2021年11月23日火曜日

家正則(国立天文台名誉教授)      ・宇宙の果てをめざして

 家正則(国立天文台名誉教授)      ・宇宙の果てをめざして

日本が誇るすばる望遠鏡は宇宙に興味がない人もその名前だけは聞いたことがあると思います。   より遠くの銀河や星を見たい、もっと多くを知りたいとすばる望遠鏡の建設に携わりました。   家さんが中心となって開発した高度な技術を駆使した観測装置が次々と成果を出しています。   家さんはすばる望遠鏡の完成後は、TMTという次世代の大形望遠鏡の建設計画に参加し、去年国立天文台を退職するまで取り組んできました。  

退職後も三鷹の天文台には毎日通っています。    今熱中しているのは30年前から温めていた研究で、右周りの銀河と左回りの銀河が宇宙でどう分布しているか、という事を数十万個の銀河を見てしらべるという研究です。   この2年で4編の論文を書きました。  対称性の破れが出てくると宇宙に大きなインパクトのある結果にならないかなあと思っています。 

小学校5,6年生の頃、図書室で様々な形の銀河の写真集を見て、不思議だなあと思った印象が残っています。   中学生の時に小遣いを貯めて小型の望遠鏡を買いました。  木星とか土星を見たんですがすぐに飽きてしまいました。  天文少年ではなくてSFを多く読んでいました。   大阪府立北野高校に進んだんですが、数学者になることに憧れていました。   1968年(東大紛争の時代)に東京大学理科一類に合格して、翌年1月の安田講堂の導入まで授業がありませんでした。  古典ギター愛好会で午前中を過ごし午後は麻雀でした。   数学者にはとてもなれないと思って、天文学を選びそれが私の一生を決めてしまいました。   大学院に入ってからは最先端の研究論文を読んだり、大型望遠鏡で観測する機会があって、研究の世界に足を踏み入れた自覚が生まれてのめりこみました。 学位研究は銀河に何故美しい渦巻きが出来るのかを説明する論文を書いて理学博士の学位を貰いました。   東京大学理学部の助手になり、4年後の1981年に東京天文台に移動しました。    

イギリスのケンブリッジ大学の天文学研究所に1年間留学しました。   ここで人的なネットワークができました。   2年目は欧州南天天文台(国際機関)に移りました。   そこは南米のチリに最先端の天文台を運営していました。   最先端の観測装置を4件提案して3件採択されました。  チリに出張して銀河の観測、最先端の観測装置に触れたり、データを見たりして、この経験が目からうろこという感じで、帰国後の進路が良く判った感じがしました。   

すばる望遠鏡はハワイ島の標高4200mのマウナケア山の山頂に日本が9年がかりで建設した大型の望遠鏡です。   遠くの宇宙の姿、太陽系以外に惑星の観測で大活躍している。  海外に大きな望遠鏡を作ろうという構想は1980年代から始まっていました。   検討会を立ち上げ、1990年までに検討会を50回重ねました。   直径8mの鏡をどうやって作るかという事がメインテーマでした。   コストを下げるためには軽くする必要があり、極力薄くして、姿勢や温度で鏡が変化するのでそれを無くすためにコンピューター制御に依る賢い鏡を考えました。(能動光学)    400億円の建設予算を頂きました。  それから10年間は建設に携わりました。    ハワイには出張という形で行って、160回ぐらい出張しました。    直径8,2m 厚さが20cmの薄いガラスですが、性能向上のために、裏側から261個のポケットを彫るという決心をしました。  鏡が割れる夢を何度も見ましたが、無事完成しました。   この方式はどこにもありません。  

エンジニアリングファーストライト、1998年12月24日にやりましたが、私は三鷹からリモートでその瞬間を見届けました。   2週間後にはアンドロメダ銀河を撮影しました。 星々もよく見え、その後ろの渦巻き銀河まで観ることが出来ました。  やったと、これなら科学的成果が出せると思いました。     1985年に液体窒素による冷却によるCCDカメラを私が作って、比べ物にならない感度だという事が判って、後輩たちがすばる望遠鏡に大型のCCDカメラを100枚並べて超広視野カメラ Hyper Suprime-Cam (HSC; ハイパー・シュプリーム・カム)という大きなカメラを付けて、これで若手の研究者が大活躍しています。  スバルにしかない。  

2006年に人類が見た最も遠い銀河をすばる望遠鏡で発見しました。  地球から約130億光年かなたにある銀河です。  IOKー1(私たち3人の頭文字)として発表しました。   遠い銀河の1位から20位まで発見したこともありました。   IOKー1より遠い銀河を4年間探しましたが、見つかりませんでした。  130億光年から原始銀河が見えなくなる現象で、我々は「宇宙の夜明け」と名付けました。  宇宙は138億年前にビッグバンで始まりますが、ビッグバンから38万年後には温度が3000℃ぐらいまで冷えます。  3000万年後はドライアイスぐらいの冷たい宇宙になってしまう。  自ら光る天体の全くない暗黒時代に入ります。   最新の研究では1億年経った頃に暗黒物質(ダークマター)の密度の濃いところに物質が集まって最初の星、原始銀河が生まれたんだと考えられています。   原始銀河が生まれると、その紫外線で冷え切っていた宇宙が再び温められて、水素原子が電離する、(宇宙の再電離)これを私達は「宇宙の夜明け」と言っています。  この時が何時頃なのか判っていなかったが、「宇宙の夜明け」が明け切ったのが130億年前だという事を証明したのではないかと思っています。 

補償光学ですが、天文学者には空気は邪魔なものでしかない。 宇宙からの光が大気中を通ると星などの画像が滲んでしまう。  賢い望遠鏡でも対応できない。   カメラのすぐ前に直径10cmほどの超賢い眼鏡を別に取り付けて、明るい星からの光を測ることで、大気の乱れる様子を測って1秒間に100回以上の速さで測って、大気の乱れを直してしまうという、それが補償光学という技術です。  すばる望遠鏡を宇宙にもっていったようにシャープな画像が撮れることになります。(2000年に完成)    2002年から超超賢い眼鏡を開発してすばる望遠鏡の視力を10倍にしました。   これで大活躍しました。   遠い銀河はあまりに暗すぎて、ガイドになる明るい星もなく、超超賢い眼鏡は使えなかった。  人工的なガイド星を発生させる、そんな装置も作りました。(アイデアはアメリカの研究者)  すばる望遠鏡から強力なレーザー光線を放ち、上空90kmぐらいの高さのナトリウム原子を興奮させて光らせ、その揺れ方を見ることで超超賢い眼鏡を運転することができる。   これをレーザーガイド星補償光学装置といます。  これを使って暗黒物質を測る研究などもしています。  

TMT アンテナの直径が30mある史上初の大型光学赤外線望遠鏡   3つの目的があり①太陽系以外の惑星に生命の存在の証拠を見つけたい。   ②最初の一番星と銀河に迫る。  ③ダークマターとダークエネルギーの謎を解明する。   計画には日本、アメリカ、カナダ、中国、インドが参加しています。   2002年から新しい望遠鏡を考え始めて、3年後に独自の30m望遠鏡をまとめましたが、予算を考えると日本単独では無理でした。   すばる望遠鏡と連携することを考えていたので、海外の同じような構想グループとハワイに建設するなら協力すると伝えて、2009年にTMTはハワイに建設すると決まりました。   これが完成するとすばる望遠鏡で重要な星を見つけて、TMTで詳しく観察することで、日本がノーベル賞をもらうチャンスが広がると思っていました。  

TMT国際天文台が2014年に発足。  ハワイ先住民の建設反対があり、反対のシンボルとしてTMT建設の反対となってしまった。  山頂工事に取り組めない状況が続いています。   神聖なマウナケア山に州政府が相談もなく許可を出してしまったとか、役目が終わった望遠鏡をすみやかに撤去しなかったという事などがあります。   SNSでデマが流れてハワイの社会に分断が起きてしまった。  天文台副議長として私もいろいろな方と会って話しましたが、政治的に解決するしかなくなってきてしまっています。   

退職後は地域での講座などをやっています。  日本の発展のためにも、科学、技術、教育の重要性はいろんな場面で訴えていきたいと思っています。