山下佐知子(エグゼクティブアドバイザー) ・〔スポーツ明日への伝言〕 志あるところに道ありき 前編
今年東京で34年振りに陸上の世界選手権が開かれますが、前回東京で開かれた1991年の大会では男子マラソンで谷口浩美さんが金メダル、女子マラソンで山下佐知子さんが銀メダルを獲得するなど日本マラソン勢の大活躍がありました。 山下さんの銀メダルは日本の女子マラソンにおける最初のオリンピック世界選手権でのメダルであり、陸上競技の女子としては1928年アムステルダムオリンピック800mでの人見絹江さんの銀メダル以来63年振りのオリンピック世界選手権でのメダルでした。 その後山下さんは第一生命グループ女子陸上競技部監督を28年に渡って務められ多くのトップランナーを育ててこられました。
昨年監督を退任してコーチをしています。 私はコーチングが大好きでした。 生まれたのは大阪で両親の出身が鳥取です。 大阪の小学校に入学しました。 校内マラソンでは小学校2年生で学年で一番でした。 球技は駄目でした。 本格的に始めたのは中学に入って陸上部に入ってからです。 大学も鳥取大学に進みます。 鳥取大学教育学部を卒業。 4年生の1987年の時に、第5回全国都道府県の女子駅伝で一区区間賞(20分44秒)。 一旦教育職に就くが、陸上競技への思いを断ちがたく教員を退職後、1987年に京セラに入る。 父は中学2年の時に43歳で亡くなりました。 母は教員になることに誇りに思っていたので陸上の道に進む事にたいしては反対で、口をきいてもらえなかった。
京セラの浜田監督は理論立てられているし、練習量も多くはなくすんなり入れました。 当時、佐々木七恵さん、増田明美さんが有名でした。 テレビでのマラソンを見て触発されました。 初マラソンは1989年3月の名古屋国際女子マラソンでした。 当時の初マラソン日本女子最高タイ記録をマーク。(2時間34分59秒) 北海道マラソンでは日本人トップ2位でした。 1991年3月の名古屋国際女子マラソンでは、自身念願のマラソン初優勝を果たす。 同年8月の世界陸上選手権女子マラソンでは、日本人トップの2位入賞を果たして銀メダルを獲得、日本女子マラソンのメダリストの嚆矢となった。 ゴールした時にはオリンピックにも出られるので嬉しかったです。(2時間29分57秒)
「志あるところに道ありき」は本を読んでいてこの言葉はいいなと思いました。(大学時代)