岡山容子(訪問診療医) ・ゆれる心にとことんつきあって
岡山さんは4人姉妹の2番目として生まれ、子供の頃から人の死に関心を抱き、医師の道を選びます。 17年間麻酔科で経験を積んだ後、終末期医療の最前線、在宅医療の現場へと進みます。 10年前に自身のクリニックを開業、その翌年母親のがんが見つかります。 現在は訪問診療医として、患者とその家族に向き合う岡山さん、人生の最後を迎えるにあたって直面する人々の心の揺れについて伺います。
子供の頃はよく変わった子と言われていました。 身体も小さく運動も苦手で、勉強だけが得意でもあり好きでもありました。 本を読むのが楽しかったです。 中学の時の塾が「学力3分人間7分とういうスローガンを掲げていた塾がありました。 学力よりも物事を実践する子供を育てたいと言う様な先生の考えでした。 そこでの実践力がフットワーク軽く飛び出してゆける原動力を培ってきたのかなあと思います。
予備校に通っている処で、医学部を目指す学生を同じクラスになったのが、医学部に進学するきっかけとなります。 当時注目され始めた終末期医療と出会い、心を惹かれます。 私は小さいころから死と言うものをよく考える子供でした。 最初は幼稚園の頃だったと思います。 当時は見捨てられるような、あまり手厚いとは言えないようなケアを受けているように学生の時に思いました。 治らないと判っても大切にされる医療をしたいなあと思いました。 麻酔科では、麻酔をする時には生命の危険が伴いますから、生命の危険を解決するような仕事を沢山します。 救急医療にもつながるし、在宅医療をする中で急な変化にも対応できるような基礎力になるのではないかと思って麻酔科を選びました。
集中治療室の橋本先生が、困っている人がいたらすぐ動くという事をする先生でした。 これは橋本先生から強く学んだことです。 17年間麻酔科を務めて、2013年に在宅医療部のある病院に勤務します。 医師で有っても女性であるが故の軽視される面と、逆に話をしてくれる面とがありました。 そういったことが診療スタイルを形づける原点となって行きました。 拒否されたりする場合はどうやって行けばいいんだろうというう事を常に考えながら仕事をせざるを得ない状況でした。 「弱り」が出てくると、自分が自分でなくなるという事があり、心が揺れます。 私は死ぬのかなあとか、死にたくない、早く死にたいとかいう方もいます。 心の揺れに付き合っていくようにしています。
在宅医療に入って2年後にクリニックを開業します。 その人の生きている日常生活がベースになります。 病院は安全管理、健康管理とか管理が必要ですが、在宅での管理は難しい。 支援と言う意味が大きくなります。 押し付けない医療を大切に思っています。 私自身も納得医療を受けたいと思っています。 開業翌年母親に末期がんが判明しました。 抗がん剤治療をしていましたが、自分の判断で治療を中断してしまいます。 言って聞く人だったら一生懸命言うんですが。 高齢者向けの施設に入って、私が訪問して診療ができる様な形です。 母の意識がなくなり、呼吸も亡くなる前の呼吸になり、顔色も真っ青になり、もうなくなるなと思っていました。 父が大きな声で「よし子(?)死ぬなよ」といって、私も「お母さん 生きよう」と言った直ぐ後、呼吸が落ち着いてきました。 意識も戻って叔父とは凄く仲が悪かったが、抱き合って再会を喜んでいました。
その後数日間は穏やかな日を過ごすが、残された時間が後僅かと言う時間がやって来ます。 父は最高のはなむけの言葉で見送って、私自身感動しました。 最新の医療で亡くなったこと(患者の気持ちを一番に考えて、辛いことを最小にしながら、自分の思いに沿った医療をうけれた。)を兄弟たちから言われました。
クリニックには現在120名程度います。 終末期の人も多いが、そうでない方もいます。 患者さんと家族の間では抗癌剤の治療などで考え方が違う事が良くあります。 ①積極的治療を続ける、②積極的治療を辞める。 第3の選択肢として、③決められない。 ③を選ぶと結果はなし崩し的になります。 患者さんと共に私も揺れてゆく。 患者さんのご遺族に持ってゆく手土産としてお経を書いています。 クリスチャン、違う宗教の場合はお花を持っていきます。
患者本人、家族、訪問診療医など医療従事者に対して、「心を消耗しないための講座」を定期的に開催しています。 講座の内容はこれからどんなことが起こるのか、それに対する心持、など看取りの安心勉強会をやっています。 拒否に対するコミュニケーション講座も行っています。 子供の頃から興味のあった仏教を本格的に学ぼうと僧侶の資格を取得しました。 自分の人生の中の大きなよりどころになっています。 信仰心の中の神様は絶対変わることなく私のことを必ず守って下さるので、身体の中から温めれ呉れるような力強さがあります。
人生の最後を迎える人の心、普段通り、いつも通り、普通と言うのが私の答えになります。 本人は家の中で生活しているなかの生、生活のなかでそのときがやってくるという中で、 本人は変わることなく人生の最終段階だという事が判っている方でも、普段通りなんだなと言う事を感じています。 「一番大きなケアは、ただそこにいるという事ですよ。」と言って、「いつも通り。」と言ってお伝えするのが私の役目かなと思っています。