2018年8月1日水曜日

柳美里(作家)              ・南相馬便り 柳美里 仲間と語る作家 村山由佳

柳美里(作家)              ・南相馬便り 柳美里 仲間と語る
作家 村山由佳
芥川賞の柳美里さんは東日本大震災の直後から被災した人々の痛みを人ごとにしたくないと、津波と東京電力福島原子力発電所の事故の被災地である福島県南相馬市に通い続け3年前に引っ越してきました。
今年 4月地域に潤いを与えたいと南相馬市の自宅を改装して書店をオープンさせました。
原発事故による避難指示が解除されて2年、いま小高区の人口はおよそ2800人で震災前の34%にとどまっています。
書店を続けて行くには県外からの集客が必要です。
そこで毎週土曜日には裏の倉庫を改装して、イベントスペースに著名な作家仲間などを招き、朗読会やト-クショーなどを開催して、仙台や東京からもファンが訪れるなど盛況です。
7月7日の土曜日直木賞作家の村山由佳さんを迎えて、朗読とトークが繰り広げられおよそ50人が熱心に耳を傾けました。
そのイベントの終了後同世代の作家を二人の共通点や創作への思いを伺いました。

柳美里:村山さんとはお会いするのが今日が初めてです。
小説界は純文学とエンターテイメントで、雑誌の発表媒体なども違っていたりして、なかなか会う機会がないです。
共通点は沢山あります。
猫を4匹飼っているのもおなじですし、母親との関係がうまくいかない、幼いころから圧が加わっていた、それが作品に影を落としている。
ミッションスクールに通っていた、ということも同じです。
(柳美里1968年6月22日生まれ 村山由佳1964年7月10日生まれ)

村山由佳 プロフィール(自身で書く)
朝早く起きられないので仕方なく会社を辞めて物書きになる。
夫婦生活も住まいも作っては壊し作っては壊しを繰り返した後、落ち着いてパートナーと軽井沢に暮らしている。
締め切り間際にならないと描けない体質。
勤め先の会社は不動産会社でした。
時間に拘束される仕事が苦手です。
締め切りがなかったら書かないです。

柳美里 村山さんの本を読もうと思ってプロフィールは書いていないです。
原稿は口ずさみながら書いています。
決められた時間に電車に乗ることは出来ずに高校は辞めました。
人前で話すのが苦手なのに役者を志しましたが、辞めてしまいました。
残ったのが書くことでした。
取り返しのつかない道を選んでしまったと思います。

村山由佳さんから見た柳美里さんはどんな作家か。
村山:思索の人でありながら行動の人、感情の人でありながら理性の人、何もかもが両極端で不安定に見えるの両極でありながらバランスがとれている稀有な作家。
何かと目立つ人、生き方そのものがみんなの注目を集める作家。

柳美里さんから見た村山由佳さんはどんな作家か。
柳:作品を見て触れやすいと思うが、芯の部分で物凄く冷たい部分と物凄く熱い部分が有って、核の部分が触れられないという感じがします。
清冽な作品だと思います。
官能的な描写が多くてその部分がクローズアップされる部分があるが、そこに濁りがなく清冽だと思う。

村山:有ったことをモデルにした作品もありますが、頭の中をフィルターを通してそれを言葉に置き換えて行ったとたんに、その瞬間からフィクションです。
私と重ねてもらって全然かまわないんですが、私ではないよといつも思っています。
柳:自分を小説の登場人物にするのと、全く存在しない人を登場人物にするのと全く変わらないです。
例えば蟻を描いても、読んだ人がそれをどう思うかでも変わってくると思う。

容姿について
村山由佳さんから見た柳美里さんは。
村山:(青春小説風)、考え事をするときの彼女はいつもすこし目を伏せて僕との間の真ん中辺を見つめる。
真っ直ぐな髪が落ちかかりいつまでも少女みたいなその顔を隠す、うっかりすると半日でもそのままだ。
・・・・・。
あーっ今目の前に観音様がいると思う。
阿修羅のようであり観音様の様であると思う。
何をうしなっても構わないぐらいの覚悟で受けて立って、言うべきことはきちんと言う場面を何度か遠くから見ていると、行動そのものは阿修羅のように見えるけれども、核にあるものは底なしの優しさなんじゃないかと思います。
柳:売られたケンカは買っちゃいますね。
人間関係が壊れてしまうかもしれないと思うけれど言っちゃいますね。

柳:水道ポンプ屋さんだったところを改装して、8畳、6畳二間が書店になっています。
著名な作家を中心とした24人の方々に20冊選んでもらって、棚に並べる。
村山:成功するかどうかは本を書いていくという根源的な事と深くかかわっていると思う。
パンを売ってお腹を満たすものではなくて心を満たすもの。
突き詰めると人が本をなしに生きていけることができるのか?ということではなかろうか。
それが書店であるからこそあらゆる物書きはそこにコミットメントするべきではないかという思いはありました。
「生きるって悪くないとしみじみ思える20冊」を選びました。

柳:村山さんは原発から20km以内の警戒区域の事を考えて下さっているんだと思いました。
訪れる人に届くはずだと思いました。
見に来てもらいたいと思いました。
立ち読みもOKです、買わなくてもいいので何ページでもいいから読んでもらいたい。
常磐線は本数が少ないので1時間半帰れないので、本を見ているしかないんです。
村山:柳美里さんのフィルターを通してそれに合格した本だけがここに並べられてある。
何という贅沢な空間かと思いました。

ものを書くと言う事
柳:縁があると思う、出来事と出来事が繋がって行くと言う、自分が吸い取り紙とかパラボラアンテナのようになって常に受信しているような感じです。
発信と言うよりは受信。
村山:表現の言葉を持たない人と付き合いをした時に、これまでの最高作品ではないかと思うようなメールをおくったが、そんなに言われても照れちゃうよ+顔文字がかえってきて、この乖離、齟齬は幻滅、驚き、いつもと違う心の動きを思った時にうまく書けると思ったりします。
柳:色んなことが積み重なって行くと、或る時カチッとなったら一つ短編に出来るとか、あります。

テーマ
村山:認知症をきっかけに小説で初めて母の事を書きました。
厳しい母でした。
あの人が私の本を読む事が無いのだと思うとやっと解放されたと思いました。
母はそれまで全部読んでいました。
柳:16歳で家を出て31歳で息子を産むまでは母とはほぼ絶縁状態でした。
村山:母は自分の子育ては成功だったと思っていると思います、悪さは全部隠れてしましたから。
その幻想を壊してしまうと言うことは私にとっても凄く怖いことだったし、母親を傷つけたくないということはありました。
母が呆けて読まなくなってようやく書けるなということがたくさん増えて物凄い解放感でした。
「放蕩記」を書いたが、 反論できなくて卑怯だと言うような声もありましたが。
単行本の時の方が風当たりは強かったが、文庫本が出るようになった時には判ると言ってくれるという事もありました。
みんなが共通認識をもつ事によってちょっとづつ変わってゆくんだなあと思いました。
柳:受信の感度を上げて行きたいとは思っています。
あくまで発信ではなくて受信なんですね、聞こえない声とかをいかに受信するか。
改装がありその後はコンサート、演劇、朗読会もやりますし色々やりたいです。