2020年10月19日月曜日

古今亭文菊(落語家)          ・【にっぽんの音】

 古今亭文菊(落語家)          ・【にっぽんの音】

1979年2月23日生まれ、学習院大学文学部卒業後落語の道に入る。  高校時代に何をしたいかわからなくて、日本映画学校に行きたかったが、親から駄目だと言われて、大学に行って、大学2年生のころに外部の劇団(文学座から分かれた劇団)のオーディションを受けて研究生として入りました。   フランスのコメディーをやってゆく劇団でした。   君がやると落語っぽいと言われてしまいました。  高校の時に古今亭圓菊を聴いて凄くよかったので、探して寄席とかホール落語に行きました。  大学卒業後劇団も辞めて師匠のところに弟子入りしました。

「付き馬」という話をTVで師匠がやっていて二人が明け方の大門を出てゆく吉原の情景に感動して、落語はお客さんを違う世界に連れていけるものなんだと感じたんです。

うちの師匠は入門のお願いに行ったときには74歳でした。   真打になるのには12,3年かかりますが、真打になる前に師匠が旅だってしまうと預かり弟子になってしまうのでお前を取るわけにはいかないといわれました。   断られたが何度も行きました。

私は10年で真打になることができました。  真打のお披露目をしている最中に師匠が亡くなってしまいました。

師匠は昔気質の考え方の人でした。  直弟子以外の人には優しい人でした。

刑務所の篤志面接員をやっていて刑務所に慰問によく行っていました。  入っている人には優しくて刑務官とか所長には怒鳴るんです。(なんだふんぞり返って・・・みたいに)

師匠は前座見習いの時に理不尽という環境を弟子に与えて生皮をはがざるを得ない状況を作っていくわけです。 前座見習いの時もそうですが、真打になっても師匠が旅立っていなくなっても、なにかしらの師匠の言う苦労が自分の前に現れて、自分がその苦労によって生皮をはいでゆくと、とっても苦しいが、それをやっていかなくてはいけない商売なんだろうと思います。

人前で芸と呼ばれる目に見えないものを、人に感じていただけるようになるのには、そういう作業を人生をかけてやりなさいと、そういう事だったんだと思います。

人を育てるという事には自信がなかったんですが、自分なりにやればいいのかなあと思って、今年の初めにそう思って、見習いを取ることになりました。

私の初舞台は鈴本でして、ほとんど何も覚えていないです。

2015年文化庁芸術祭優秀賞、2020年国立演芸場演芸大賞、受賞。

師匠は新作を少しでもやってしまうと、古典の空気感が消えてしまうので絶対に手を出すべきではないとずーっと言っていました。    私もいまだに古典をやっています。

古典のなかでもふり幅があると思うので、根底にある空気感は損なわれないようにして、すこし変えるという事はあると思います。

「蕎麦を食べる音」 「うどんを食べる音」など 師匠からは一切言われず自分で考えてやっています。  

日本の音とは、お茶のお稽古に行ってましたが、移り変わる四季の自然があり、茶釜の音、水の音、などから自然を感ずるという事で、四季を感じるのが日本の音だと思います。

日本の音の場合、律するほうに行くような音だと思います。 こじつけかな。