2016年8月27日土曜日

平山 優(時代考証者)    ・大河ドラマ「真田丸」の時代

平山 優(時代考証者)    ・大河ドラマ「真田丸」の時代
山梨大学の非常勤講師や山梨県立博物館の福祉官などを経て、現在は山梨県立中央校という学校で教壇に立たれています。
御専門は日本の中世史で武田家や真田家にまつわる多数の著作が有ります。
当日の公演の会場となったのは長野県高山村です。
高山村は真田丸にも登場する福島政則が晩年を過ごしたところでもあります。
福島正則は石田三成と仲たがいして、盟友の加藤清正と共に徳川方についた武将です。

20年以上前に福島正則の史跡を見にやって来たことが有ります。
福島正則は石田三成こそ豊臣家を危うくすると思って、家康と共に彼を排除したが、結果的に徳川家康の天下掌握に大きく寄与することになる。
大阪の陣が始まるが、福島正則は大変苦悩する事になる。
福島正則は家康にほぼ軟禁状態となる。
自分は大坂方の使者に対面することなく、家臣に対応させて自分は味方できないと、言って追い返したと伝えられている。
福島正則は大阪にあった自らの屋敷に大量の備蓄米を備蓄していました。(確実な資料)
徳川家康は当時大阪の屋敷に2万石の米をもっていました。
秀頼は大阪に籠城するために兵糧米を没収したが、福島正則は8万石を備蓄していた。
福島正則は無条件で引き渡した。

自分が時代考証をするとは思っていなかった。
ドラマの内容が極端に史実と違ってしまう事を修正する様な、アドバイスをする役目です。
三谷幸喜さんの作品ですが、三谷さんをお手伝いする役目をもっています。
三谷さんにはお会いしたことはありません。
時代の流れ、時代の動きなどを年表に作ったり、資料を提供したりして、大まかなあらすじを作って渡したりします。
出来上ったシナリオをみて、内容に誤りはないか、おかしいところはないかチェックします。

第1話から2話、武田勝頼が滅亡すると言うところから始まるが、真田の一族に人質を解いて故郷岩櫃(いわびつ)に戻すと許可をするところから始まるが、どのルートを伝わって岩櫃(いわびつ)まで帰すかが、プロデューサーからの質問だった。
いろいろ考えたが、余地峠(武田信玄が軍用道路として利用した)を経由して榛名山のふもとを通って岩櫃(いわびつ)に行くルートを考えたが遠回りとの意見もあり、十国峠のルートも考えたが、峠を越えた処の大日向がその時期北条方に帰属していることが資料から判ったので、碓氷峠を越えて軽井沢に一泊して岩櫃(いわびつ)に帰るルートにした。
視聴者から軽井沢は新しいのではないかという質問が有ったが、古い軽井沢は武田の時代に宿場町として機能していることが判っている。
言葉遣いが現代風すぎるとの意見もあるが、難しい。(若い人は時代劇を余り見ない)
戦国時代の言葉は復元することが不可能です。
黒田官兵衛 正式には発音は「黒田くあんひょうえ」です。
当時外国人宣教師が文字にして残しているので、これで発音が判る。
昔の人の発音を史実どうりにやったらほとんどの人が判らないと思う。

隠しテーマがある。
①家族をテーマにしている。
通常戦国期の武士の家では、家を2つ、3つに割ってお互いが殺しあうことが普通でしたが、真田家は分裂することがほとんど無かった一族です。
分裂したのは、真田幸綱の時代、その後再び一本化され、関ヶ原の戦いの時になる。
信繁が討ち死にしてからは真田家は松代藩の藩主として幕末まで存続する。
②偉大な父をもつ子供の苦悩、挫折、成長を描く。
武田勝頼、北条氏政、上杉景勝、豊臣秀次、徳川秀忠、真田信幸、信繁など。
滅びのはかなさも描いている。
信幸、信繁は父親の背中を見ながら成長してゆきます。
信繁は新しい環境で、文物、人物と出会い、その中でもまれて視野を広げてゆく。
兄弟の考え方が次第に距離がでるようになる。

当時の村社会は、村の人達は刀を差し、周りの村と水争いなどをするときには、合戦と言われるほどの戦いを行っていた。
そういった方向で今回進めている。
武士以外は大刀を差してはいけないという事になっていたが、戦国時代迄の村社会の男子は元服すると、刀差しの祝いをして、村の人は皆武器の使い方を知っていた。
今回、村の戦いもちゃんと描かれている。
③今回新しい視点の導入、新しい史実の導入も行っている。
真田昌幸は変幻自在な動きをする。(裏切り、寝返り)
今回、国衆という言葉が多く出てくるが、国衆は学術用語でもある、小さい場合は数ケ村、大きい場合は郡規模の村を支配する領主。
大名が国衆の安全保障を維持出来なくなった場合、国衆は自分の領地を守るために、守ってくれる新たな上級権力と結びつくことは当時は当然のことです。
真田昌幸達は自分達の領地をどうやって守るかで苦悩したが、そのことを沢山描きました。
大名視点、上からの目線に気付いていただきたかった。

6月17日 真田信繁の手紙が発見されたというニュースが有りました。
写しはあったが、今回原本が発見されました。
新資料の発見が有って、ドラマの動きに大きな影響を与えたということが実はあります。
信繫が大阪に人質として行く事になるが、その後人質の地位から外れて秀吉の家臣になったということだが具体的な地位は全く分からなかった。
朝鮮出兵の時に、肥前名護屋の城の留守居役を細かく決めて秀吉が大阪に帰るが、その資料が真田家の記録にあり、信繫は馬回り組とでてきた。
どうしようと思っていた役だったがこれで見事に解消した。
信玄枡は京枡(現在使っている)の3倍あった。
信繫に舛を統一すると言わせている。(太閤検地について押しだしたかった)
三谷さんは沢山の資料を読み、それを自分で咀嚼して物語に織り込んでゆくという事は唯脱帽するばっかりです。
北条氏直に降伏したらどうかという事は多くの大名も動いているが、徳川家康は北条とは太いパイプが有り徳川家康が動いたのも記録で判っているが、だれが入ったか判らなかったので信繫にした。

史実どうりではドラマは作れない、ギリギリのところで折り合いを付けて、証明できないことは無かったとは言えないということにもなり、歴史ドラマの成立する余地があるという事です。
真田信繫は生前、幸村と名乗ったという事実はありません。
信繫が戦死してから70年後に難波戦記に幸村という名前が登場します。
講談本が出来、講談で語られて、民衆に認知されいてゆき、名前がいつしか変わって行った。
赤備え、大元は武田軍から来ているといわれる。
武田信玄の重臣に飯富虎昌(おぶとらまさ)がいて弟が山県昌景、飯富虎昌(おぶとらまさ)が亡くなった後、山県昌景が赤備えを継承して(武田軍最強の部隊)、真田信繁は武田の衣鉢を継ぐという形で大阪の真田の軍勢を赤備えにしたんだろうと言われる。
丸馬だし 武田信玄が築いた城に多く見られる。
真田十勇士はいません。