんです。 企業、福祉団体、政治家等々とつながった方がいいんだなと思いました。 東日本以外の障害の有る人たちが自分たちも役に立ちたいと、彼らが描いた絵を東京で売って福祉施設にお金を送るとか、といったやり方を始めました。(今でも続いている。)
企業とかほかの団体ともつなげてゆきました。 Get in touchは訳としては「報告する・」ですが、感覚的には「繋がりましょう・」と言う感じです。 今は企業さんとかとも繋がり易い時代になりました。 巻き込んでいきたい、自分事としてほしいということです。 多様性などと言うと遠いい感じがするので、「まぜこぜの社会」という表現にしています。 浅く広く緩く依存しあう方が自立できるので、皆で頼り合うという事です。 それをエンターテーメントで拡げて行っています。 笑いが重要です。 最後には見ている人がこれでいいのかなあともやもやして貰う。
夫も難病になってしまいましたが、最初の2年間は病名が判りませんでした。 身体が思うように動かなくなってしまいました。 1年ちょっと寝たきりになりました。 病名(ジストニア)がわかりましたが、治療法はないと言われて、対処法で回復していきましょうと言われました。 今は車椅子で移動できます。 車の運転も出来ます。 仕事にも行けるようにもなりました。 人生順風満帆などないという事は活動のなかからは知っていました。 或る程度の覚悟があってよかったと思います。 人間は凄い回復力があるということは信じています。 冷静な覚悟と冷静な希望ですね。 私も出血性胃潰瘍になっています。 普段の生活の不摂生と直ぐに病院に行かなかったことです。(コロナ禍) 大きな仕事が入っていて、入院中に電話、オンライン会議して、家事もしなくていいので集中して仕事が出来ました。(東京オリンピックパラリンピック文化プログラム)
東京オリンピックパラリンピック文化プログラムについて実際にやってみるとすごく大変でした。 ありとあらゆるマイノリティーと呼ばれる特性のあるプロのパフォーマー、アーティストの人たちです。 何か月間も会議をして、メチャクチャ勉強になりました。 説得したり譲歩もしたりしました。 彼らの活躍するチャンスが増えました。 「妖怪まぜこぜ大百科」と言う本を出しました。 妖怪を使って、いろいろな社会課題を述べさせています。 映画 「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり」と言う映画に私も出演しています。 人に役立つ社会を作ろうという風に思っています。