2021年11月12日金曜日

美谷島邦子(「8・12連絡会」事務局長 )・【人生のみちしるべ】ぼくはここにいるよ ~日航機墜落事故から36年

 美谷島邦子(「8・12連絡会」事務局長 )・【人生のみちしるべ】ぼくはここにいるよ ~日航機墜落事故から36年

今から36年前(1985年 昭和60年)8月12日の夜、羽田発大阪伊丹行の日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹山の尾根に墜落、乗客乗員520名が亡くなるという航空機墜落事故が起きました。  この事故で美谷島さんは9歳の次男健君を亡くしました。   乗り物が大好きだった健君にとって初めての一人旅、健君を送り出した美谷島さんの後悔、自責の念は尽きることがありません。    多くの遺族が集まって作った「8・12連絡会」、美谷島さんはその事務局長となり、会報や文集を作り、生きてゆくために支え合う会のかなめとなる役割を果たしてきました。  美谷島さんは去年一冊の絵本を出版しました。  タイトルは「けんちゃんのもみの木」焼けただれれた山にもみの木を植え、来る年も来る年も御巣鷹山に登り続けた母の姿と心の軌跡が描かれています。   その絵本に込めた思い、絶望的な悲しみと共にどう生きてきたのか、美谷島さんの人生の道しるべを伺いました。

朝4時ごろは目を覚まして、ラジオを付けるのが習慣になっています。  散歩をして花に水をやり新聞が大好きなので読みます。 大好きな言葉に赤い印をつけます。 8時半には仕事場に行きます。  最近の中では「求めない」という言葉に関連した言葉を見つけています。  求めないとしたら今まで考えていなかった世界が広がるのかなと思っていて、何かをそぎ落としていきたい、ということかもしれません。  

現在74歳で「8・12連絡会」事務局長、安全と命をテーマにした講演会の活動、20年前にはNPOを立ち上げて、精神障害者の人たちの就労支援、心のケアなどしています。    小学校の講演に行った時に廊下に「コロナでね涙がぽつぽつ落ちてくる」という俳句が貼ってありました。   子供たちはコロナ禍で日々頑張っているんだなあと思いました。 

昨年「けんちゃんのもみの木」という絵本を出版しました。   絵は伊勢英子さんです。 一緒に3年間ぐらいかかりました。  健ちゃんと伊勢さんと3人で毎日会話をするような日々のなから原稿、絵がどんどん変わって行ったりしまして、充実した時間でした。   もみの木は御巣鷹山に主人が小さなもみの木を植えました。  事故の四か月後、クリスマスで耳をふさぐような時期でした。  健を含めて50人ぐらいの子供たちが亡くなり、動物たちとクリスマス会をさせてあげたいなと思って、主人がもみの木を植えました。  *「けんちゃんのもみの木」の朗読 

「あの日たくさんの星が御巣鷹山に降った。  君はどこにいるのどこに消えたの。 ・・・見つけたい、探したい、君のところに行きたい。 ・・・ それから35年、もみの木の話を聞いて欲しい。    お母さんは健ちゃんが突然いなくなった日から迷子になってしまった。  お父さんは目印に小さなもみの木を植えた、健ちゃんにも見えるようにと。 ・・・もみの木は悲しみを聞きながら少しづつ太くなり、悲しみに寄り添って根は強く土の中を進んだ。  ・・・ 大切な物は消えない。・・・ひまわりを育てていた9歳の夏、花が咲いてから1週間で消えてしまった命。 ・・・お母さんはもう一遍聞きたい 健ちゃんの足音。 来る年も来る年も山に登り続けた。  迷子になったお母さんはもみの木に会いに行った。  ・・・またいつかきっと会えるよ。 ささやくうように蝶が舞う。・・・もみの木はいつも枝を揺らして迎えてくれた。  焼けただれた山に植えた小さなもみの木はたくさんの涙を受け止めて、とても長い月日で空に届くような高さになった。・・・「ただいま」の声がした。  お母さんどこに行っていたの、僕はここにいるよ。  ずっと9歳だよ。  お父さん、お母さんと今も一緒。  その日からどこにもいない君がいる。    今日はクリスマスイブ、星になった子供たちと山の動物たちがもみの木の飾りつけを始めた。 ・・・御巣鷹山のもみの木に520の命が灯る。  かけがえのない命の灯り。  消さないで未来に伝えたい。 もみの木は命をつなげてゆく。」

「お母さんは迷子になってしまった」という表現がありますが、駆け上るように健が亡くなった場所にゆくんですが、でもいないんですよね。 何年も登っているうちに迷子になっているのは自分だと思いました。   蝶が来て肩などに止まったりして、ああ健が来たと本当に思う事が何度もあるわけです。   

遺品の靴をようやく抱きしめることが出来るようになった時に、空の向こうから「僕はここにいるよ。」という声が本当にあの時のままというか、そんな感じの声でした。  「もうどこにもいかない君がいるよね。」という言葉がすぐ出てきて、自分の中に心の中にいる健を抱きしめられました。  この絵本の中には「さよなら」を聞く場面もありました。 「さよなら」を聞きたかった。    小学校の講演で、3年生の女の子が「健ちゃんは最後のお空でお母さん、家族、お友達に「さよなら」って言ったと思います。」と書いてくれて、涙があふれてしまいました。 

御巣鷹山にはもう250~260回登っていると思います。  最初に登ったのは事故から4日目でした。   飛行機に私が乗せたんだという思いが、胸の中にありずーっとどうすることも出来なくて、4日目に山に登ることにしました。   まだどこかに生きている、連れて帰ろうと思っていました。  「ごめんね ごめんね」といったことが心に残っています。   2か月後に四国から電話がありました。 健が座っていた隣の席の女性のお母さんからでした。  「私の娘は優しい子でした。 子供が大好きでした。 きっと健ちゃんの手をしっかりと握っていたと思います。」と言ってくださいました。   砕けていた心が本当に自分を戻すことができる、そんな言葉になって、その日から繰り返し繰り返し浮かんでいました。  自分の娘を失いながらも、言葉を掛けてくれて嬉しかったです。

「8・12連絡会」が4か月後に出来事務局長になる。    遺族がこれから生きてゆくのに必死な思いの中でみんなで立ち上げました。   30人ぐらいが集まって(遺族全員で1500人ぐらいいましたが、)、世界の空の安全を促してゆくこと、遺族同士が励まし合って手を繋いでいこうと、緩やかな連帯を目指そうと思いました。  「罪を憎んで人を憎まず」というような思いで、人を支え合う事で一歩ずつ前に進むという思いがありました。   事故から2年後に「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」という本を出版しました。   大企業との壁、アメリカ製の飛行機のため真相解明への困難さ、など次々といろいろな困難が出てきました。  乗り越えてこられたのは仲間がいたことだと思います。 9年後の中華航空機事故、信楽高原鐵道列車衝突事故、JR福知山線事故も被害者を支援する仕組みが国にないので、それを一緒にやってほしいと要望を出していったり、当事者が発信することの大事さをみんな感じています。  聖地を守りたいという気持ち、安全はここから発信するんだという願いを共有出来て、御巣鷹山はみんなを包み込む優しい山になったなあとここ5年ぐらい思います。  

20年ほど前からNPOを立ち上げ、精神障害のある方の就労支援、生活援助を行う事業所を運営。  55歳の時に受験勉強をして国家資格、精神保健福祉士の資格を取得。 地域の保護士、命の電話の相談員なども経験。   健が亡くなった時に「8・12連絡会」を立ち上げた時に電話を敷いたんですが、「死にたい」と言われ、一緒に泣くことしかできなかった。 明日も生きていよう、という事しか言えなかった。   悲しみはどうやったら私たちのなかで収まってゆくのかという学びをしたかった。   その後命の電話の相談員になりその時に「傾聴」という言葉を知りました。   人の話を聞ける場所を今必要としていると思って障害者の施設を立ち上げました。  私の方が元気づけられるというか、本当に学ぶことが多かったです。  共にいることが一番お互いに理解できることなんだろうなと思いす。  

愛されて育った子というのは人を愛して人への人に対する愛し方というのを知る、そういう子を育てることが私の一番したいことでした。  健を愛して、でも健がいなくなってその悲しみが遺族の人たちの悲しみと繋がってきました。  一番大切なものをつなげてゆくんだという事をその時凄く感じました。  悲しみと命をつなげてゆくというのは大きなことなんだとその時知りました。   健を亡くしてからは本当に多くの皆さん支えていただきました。  支えてくれた人たちのと出会いは偶然ではなく必然だったと思います。   だから出会いを大切にすること、それがこれから私が生きてゆく道しるべかなと思っています。  毎日毎日経験したことが、私は本当に人に伝えることだと思っています。  事故もそうですが経験したことを言葉にして若い人たちに伝えたいと思っています。   利益とか効率を優先する社会は悲しむという事を忘れた社会、忘れてしまう社会になって行くんじゃないかと思います。   悲しむって、愛を伝える事だと思います。  悲しんで泣いていいと思います。   悲しむ能力というものを高める、そういうものが人には優しく、そして誰もが暮らしやすい社会に繋がってゆくんだなと思います。  命の大切さ、悲しむことの大切さ、涙を流すことが大切という事ではなく、笑いながらでも亡くなった人の話が出来る、そんなことを沢山子供たちに経験させてあげたいなと思っています。