2018年8月30日木曜日

平野悠(ライブハウス経営)       ・ライブハウスは文化のるつぼ

平野悠(ライブハウス経営)                 ・ライブハウスは文化のるつぼ
74歳、ライブハウスのオーナーとして50年近く経営に携わってきました。
ライブハウスは音楽の生演奏を聴かせるお店ですが、いまではトーク専門のライブハウスも盛況です。
平野さんの活動はいまや全国2000軒以上といわれる全国のライブハウスの先駆けとなりその定着に大きな影響を与えました。
平野さんに波乱にとんだライブハウス人生を振り返っていただき、ライブハウスの醍醐味や社会に対する役割などをお聞きします。

東京、大阪に9つのライブハウスに携わっています、音楽系が4つ、トーク専門のライブハウスが5つです。
1995年7月にトークライブハウスを始めて作りました。
初めは僕の遊び場でした。
隠れ家的な店を作って自分の気になる人、呼んでみたい人、話してみたい人を呼んで話をお客さんにも聞いてもらいという発想でやりました。
最初数人程度で駄目だと思って、トーク内容を変えてマスコミに無視された人達を呼ぼうということで、佐川 一政(人肉を食った人)、奥崎謙三(20数年間刑務所に入って無茶苦茶ちゃな事をした人)を呼び始めたらお客さんがどんどん来るようになった。
トークハウスが成立し始めた。
質問タイムが最後にある。
新宿のヤクザを呼んだこともあり、質問が沢山出るとちゃんと答えていました。

23年経ち私のところだけでも5軒あり、東京でもかなりある。
最初は無視されたのが段々増えてきて、映画館、図書館、本屋などでもトークを始めた。
社会から抹殺された人から聞こうと言うことで、世界で初めてのことだった。
物議をかもしたのは奥崎謙三が出所の日に、うちでイベントをやると言うことだった。
『靖国 YASUKUNI』というドキュメンタリー映画が有り、ほとんどの映画館が右翼に襲われると言うことでやれなくてうちでやりました。
全国の右翼の親分衆に声を掛けて、映画を見ないのに反対はないだろうと思って、タダで見せるからと言って、上映会をやってその後討論会をやりました。
警察は必ず見に来ていました。(スリリングな情報の発生基地)
面白いので多くの客が集まってきました。
「噂の真相」に有料広告を出して色んな人がひっ掛かって来て色んな人が来るようになりました。(今はインターネットがあり便利になりました。)
誰でも受けて、楽しかったと言えるようなイベントをやるのが中心になってきました。
サブカルチャーであるとは思っています。
トークはマイクとプロジェクターさえあれば出来てしまう、安上がりです。
1000人のお客さんだとミュージシャンとお客さんと通じるところまではいかない様な気がするが、小さいライブハウスだと息吹が感じられて、一緒にものを作っているという感覚になれると思っています。

最初にジャズ喫茶をやりました。
職が無くアルバイトをしていたが、100枚近くのジャズのレコードをもっていて、これでジャズスナックをやろうと思いました。
お客さんがレコードを持ってきて話に花が咲くようになった。
店のPRは当時は大変だった。(一人ひとりに店のポリシーを説明した。)
ジャズ喫茶を始めたのが1971年で、その後生演奏ができる店を作りました。
ロックって面白いと思って、ハッピーエンドというバンドを生演奏を聴くには僕が作るしかないと思って店を作りました。
70年代前半は新しいミュージシャンが沢山出て来ました。
店は騒音で苦情が沢山来ました。
ロックが市民権を得てどんどん増えて行きました。
76年に新宿に300人入れる店を作って、ニューミュジックがはやります。
山下達郎、ハッピーエンド、坂本龍一だったり、そういう連中の時代が終わるのが80年代になります。
当時は無名だったアーティストがいたわけです。
自分たちが自由に演奏することができたとミュージシャンから有難がれました。
自由に練習もしてもいいよということでサザンオールスターズ等もやっていました。

大手プロダクション、レコード会社が参入してきて、その後ロックの僕の立ち位置が無くなったなと思って、ロックの興味が無くなりました。
僕は2軒作りましたが、世の中2000軒もできました。
新宿ロフトはロックの聖地だと言われていました。
新宿ロフトの立ち退き問題があって日本に帰ってきました。
音楽はもういい、世界に出たいと思いました。(7年間の放浪の旅)
自分の勝手な店を作ろうと思って、それがトークライブハウスでした。
音楽、トークのライブハウスに共通するものは空間だと思います。
ライブハウス経営のだいご味はいろんな人達と知りあえることだと思います。
出演してくれる人は熱意さえあれば来てくれます、後はお客さんを集めるだけですから。
サブカルチャーは陽に当たることは少ないと思います。
店を作ってから45年になりますが、今の若者は何でもあるが、本当に幸せなのか、僕等の若い時代は何にもなかったけれども夢だけはあった。
吃驚したのは学生と話したことがあるが、音楽に感動した事は無いと言うんですよ。
ライブハウスはコミュニケーション、一つの世界を共有することだと思います。
10から20人程度の小さな空間でライブをやって、そこで表現してゆくことが基本だと思ったらライブはつぶれないと思います。