2011年10月1日土曜日

舞の海(相撲解説者)       ・苦難をのりこえるじょっぱり魂

舞の海(相撲解説者)   苦難をのりこえるじょっぱり魂  
小学校から相撲大会があった 
小学校の時は校内で一番強かったが、中学になると廻りが体格がよくなって、勝てなくなってくる中学2年の時に止めることにして先生に話すが、反対されて続けることになってしまった
(帰ろうとすると校門で待っていて練習に連れられて行った)  
土曜日に弁当を忘れて、帰ろうとしたら先生に呼びとめられて、理科室でかつ丼とラーメンを御馳走になり、相撲練習をするはめになる
友人らと示しあわせ弁当を忘れたと言ったら、同様に対応してくれた
酒好きの先生で試合の時に健康飲料水と称してウイスキーを入れて応援していた
高校では続けるか考えたが、となり高校の先生が相撲をやらないかと誘われた 
見学に行ったら中学の時より練習が少ない 休日は休みだと説明される 相撲部に入る事にするが、説明と違い練習が大変 
止めようかと思っていたら、2年生が止めることを言いに行ったら、大変なしごきに合い、それを見て断念  

稽古が非常に厳しく熱があっても駄目、耳を怪我したが(半分取れそうになった)翌日 ラグビー部ヘッドギアを付けさせられ稽古させられた
相撲の稽古で足首を骨折して松葉杖をして駅のホームに居たら地震が来た 
立ってられなくて、気が付いたら松葉杖をほっぽり出して全力で走っていた
電柱は倒れる、道路は壊れる、電話は通じない、町はパニック状態 その時何を考えたかと思ったら、土俵はどうなっているのかなと考えた
壊れていてくれればいいのにとの思いであった 
確認に行ったらまったく土俵は壊れていなかった  がっかりした
如何に稽古を休めるか、相撲部の先生がどうかして亡くなってくれないかと本気で考えたが、今自分がこうしてあるのは中学、高校の先生のおかげであるとしみじみ感じる
年をとるごとに段々と感謝の気持ちが深まっている 
大学は東京にでて遊びたいと思って行った 

大学4年の夏に山形県の高校の教員に内定していた
卒業する2カ月前に後輩が亡くなる 
その父親が「相撲なんて取れなくてもいい せめて生きていてくれたらな」としみじみ言われ、生きること死ぬことをを初めて考えた
生きているだけで有り難いと思う 自分でも何時死ぬか判らない 
本当に一度の人生 何をやりたいのだろう 一番挑戦したかったのは大相撲だった
失敗したらどうしようとか、笑われるだろうとか以前は考えたが、死んでしまうよりはましだと、怖さが無くなった
母親は大反対 大学の監督にも相談 反対であったが、どうしてもやりたいとのことで最後には納得してくれた
身長はどのくらいかと言われ169cmだと言ったら それは厳しい 
相撲界に入るには173cm必要  4cm不足 偉い親方のもとでないと入れてもらうのは厳しいと言われる
出羽の海部屋(親方は元横綱 佐田の山) 相撲協会で2番目に偉い方 出羽の海部屋に入る 3月新弟子検査が行われる

鬢詰め油を頭のてっぺんに付ける 気温が高くなり油が柔らかくなる 
身長検査の担当が元横綱 柏戸(厳しい人) 173cm無く 検査ごとに低くなる
(油が柔らかくなり)おかしいと云う事で検査させられ、油が見つかってしまう 
叱られて駄目だと言われてしまう 次の新弟子検査が5月に有 この間に何とかしないといけないと思った  
病院に行って相談したところ、シリコンを入れることを提案される 
4時間掛りビニール袋みたいなものを入れて一旦閉じる 
それから徐徐に水を入れてゆくが大変
通常3か月掛る手術であるがこれを1カ月でこなす  手術時は一時血圧200を超える 
中途休憩をとりながら手術終わる 最初の3日間は眠れず

検査前日 172cmで1cm足りない もう水は入らない 
でも無理やり入れて173cmに成り合格することが出来た
今回の身長検査員は元横綱 北の湖 検査が優しい 
170cm足らずの人を合格させている(この検査員だったらシリコンをいれなくても良かったなと思う) 地方巡業 曙との相撲があり一突きで土俵外に飛ばされる
(立ち会いのぶつかる瞬間は2トンの圧力が掛る) 
怪我がなくて良かったと思った  
今は167cmあれば相撲界に入れる