2016年8月18日木曜日

山本嘉子(元保育園園長)     ・絵本で伝える空襲体験

山本嘉子(元保育園園長)     ・絵本で伝える空襲体験
昭和15年横浜市生まれ 4歳の時に空襲に遭い自宅は全焼しました。
父に背負われて逃げ回ったこと、毎日遊んでいた友達が防空壕で落ちた爆弾で亡くなったことなど、山本さんに残る記憶と今を伝わる当時の記録を取材し、空襲の様子を判り易く子供に伝えようと絵本にして出版しました。
東京に移り住んだ山本さんは保育の学校で学び、東京オリンピックの年に杉並区立保育園の保育士となり、後に園長となり2001年定年退職しました。
退職後は絵本の読み聞かせ活動に参加、小河内(こごうち)文庫の小鳥の部屋に自宅の部屋を提供し、子供との活動を続けました。
小河内(こごうち)文庫は日本で初の図書館児童部門支所として活躍された小河内(こごうち)芳子さんが残された本を元に開かれたものです。
山本さんは戦争や空襲を体験した人が少なくなり、戦争が風化しないようにという思いを込めて横浜空襲後、絵本にまとめました。
絵本の題は「雲の上まで花いちもんめ」  花いちもんめは当時毎日繰り返した遊びでした。
「雲の上まで花いちもんめ」は去年自費出版しました。

終戦70年、横浜の空襲が5月で、5月に出版した絵本が新聞に取り上げられて、出版の反響があり沢山の方、施設等から注文して下さいます。
様々な立場の方から反響が有りました。
当時の資料なども送ってくださって、新たな資料なども掘り起こすことも出来ました。
府中で大きなコンサートが有り、福島の学童保育のお父さんに出会って子供を50人預かっていると言う事で50冊送りました。
しばらくしてから感想を一杯送ってきてくれてそれが財産ですね。

感想 1年生
「本を読んで逃げている人のページが怖かったです。 
遊んでいるところは良かった。
今、私は泥団子作りが上手になりました。」
感想 3年生
「本を読んでいて戦争がどれだけ恐ろしいかと思った。
夏休みはプールとドッジボールで忙しいです。」
感想 4年生
「読んでみたら戦争のことが少し判ってきました。
友達や人がたくさん死んで悲しくなるから絶対に嫌です。
うちのおばあちゃんにも聞いてみます。」
感想 6年生
「子供達が遊んでいる時に大きいサイレンが鳴って、飛行機が爆弾を落とし始めてびっくりしました。
そんなことが有ったなんて恐ろしいことでした。
私達は戦争のない時代に生まれて、本当に良かったなと思いました。」

感想 2年生達のクラス
「僕が本当にあったことと聞いたら、そう本当にあった事と言ったので胸がズキンとしました。」

「絵本を読んでから皆で花いちもんめをして楽しかった。
友達は大事だと思った。
戦争は怖いのに何でするんだろうね」

「日本がず-っと戦争をしないのは凄いことです。
戦争をしないから平和な授業ができるのです。」
他にもたくさんあります。

4歳の時に空襲体験。
怖いよりもただただ驚いたが、殆ど思い出すことがズーっと無かったが、保育園で仕事をしていて、自分の子育てもしていて、退職間際になって年長さんのクラスで絵本を読んだりしていて、そろそろ私は退職なんだと思った時に思いついて、戦争の空襲のことを言って、怖くておしっこをしてしまったとうっかり言ってしまった。
シーンとしていたのが大笑いになってしまって、そのあとのことを話すことができなくなってしまった。
空襲は横浜で昭和20年4月ごろの夜のことだった。(夜から朝方の中くらいの空襲だった)
当時は戦争のさなかだったが、子供達は一生懸命遊んでいました。
絵本には当時の遊びなども描いている。
タイトルは最初に作ろうと思った時にこれしかないと思いました。「雲の上まで花いちもんめ」
夕焼けかと一瞬思ったが、違うんだと思った記憶が有り、空襲の時の空の真っ赤だった。
そのうち怖くて泣いていた。
仲好しのお友達が、死んじゃったと言っていたが、聞いた時には死が判らなかった。
夕焼けの色、茜色が好きだったが、記憶とも重なる部分が有る。

絵は得意ではなかったが、塗り絵の絵を真似して、絵は好きでした。(父も娘も絵が好きでした)
色鉛筆を使っています。
苦労したのは戦争の焼跡の場面がどうしたらいいか判らなくて、図書館に行って何冊か借りてきて焼け跡らしい写真、絵を参考にしました。(写真はあったが絵は少なかった)
夜明けに助かった人達のところにおにぎりが届いて、食べたその一瞬だけは覚えています。
その時に、○○ちゃん(いつも一緒に花いちもんめをして遊んでした)が死んでしまったと言う事を近所のおばさんがしていたと、後で母親が言いました。
図書館の資料を頼りに自費出版をしました。
体験記なら書いているが、絵本の面倒は見ませんと言われてしまいました。
絵本を専門に編集をして下さる人が近所にいて、アドバイスをしてもらいました。

世の中の雲行きが怪しくなってきたという事もあって、孫もいるし遺言だと思ってやりました。
一番安心して接するのは子供だと思っていますし、未来をしょってゆくのは子供ですし、最初子供達は悪い子はいないので、それぞれ生きいきした人生を歩んでもらいたいと思っています。
それぞれの人生を全うできる世の中になってほしいと思いますが、そこに戦争が入ってしまうと、全てぶち壊し、命まで危ないです。
災害ではなく、人工的なものなので、それは無くなってほしいと思います。
保育士になるまではこれだけ子供が好きだとは思わなかった。
学ぶ為の奨学金をもらうには3年は働かなくてはいけないと言われたが、40年近く続いてしまいました。
0~6歳までの子を毎日見られるという仕事はなんて有難い仕事だと思うようになりました。
0歳ではあやした時のお世辞笑いみたいな笑いと、違って子供同士の笑いは共感笑いがあります。
1歳になると要求がでてくる、言葉が出せないので暴力的に奪い合う。(かみついたり)
2歳になると、言葉を介して友達と交渉できるようになるが、言葉と行動が一緒に出る。
3歳になると理屈がでてくる、それがまた面白い。

短歌
「泣きわめき ごめんしたって許さない、 3歳同士の自我の輝き」
4歳~5歳になると、大きく飛躍して抽象的なことが判る様になり、昨日のことが思い出すことができる様になり、話し合いができる様になる。
喧嘩することが栄養になる、伝えあう、判り合う、その時どうしたらいいかとかを経験で学べる。
大人になった時に話し合いが上手な人間が増えれば暴力の連鎖は無くなるのではないかと思いますが。
退職して読み聞かせのグループに入ったらそこが小河内(こごうち)文庫というところで、小河内(こごうち)芳子さんが、図書館の中に児童部門がきちんと位置付いていなかった時代に児童部門が大事だと主張して、全国に児童図書の大切さ、子供たちへの与え方を広めていった方です。
自宅で小さな文庫を開いて、グループで文庫活動をしていたが、引退されて残した絵本を何とかしようと言う事で活動をしていたが、そこに入って2000冊近くの本を集めて読み聞かせ、工作遊び、おもちゃ遊び、等の活動しました。

文庫を始めて7~8年して、世の中も怪しいなあという思いもあり、遺言の様な思いで書き残したいと思いました。
わらべ歌遊びが交流とか、音楽を含めて良さがあるので、何とかまとめてみました。
この絵本を元に読み聞かせや、講演とかもやっています。
戦争体験を辛過ぎてなかなか話さない様な人達もいます。
語り継ごうと言う事をもっと日本でもやってもいいのではないかなあと思います。