2014年10月1日水曜日

高橋まゆみ(人形作家)      ・創作人形、出会い旅(1)

高橋まゆみ(人形作家)    創作人形、出会い旅(1)
高橋さんは1956年長野市生まれ、 結婚後に夫の両親と同居するために、長野県の飯山市に移住されました。
子育てをしながら、ふとした事から人形作りの世界に入った高橋さん、常に人形作りにテーマを持って取り組んでいます。
2003年から故郷からの贈り物をテーマに、作品の全国巡回展を 7年間続け、2010年4月に飯山市に高橋まゆみ人形館がオープンしました。

人形館が出来た処は元は公園で何もなかった。
最初はこんなところに人が来てくれないのではないかとの不安の声が聞こえてきたが、私は来てくれるのではないかと思っていた。
7年間全国を旅して95か所で人形を見せてきているので、もう一度会いたいという方が足を運んでくれるのではないかと期待した。
人形がお父さん、お母さんになっている。 
家族の様になってくれて、人形の引き出す力を感じます。
この辺はほとんど農家なので、前かがみになって仕事をするので、背中も丸くなるし、腰が曲がってくるお年寄りが多い。

最初は粘土に出会って、形にする事が楽しかった。
絵本から飛び出てくるような、ちょっと癖のある魔女だったり、子供だったり、そんな物を作っていた。
性格がおおざっぱで、作ることに興味があったわけではなく、たまたま手芸屋さんに入った時に、粘土の教室をやっていて、物凄いときめいた。
教室に入ったんですが、子供ができる間際だったので、教室には何カ月しかいないで、家でこつこつやっていた。
人形を粘土で作ること自体が初めての出会いだったのでカルチャーショックだった。
飯山で生活するようになって、いろんな生活の中でのずれを苦痛に思えたりだとか、人との絡みもうっとうしかったりして、人形を作ることで忘れてゆく事が出来たし、自分の両親も寝たきりになっていて、さびしかったり、愚痴を聞いてくれることがなくて、最初は母が元気だったらこんなふうに笑いかけてくれるのではと、おばあちゃんの人形を作った。
自分のもやもやが引いていった。
段々おじいちゃん、おばあちゃん お年寄りの姿を見るにつけ、ドンドンそんな人形にはまっていった。

創作人形 決まりが無い。 形もどうでもいい。 それが私の性分に合っていたと思う。
通信教育があって、基礎的なことは習いたいと思って勉強した。
試行錯誤でやってきた。 
材料は紙粘土、中に針金とキルト芯をボディーにしている。
針金は柔らかいアルミの針金、それに人形の芯を作る。
そこにキルト芯を細かくスライスしながら巻き付けてゆく。
身体の形に補正しながら、身体の肉を付けてゆく。
脱脂綿などで補正をして、その上に下着、洋服を着せる。
細かい顔の部分はコテで作ってゆく。
働いてきた年季のある、使用している布も見て頂きたい。

田舎のお百姓さんがモデルなので、素朴で働き者で、手に表情がある様なごつい手にしたり、しわも深みがあって、腰とか肩も丸みがあって、素朴で働いてきた人体像を作りたいですね。
働く事が生きること言っている、と言っている様なお年寄りばかりで、いいなあと思います。
親子の別れの人形 しろむくを着た花嫁とお母さんが手を握って、これから頑張るんだよと、お別れをしているところと、背中を向けて、涙をためて別れを言いたくないお父さん、奥には髪結いさんがいたりとか、その中に感情とか、ストーリーを埋め込みたいと思っていつも作る。
嫁がせる時のホッとした所と、寂しさ、父親の寂しい感情とか、一つ一つを見て頂きたいと思う。

最初は笑っている様な人形ばっかりだったが、最近は精神的に深い様な人形を作る様になったが、それはいろんな人との出会い、自分の気持ちも変わってきたと思う。
風呂に入っているシーンの人形
お爺さんと孫たちを入れている。  
今はお風呂に家族で入ることは無くなったが、色々な姿を表現している
お爺さん、お婆さんが孫にかかわる関わり方が、本当に思いやりと愛情がいっぱい。
子供が学校に行った時に、雨が降ってきて、いつの間にか、お爺さんが学校に向かって子供の帰りを待っている姿があったりする。
「冷たい手」 冬になると雪が沢山降るが、かじかんだ真っ赤な手をお婆ちゃんが自分の懐に運んだという光景が思いだされて、これも人形にしたいと思った一場面だった。

大事なものを拾い集めて作らなければいけないなあと、使命感の様なものを感じる。
もの作りは気持ちが作らせる様なところがあるので、時間が経ってしまうと駄目なので、忘れないうちに作る様にしている。
言葉も添えているので、寝ながらぱっと浮かんできたりするので、必ずメモしている。

飯山に移って、他人同士が一つ屋根に暮らすので、生活のリズム、食べものの好み、しがらみとか色々あるので、子供も生まれて、子育ての不安とか、寂しさがあり、ストレスがたまった時期もあり、最初おばちゃんの人形を作って、お年寄りを作るきっかけになった。
人形を見ると、助けてくれるように語ってくれる。 作ることで癒されていった。
母親はくも膜下出血で言葉も自由にならないような状態だった。
「母の手」人形  
先月母は亡くなる。(8月) 
 31年ぐらい寝ていたので、悲しみは無かったが、たんが絡んだりとか、寝ている時の辛さを見ているのでやっと穏やかなところに行けたのかなと、言う気持ちの方が強くて、ずーっと寝たきりの母だったが、私がストレスがたまるころに辛くて家を飛び出したことがあり、病気の親のもとには帰れないので、ビジネスホテルに泊まって、次の日、母の顔を見て帰ろうと思って行ったが、ぼろぼろ泣いてしまって、母の寝ている膝の上で泣き寝入りしてしまった。
半身不随の母が動く方の手でずーっと肩をさすってくれていて、寝たきりでも役目を果たしてくれていると、吃驚しました。

「赤い万華鏡」人形
寝たきりの母に万華鏡を持っていったら、喜んでずーっと万華鏡を見ていたので、作品にした。
親孝行ができたなあと思ったのは、人形館が出来た初年度、休館日に、義理の姉と看護師さんとで寝たきりの母を連れてきてもらって、たった一人の入館をさせてもらった。
人形を一つ一つゆっくり車椅子を引きながら見せてあげて、母は泣いて喜びました。
7年間の全国巡回展が終わってどうしようかと思っていたときに、この話(人形館)があって、嬉しかった。
又改めて地元に展示できることになって、嬉しかった。
全体で300点の人形があり、そのうちの100点ずつを展示している。
以前は売っていたが、今は売っていない。
その時の強い思いで作った人形は、同じ手で作っても絶対に作れない、その時間を売りたくない。
展示して見て頂く様にしている。
プロデューサーがついていたので、お陰さまで全国を95箇所を廻り 180万人が来てくださった。