大下大圓(飛騨千光寺住職)円空の思いを今こそ伝えたい(2)
句碑が建っているが、東北大震災でこちらで出来ることはないかと言う事で、一般募集して、句碑を建てる事になった。
「円空見よ 不沈日本 いざと燃ゆ」
「被災地に 祈り届けと 鶯鳴く」
「円空の 祈り深まる 蝉の声」 等など。
円空の思いと、被災者の思いと、つながっている。
当時も津波の話は円空も聞いているし、貧しい状態で亡くなってゆく人達に円空は仏さんを彫ってあげた、そういう歩いた事に重ねて、300年以上のギャップはありますが、現代でも同じ気持ちなんだよ、と言う事かなあと思います。
一番最初に東北に行った時は、避難所に行ってうちの家族が発見されてないと悲痛な声を聞いて、そのあと遺体安置所を廻りました。
沢山の棺が並んでいて、お経を丁寧に上げさせていただいて、吃驚したのは警察官、自衛隊の人も一緒に手を合わせて、おがむ姿があってこの人達も大変なんだなあと思いました。
1カ月、2カ月して段々発見され、避難所を中心に廻らせていただいて、聞くだけですが、悲しみに寄り添ってゆく事だけしかできないのですが。
キリスト教、神道、仏教もいろんな宗派の人が来て、被災していないところを拠点にして活動しました。
キリスト教の教会が被災されキリスト教徒の人が、お寺に寄宿され一緒に活動して、その時宗教は関係ないなあと思いました。
合わせて40数回行ってきました。 沢山の方に出会いました。
看護師の人が御主人を亡くされて、自分も1カ月後に片腕を事故で無くしてしまい、本当に大変な思いをして、仕事を辞めようかと思ったが周りの人の支援を受けてもう一回やり直そうと立ちあがって、右手を失ったけれど、ケアーマネージャーとして、今度は人のために一生懸命活動されている。
そういう姿を見ると、自分自身が大変な思いをしているのに、他者のために何かが出来る、利他的行動と言いますが、そういう人達が沢山います。 吃驚、感激するところです。
「実践的スピリチュアルケアー」 大下大圓著書 ナースの潜在力を高めるための本。
(それを読んで看護をする側が実は大変なんだなあと思いました。)
医療者の人たちは救ってあげるのは当たり前のようになってしまっている。
しかし一週間お風呂も入らず着替えもしないで患者さんのために一生懸命する。
或るドクターは自分のお母さんが流されていたのにもかかわらず、自分は病院の責任ある立場だったので医療現場を離れなかったが、自分のお母さんを亡くしてしまったことで後で非常に辛い思いをする。
ケアーをする人たちのケアーが必要だった。
高橋さんと出会って、内陸の人達とネットワークを組んで一番必要な活動をしようとする。
サイコロジカル ファースト エイド(Psychological First Aid) 災害現場で心のケアをどうしたらいいか、と言うテキストみたいな本があるのですがそれを読んでいたので役に立ったのですが。
被災者に近づいて安全、安心を確保する、自分が出来ないことはしない、専門家に繋げてあげる。
ケアしてもケアしても返ってこないというエネルギー的に返ってこない所に自分たちのエネルギーが疲弊してゆく。
孤立してしまう、誰にも相談できなくなったり、追い込まれてしまう事がおおい、家庭介護の場合等
日本ではお嫁さんが一番大変で、介護するサービスもかなり出てきているので、そういったものを使いながら、自分だけで抱え込まないで、いろんな人たちの力を借りてゆく考え方が大事で、時には家族が休むために、施設に入ってもらって、息抜きをしてリフレッシュしてまた介護をやると言った、家族が休むような環境作りが大事だと思います。
常に一人だけであるとか、追い込まないこと。
自利利他(最澄伝教大師の言葉)の心 自分を高めることが自利、自分のエネルギーを蓄えてゆく、利他はそのエネルギーを他者に使う、自分の影響力が他者に及んでゆくので、そこを考えながら、他者を生かしてゆくという考え方。
共利群生 共にお互いに利する、あらゆる地上界の生き物はお互いに依存し合っている。
依他起性(えたきしょう) お互いに依存し合って生きているので、それをよしとする。
基本的な曼荼羅の思想。
ナースの為に書いた本ですが、援助者全ての人へのメッセージで、人のことばっかりするのではなくて、自分を高める事もやりましょう、と言う事です。
その人が生きていると言う事はエネルギーを出していると言う事なので、他者に影響力を与えていると言う事ですから、常にその人が普通の人であっても援助者ではなくても、自利利他は通じること。
人生の中で自分の目的意識を誰でも持とうとしているが、それが自利につながってゆくので、そのための努力が自分を高めることです。
高めた能力が家族を高める事になり、会社の中で自分の能力を生かして会社の大きな力になることも利他、どこの世界にでもあてはめられる。
自覚するともっとパワーが出てくる。
その人その人が生きる場所があり、必ず足元を見れば何かが見つかる。
何でもあり、そこに目を付けるかどうか。(庭の草取り・・・)
お爺さんが余った灰を道路に撒いたが、それは灰を撒く事によって、道路の雪が早く溶けて他の人たちが歩きやすくなる。(自利利他)
日本人は自利利他の文化を持っていた。
今は自分のことだけしか、考えられなくなってしまって(利己主義)、ギスギスしてしまってきている。
感情部分がやり取りできるかどうか、そこに感覚が生まれてくると思う。
スピリチュアルケアは感情の行き来、スピリチュアリティーはもっと感情の奥に在るもの、魂性、根源的な命につながってゆくもの、人間の生きる意味を問う様な深いもの。
ケアをするというのは、 スピリチュアルな課題を抱えている方にケアと言う仕組みで関わってゆく、向こうも必要とすると言う事が前提になっている。
根源的な痛みに寄り添ってゆく、その人が立ち上がる力を応援する。
今年6月に気仙沼に行きましたが、看護師さんのケアと言う事で、お話、瞑想をやったり、又、川内村へ行って保健婦さんたちと連携して、住民の心のケアと言う事でお話をしたりしています。
最終的には日常をいかに作るか、日常のなかにケアがあると思っているので、もう一回日常を取り戻すというか、そこに安心感に繋がるものがあると思うので。
主に最近自利、自分を成長させる力を再発見してもらう、自分の力を再発見してもらうために、瞑想という方法論を使って、臨床瞑想法を4つに分けてトレーニングしている。
①緩める瞑想 ②見つめる瞑想 ③高める瞑想 ④ゆだねる瞑想
仏教だけではなく瞑想はイスラム、キリスト、ユダヤ教などにもある。
①力を蓄えるために先ずは緩める、これが出発点。(先ずはゆったりした感覚、自分の心を楽にす る)
②集中力が高まるので、自分の心を見つめる、観察、洞察ができる。
洞察力で自分のあらゆる内面を見てゆく。
例えば失敗した どうして失敗したのか原因までさかのぼって、修正する。
行動が変わってくる。
③心身の機能を高める。 健康生成論 健康をいかに作り出すか、今の自分から未来に向かって どういう生き方ができるかを、考えてゆく。 ビジョンを描く事
ユングはアクティブイマジネーション(能動的想像)が人間には大事だという。
④自分と神と繋げる 自分と仏と繋げる ヨーガ 宗教的な高次な瞑想法
2泊3日ぐらいのコースで臨床瞑想法を学んで貰っている。
瞑想は静かな人間力を養うメソード お金がかからず、どこでも瞑想できる、死ぬ寸前の末期の人でも出来る。
或る看護師さんが疲れてしまって毎日弁当を持って1日中いたが、4日でようやく解放された。
自然の中に身を置く事によって、素の自分に戻る、日常を忘れる。
それから自分がどう生きるかと言う事になって、1週間で立ち直りました。
人間の中には立ちあがってゆく力がある PTG(Posttraumatic Growth))と言いますが。
お遍路さんは歩く瞑想 ゆっくりゆっくり歩くのも瞑想
現代人は頭でっかちになっている(知識で解決しようとする)、身体の反応を感じ取る。
悩んだ時は歩いてみる。 苦しい時、悲しい時、辛い時歩いて、お祈りしながら(札所)歩む。
88番から1番に廻ってきてエンドレス、スパイラル状に向上してゆく。
円空は孤独だとは思わない、人生を楽しんでいたと思う。
自然に包まれているという感覚さえ生まれてくれば、決して孤独ではない。(法縁)
歩いて歩いて、時には人に出会う。
円空仏は自分の気持ちが投影される。