2016年8月29日月曜日

城谷 護(腹話術の会きずな代表)・こころ和ませる一人芝居

城谷 護(腹話術の会きずな代表)・こころ和ませる一人芝居
腹話術を始めて 30年、数少ないプロの腹話術師です。
今年4月には公演回数が3500回を越え浅草の演芸場で多くの仲間が記念公演を開いてくれました。
公演ではご自身の出身長崎の原爆被害を自ら脚本を書いて腹話術で語りかけお客さんから多くの共感を得ました。
城谷さんは演芸場ではお笑いを演じますが、子供達にはいじめをなくすこと、福祉施設では高齢者を元気付けること、東日本大震災の被災地ではこれまでに80か所以上のボランティア公演をするなど社会に役立つ腹話術を心掛けています。
昭和15年長崎県雲仙市の生まれ、長崎工業高校を卒業して、川崎市の造船会社に就職し、船舶の設計をしながら川崎の市民劇団、京浜共同劇団で俳優として、製作者として活動していました。
45歳になって新しい演劇として腹話術に出会い 60歳の定年退職を機にプロの腹話術師になりました。
人形の五郎ちゃんとは30年来のコンビです。
人生の大半を川崎市で過ごされた城谷さんは現在は川崎文化会議の議長も務められ、このほど川崎文化会議の50年の歩みの記念誌を発行するなど忙しい日々を送っています。

五郎ちゃんとは30年になります。
人形は初代のまんまです。(人形ドックには入りましたが)
プロの腹話術師は絶滅危惧種になりました。
東京圏では数人です。(全国でも数十人と思われます)
浪曲では東京圏で60人ぐらいいますので、それに比べると少なくなりました。
しゃべる時に少しは口はあけますが、動かないでしゃべっています。
声は子供の声が多い。(1、2オクターブ上)
人形が生きいきしていないといけない。(手、頭、口などの操作)
お客さんの反応なども見ながらやる必要がある。
ネタは何百と言っていいぐらいあります。
東京演芸協会が3500回を記念して、20人ぐらい出てくれて4時間半ぐらいやりました。
超満員でした。

面白い話もやりましたが、私らしさも出そうと思って被爆者の話もしました。
15歳で大やけどをして、1年9カ月療養して、大人になって世界をまたにかけて核兵器を止めるように訴えている人、谷口稜曄(すみてる)さんの話。
それから馬が2頭いて、父親が一緒に立っている写真、馬が戦争に取られていく日の記念写真。
兄達が馬に乗っているが、そのうちの一人が17歳で原爆で即死したが、五郎ちゃんと会話の中でそういうことは忘れてほしくないと思って話しています。
普通合わないと思うが、事実の持つ重みは心を打つみたいで帰りがけに、今日の話は良かった感動した、あんなことが腹話術で話せるんだねと言ってくれました。
先輩芸人が伝統的な芸の腹話術に君は社会性を持たせた功績は大きいと励ましの言葉を頂いた。
被災地は結構行っています。(全国色々)
悲しい時に行くのでこんな笑いでいいのかなあと思いますが、本当に喜ばれました。
神戸では長生きして良かったとか、宮城では今日は一年分笑ったと言われました。

ハンセン病の療養所が全国にいくつかありますが、或るところに行った時に80台の後半のお婆ちゃんがこんなの初めて見たよ、とおっしゃって、その人はおそらく10歳にならない頃隔離されてこの療養所に入れられたと思う。
「こんなの」という言葉が深い意味が有ると思う、考えさせられました。
韓国に行った時に、その国の言葉を覚えていくわけですが、「戦時中に日本が皆さんの国にご迷惑をかけたので、今日はお詫びに来ました、これからは日本は戦争はしませんのでぜひこれからは仲良くしてください」と言ったが、ワーッと拍手が来て、終わったら新聞社、TVの記者などが来て、新聞の一面のトップに大きな写真入りで出ました。
腹話術で平和友好の為に役に立ちたいと思って、アメリカ、フランス、ロシアなどにいって平和の話をしました。(フランス語はできませんでした)

小学校、保育園では、いじめのことを例え話をしながらいいますが、終わった後は優しくなるそうです。
子供達のこころを掴みながら、子供達自身が納得いく、解決の方法を見出すことが大事だと思います。
挨拶のモデル校になった小学校があったが、挨拶ができない子供達がいるので来てくれと言われ1時間半挨拶の問題の話をしたら、1カ月後に友達と話せるようになって、3ヶ月経ったら学校の先生と話せるようになったと言うことだった。
1年半たって心配で聞いてみたら、クラスの委員長になったと言う事でした。
その子が気がついて動きだすことが大事だと思っています。

自閉症の子がいる中学校に行っていた。
登校する日は普段10人いかないが、五郎ちゃんが行く日は15人ぐらいになる。
大きなマスクで顔を隠していた子供がマスクを外して、五郎ちゃんを抱っこしてにこっとした。
人形には人間じゃない魅力がある。
率直に言っている、うそつきではない、良い格好をしない、信頼できるそういうものが有るのではないか、それを人形の中にその子は感じたと思う。

小さい時に見て、なんで人形がしゃべるんだろうと不思議なままで大人になってきました。
いつかやりたいと思っていた。
自己流で腹話術を始めたが、上手くなれなくて、島三紀夫さんという師匠に出会って教えを乞うたが、断られ師匠の追っかけを3~4年やったら、本気だと認められ指導してもらえる様になった。
45歳だった。
劇団、腹話術、会社と大変だった。
腹話術の脚本も書きます。
自分の人生と重ねたネタを私はやりたいんです。
芸は単に上手でしょうと言うよりも、聞いている人達が共感したり感動したりするものでないと駄目だと思っていて、その人の人柄が滲み出るものでないと駄目だと思う。
兄が原爆で犠牲になってから父が仏壇に向かって、「茂よ われはなんで死んだとか」 と毎日泣いていました。
私が5歳の時でしたが、鮮明に残っています。

認知症の人達のところに行く事が多いが、絶対笑わない人がいましたが、その人を五郎ちゃんが笑わせました。(入所して3年経つが初めてとの事)
しゃべらなかったお婆さんがいたが、「お婆ちゃん 20歳の時に何をしていた」と言ったら、突然「名古屋の工場にいてさ・・・・」とずーっとしゃべりだして、周りのスタッフの人が吃驚しました。
腹話術もセラピーに生かせるのではないかと思う。
自閉症、医療分野、福祉、教育などにも生かしたい。
腹話術の会きずなの会員 80人(川崎中心) 浦和では30人のサークルがあり教えています。
他にも北海道、鹿児島、神戸などに行ってサークルの人に教えています。
腹話術は流派があるが、垣根を取り払う様に全国的に交流会もやっています。

川崎文化会議という団体、文学、音楽、美術など色んな人たちが入っているが50年経って記念の冊子を作ろうと、川崎全体の文化史になる様に年表を充実させようと自分達の文化以外にも調べて作りました。(1947年以降の様々な出来事を調べ上げる)
川崎は労働者の街、色んな意味で注目された街です。
文化運動なども纏めておきたかった、3年掛かりました。