2016年8月26日金曜日

英 裕雄(医師)       ・大都会・新宿 訪問医療がみる生と死

英 裕雄(医師)       ・大都会・新宿 訪問医療がみる生と死
英さんは医師になってすぐ新宿で訪問診療を始めました。
地域の訪問診療医として目指したのは病院で行う高度なレベルの医療を提供して、在宅で生活する人を支えたいというものでした。
介護保険制度がスタートしてからは、高齢者医療の分野でも在宅での訪問診療への取り組みが進められてきました。
英さんはその前から訪問診療の有るべき姿を模索してきました。
単身者、外国人、高齢者 様々なバックグラウンドをもつ人達が暮らす大都会の新宿、訪問診療医英さんが見てきた人たちが織りなす生と死はどのようなものか、伺いました。

訪問診療、元気な人を対象とするのではなくて、病院に行けない、寝たきりだったり、障害が重い状況等、継続的な医療が必要な患者さんに対して、定期的に医者がお伺いしながら、診療してゆく事を基本としている。
患者さんがより重症度が高くなってきて、単なる往診ではなくて体系的に訪問して行く医療体系が必要になってきた。
病院は生活とは切り離された所にある。
病気は生活と介護を含めて不可分なところがある。
病院は色々な高度な検査をするが、訪問医療で出来ることとできないこと、病院で出来ることとできないことが有り、当初は病院と同じような検査をして出来る治療をするという意気込みで始めたが、それだけでは改善しない。
色々考える時期が有ったが、病院では医者が薬、検査をやってたりするが、その間看護士が医療以外を行う側面があった。(食事、その他の色々の世話など)
そういった側面が大事だと気付いた。
自宅でも病院と同じように改善できると実感したのは、在宅医療を始めてから、5~10年ぐらいたってからです。

病院に行かなくても自宅で対応して見ようと、そういうことを繰り返してゆくうちに、介護の意義、やり方などを会得してゆき、病院に行かなくても良い様な状況になり、在宅医療もあながち捨てたものではないと思った。
最初、研修医の時代とかに、在宅医療をしたわけではなく、病院医療の限界性を感じた。
社会生活の不安、様々な身体が動かない不安などは、生活支援、不安に寄り添うようなサービスの提供が必要だと思った。
家での生活を支援する仕組みが必要と感じて居た時に、友人から在宅医療が大切になると示唆され、始めて見ました。
データも大事な指標になるが、それ以上に生活の指標が凄く大きい。
病院的な発想ではなくて、生活の機能と病状の回復が病院とは逆転している。
例えば病院では炎症を起こしている患者さんには、炎症が大分回復するまではそれなりの食事制限をするが、在宅では炎症がちょっと良くなって患者さんが食欲がでてきたときには、患者さんの要望を取り入れる。
高齢者にとっては生活機能の改善を先にとった方が、予後が良いということが在宅医療で学びました。

24時間、365日対応で患者さんと接しています。
患者さん、家族の方は24時間、365日対応しているわけです。
患者さんと共に苦しむ、悩むとか、葛藤、不安を高じさせている原因を探ったりすることは、医学の教科書には書いていない。
そういったことを学ぶいい機会になった。
介護の不安感、生活の不安感などはしゃくし定規に解決出来るものではない。
不安と寄り添いながら模索してゆき、介護のサービスの方と連携しながら、御家族の協力を得ながら、支えとかをしてゆく。
20年間やってきて、若い人で継続してゆく事は難しい。
かけがえのなさを感じていて、自分に負担軽減しながら、多くの医療者が負担無く、24時間、365日出来る様な体制を作った方がいいと思う反面、24時間365日患者さんと向き合って得られるものとか姿勢とかも感じる。

卒業は商学部で改めて医学部を目指しました。
高校から大学にかけて母親が乳がんになり、闘病の過程を手伝う中で、母親との関係、家族の関係が段々壊れて行ったり、母親の病弱の姿とか、人間の健康というものを物凄く重要なことだと思いました。
医学的知識が無い、体験が無いという事などにたいして自分に軸が無いと感じて、自分が生きてゆく上で医学が必要だと思って、医学部に行く道を志ざしました。
母親の症状にたいして医師からは厳しいことを言われたが、他の病院等にいったが、最終的には先生のいうことは正しかったと、受け入れざるを得ない様な状況になって初めて事実が認識できた。
患者さんと家で病状にたいして家族と向き合うという過程は、病気のつきあい方を患者さん、ご家族が探る過程でもある。
お任せ型の医療ではなく自らやってゆく医療は或る意味健全な医療だと思っている。
自分でチョイスしながら自分なりの一番ベストな医療を考えるのは、一旦退院して自宅でいろいろとトライする事はいいことかもしれません。

歌舞伎町の裏の大久保は韓国の方だけではなくてアジアの人が多く居住している。
一人ぐらしの高齢者が沢山います。
日本の高齢者の独り暮らしは15~20%と言われるが、新宿は30%、大久保は40%。
経済的に恵まれていない方が多い地域でもあります。
日本の将来はこうなってしまうのではないかと思う。
家のない方が居る、生活保護の方で簡易宿泊所で日常生活をしている方がいて、往診をどうしようかと思っている。
全ての基盤が無くて、そういった人達をどう支えていくかはこれからの課題です。
或る意味基盤整備をしてゆく必要がある。
高齢化社会において、医療的な解決だけでは多くの人たちが幸せに生活しきれないという事は我々はもう身につまされています。

誰も病弱になりたいわけではないし、自分の死がそう簡単にきてほしいとは思っていなくて、生老病死という言葉が有るが、自分の人生はこんなはずじゃなかったと、そう思ってほしくはない。
色んな模索をしながら自分にとって必要な医療は何なのかを考えて頂き、その中で自分の人生はどうあるべきなのかを考えて、模索に寄り添うのが在宅医療の一番大きな役割だと思う。
介護に関して完璧なものを目指してしまうと、逆にそれができないから家に連れ帰ることができませんという事につながりがちだが、出来る範囲で出来ることをやってもらえればお年寄りにとって嬉しいことは多いと思う。
自分の人生を生き切った感、在宅の患者さんは、そういうもの見せつけてくれる機会が多いですね。
我々にとっての支えです。
若くて自分で動けるのにもかかわらず、酒の問題から切り離すことができなくて、段々身体が蝕まれてゆき、本人は歩けるようにリハビリをやりながら酒を止めてゆきたいとその人なりのプロセスはあるが、禅問答のようだが、そういう葛藤のなかで何とか私としては本人なりに頑張りたいと言う気持を皆でサポートできたらいいなと思って、周りの皆とそういう方向で調整をしています。

人工呼吸器、胃瘻(いろう) 単に延命医療と言われるが、在宅で人工呼吸器、胃瘻(いろう)を使って外出したり旅行に行かれたりする人は少なくない。
医療行為が人を孤独にしてしまうのではなくて、周りの人の支えとか、社会の触れかたが人を孤独にしているのだと思う。
延命医療を逆に生活を取り戻す為の医療に替えてあげる、併用すると言う事も大事かと思っています。
人生の意義深さにおいて、医療を変えてゆくというのも、在宅医療の大きな役割です。
大抵の人達は自分の最期を気が付いていないのではないかと思う。
たまに自分でちゃんと御別れをする方がいる。
家族全員をベッドに集めて、時計を見て皆さんに笑顔で手を振って挨拶してそのまま息を引き取った人もいる。
良い思い出を残してゆくという事はいいことだと思います。(在宅の良さかもしれません)
問題解決型医療を教育で受けてきたが、20年間やってきて、寄り添い型、お互いに問題を抱えながら一緒にいることの重要性を凄く感じるようになったし、今を生きる、今を共に生きることが大事だと思っています。