2016年8月1日月曜日

保阪正康(ノンフィクション作家)  ・高度経済成長の始まり(第32回)

保阪正康(ノンフィクション作家)   ・高度経済成長の始まり(第32回)
日本が経済大国になってゆくプロセスを見てゆく。
政治の季節から経済の季節に見事に変わってゆく。
政策プランナーが状況を良く分析していた感じがする。
岸の後任に池田隼人がバトンタッチする。

特徴
①デモなどで荒れた空気になっており、忍耐と寛容という言葉を口にして社会全体に落ち着きを取り戻そうとした。
②女性閣僚の登用、中山マサさんを厚生大臣に入閣する。
高度経済成長政策
「貴方の給料を2倍にします」
「私は嘘を申しません」
具体的に口にした。
所得倍増計画は短期間に(10年)2倍にする、国民の一人ひとりの富をおおきくしてゆく。
根幹は公定歩合の引き下げで、企業が設備投資をする、それによって製品を大量生産してゆく、大量消費の時代に向かってゆく。

昭和35年度、国民所得が12万円を45年度には24万円にする、という目標を立てた。
見事に成功する。
ブレイン 下村治の経済理論が、池田政策とマッチング。
伊藤昌哉(池田首相の秘書)  政治の季節のエネルギーを経済に向けたら、凄い国を作るんじゃないかと、デモを見ながら思ったと言っている。
財界四天王 小林中 水野成夫、永野重雄、櫻田武といった経済指導者が池田首相の経済政策に協力して行った。
昭和39年に東京オリンピックがあり、観光施設、新幹線の新設などを行う、判りやすい目標になった。
産業基盤が急速に整備されるが、珍しいぐらいのスピードだったと思う。
民の活力を徹底的に刺激していった。
岡山の水島コンビナート(三菱化成)、山口の徳山コンビナート(出光興産)など、大きなものを作る。 (その後北海道から九州まで出来てくる)
関西電力の黒四ダム、映画にもなる。(昭和38年に完成している)
7年の歳月、500億円の建設費、25.8万KW 163人の犠牲者。     

労働力不足での集団就職、昭和38年がピークで7万8000人が地方から都会に就職する。
貿易、資本の自由化が高度経済成長の中で進む。
ソニーのトランジスターラジオ、本田のオートバイ、トヨタの自動車、石川島播磨重工の造船、家電製品は松下、シャープ、サンヨー、日立、東芝、三菱など沢山製品を開発して、海外にでてゆく。
草創期にはその人の能力、技術、人間性で企業が発展することがある。
(井深大、盛田昭夫、松下幸之助、本田宗一郎などなど)
年に物価が4~8%の消費者物価が進む。
社会全体が輝いていた元気な時代だった。

昭和35年10月12日、社会党の浅沼稲次郎委員長が刺殺される。(日比谷公会堂)
昭和36年1月20日 ケネディー大統領の就任。(43歳)
ケネディー大統領の有名な演説
「・・・そして同胞であるアメリカ市民の皆さん、国が貴方の為に何をしてくれるかではなく、貴方が国の為に何ができるか考えようではありませんか。 同胞である、世界市民の皆さん、アメリカが貴方の為に何をしてくれるかではなく、人類の自由の為に共に何が出来るかを考えようではありませんか。」
キューバ危機、ケネディー大統領暗殺。