2014年10月18日土曜日

山下正樹(歩き遍路の会会長)   ・私のお遍路みち

山下正樹(公認先達 歩き遍路の会会長) 私のお遍路みち
弘法大師空海ゆかりの霊場をめぐる人達はお遍路さんと呼ばれています。
山下さんは70歳 これまでに四国88の霊場を全て巡る結願を10回果たし、お遍路の指導者としての役割を担う先達にもなっています。
山下さんがお遍路を始めたのが57歳の時、以来すべての行程を歩いて巡る、歩き遍路を続けています。
ひたすら歩く事で何が見えてきたのか、伺います。

88の札所を一巡りすると1200kmぐらい。
歩く醍醐味もあります。
最初の第一歩がなかなか踏ん切りがつかない、大変だろうとか、しんどいやろうとか、でも最初の一歩が踏み出さない限りは何も始めらない。
私はゆっくり歩くので50日かかります。
「もうちょっと頑張ったらお寺に着く」 「あわてないでいい」とか お大師様の声が聞こえる。
頑張っているから声が聞こえるのではないかと思っている。
ひたすら歩く事で常に自分自身と向き合う事になります。
(人生そのものに通じると山下さんは考えています。)
お遍路文化に触れられると言う事が一番嬉しいです。 地域の人が支えている文化。

①札所寺院 ②お寺とお寺の間を結ぶ遍路道 ③遍路道を支えている地域の方  
④遍路道を歩くお遍路さん 
この四つの要素で成り立っているが、一番大きなものが地域の方がお遍路さんを支えるお接待と言う文化を引き継いでいると言う事。
お接待 無償の行為、お茶を一杯差し上げる、励ましの声をかける。
なじみになって、泊っていきなさいとか言われる。(一般の家なのに)
お爺さんお婆さん、先代を見習って、お遍路さんを接待する、生活の一部になっている、すごい文化だと思う。
心が一緒にお接待として付いている。

12年の前に夏に初めてお遍路しました。(本格的に始めた12年前の時?)
10日間は梅雨の大雨の中で、梅雨が明けてカンカン照りで、高知県焼坂峠から下りて、添蚯蚓(そえみみず)を上がってゆくが(高低差400m)、その前に焼坂峠で全て水を飲みつくしてしまう。 困っていたときに農家のお婆ちゃんが呼んでいる。
死にとうぐらい喉が渇いており水を分けてもらおうかと思っていたら、お婆ちゃんが水を用意して待っていてくれた、本当においしかったですねえ。
一気に飲んだら、怒られる、急に飲んだら身体に悪いと。
家に帰って次の水を持ってきてくれた。
人対人がお遍路道の中につながりができる。(お接待)
人の優しさが身に沁みる。 結願したときには涙がボロボロでました。
「お陰さまで」と言う言葉が本当の意味で感じました。

(昭和19年広島生まれ 高校卒業後、大手都市銀行に就職、支店長を目指して日々励んでいたが、大きな転機が訪れたのは45歳の時でした。 
関連会社への出向、出世の道から外されたこと、慣れない職場でのストレスから50歳の時に尿管結石で1か月入院、この時歩きお遍路の事を知る。)
歩き遍路の体験記の本があった。 
だらだら生きるよりは新しい自分を探さないといけないと思った。
支店長に成れなかったのも、結果的に自分に実力が無かったのだと思った、それまでは人ばっかり恨んでいた。
平成14年6月、57歳で会社を早期退職、お遍路の旅に出る。
会社や仕事中心の生き方とは違う、新しい人生の価値が見つかった。

帰ってきた時に、もっと自分を生かせるところがあるはずだと、納得した仕事ができること、地位とか名誉ではなく、一番大事なのは会社人間は視野が狭いこと。
社会人間になろうとしたら、お互い平等の考え方がいるわけです。
お接待を受けた温かい心が私にそういう風に感じさせたと思います。
旅は甘くはなかった。 道に迷うし、トラブルがあり、足が痛くなったりしたが、その時に出会った地域の方々の温かい励ましの言葉、お接待で自分は生きているのではなく、生かされていると言う事が実感するわけです、それが自分にとって大きな収穫でした。
88番札所で結願して、一番思ったのはもうこれで遍路道を歩かなくていいと言う思いでした。
宿に帰って、朝起きると歩けないと言う寂しさが出てくる、これは不思議な気持ちでした。
お四国病 お遍路の魅力に取り付かれた病気 薬が無くてお遍路に行く事、心が落ち着く。

いろんな方が廻っていて、40~50日で廻っていて頭がクリアになる、一歩離れて自分を見つめることができる。
根底は自分の足で歩くしか解決しない、生かされてると感じた時は、自分も何かでお返ししなければいけない、物ではなく心で、だから私は出来ることで世の中にお返しをしようと思っています。
最初のお遍路を36日間で結願、高知県の島で環境保全、地域振興のNPO法人事務局長を務めることになる。
大月町 柏島 遍路道の資料を見つける。 復元しなさいということかと、直感した。
1200kmの内、土の道は100kmぐらいしかない。  土の道は足が喜ぶ。
地元の人と共に遍路道の復元をして、毎年地元の人が草刈りをしてくれている。
保存会の会長に翌年出会い、お年寄りが元気になったと言う事でした。
お遍路さんのお接待でいろんな話ができて、話題が増えて、元気になった。

今5つ目の古道の復元作業に入っている。
阿南市の山の中に在る道を地元の方と一緒にやっている。
21番札所太龍寺から山の中を抜けて22番札所平等寺に抜ける道6km。
江戸時代の道しるべが残っている。
太龍寺に上がる道、日本最古の遍路道 600年前の南北朝時代の年号の入ったしるべ石がある。
平成22年に遍路道で初めて国の史跡になる。

平成24年から子供達にお遍路の文化を伝えようと、お遍路授業を行っている。
一番嬉しいのは大きくなったら、私もお遍路に行きたいと言ったことです。
おさめ札 自分はどこから来たのかと書いた札を渡す。
旧庄屋(お遍路さんを泊めていた) 屋根裏の俵に1万5000枚のおさめ札が入っていた。
1番から順に廻る順うち 88番から逆に廻る逆うち 2つの廻り方がある。
平成16年 逆うちのお遍路に初めて出会う。
いつまでたってもお大師様にあえないので、反対に回ったらお大師様に会えると言う事で廻る。
反対に回ると全部のお遍路さんに会えることができる。
620人のお遍路さんに会えた。  

今治に59番札所伊予国分寺 58番札所仙遊寺がある。
仙遊寺にむかう逆うちをしていた時、5歳の女の子からわざわざ家から出て来て道が違うよと声をかけてくれた。
説明して納得してもらった、お礼にお接待で貰った飴を「お接待ですよ」と渡した。 
子供も喜んでくれたが私もわざわざ声を掛けてくれた事に感動した。
歩き遍路の魅力を広く伝えることをがライフワークとなる。
平成17年から毎年春に歩き遍路の入門講座を開き、参加者は250人余りになる。
お遍路によって今の自分がある。
文化遺産も沢山あるが、お寺とお寺を結ぶ遍路道、地域の方々 これが歩きお遍路さんを支えていると思います。
その一番大きなものが繋がり、ふれあい、心のやり取り もっと沢山の人に知ってもらいたい。
「お遍路では名刺と時計を置いてきなさい」と言われる。
目標としては88歳までは歩き遍路をしようと思っている。