2011年10月11日火曜日

根来 真(脳神経外科医)       ・世界で通用する医療を目指した私の人生

根来 真   世界で通用する医療を目指した私の人生
藤田保健衛生大学 / 医学部 / 客員教授 脳神経外科 多い時1000例(500~600例)の手術が
年間ある  患者は数万人と言われる
血管内治療 血管の中を通って治療する 脳腫瘍は対象にならない 脳の血管の病気 
くも膜下出血の動脈瘤とかは治療の対象になる
人間の腿の血管の太いところを通してその中をある程度の太さの管を持って行って脳の血管に
持って行く
脳には細い血管にマイクロカテーテルという細い管を入れてその血管の病気のところに到達させて治療
する(太い管の中に細い管を通す 2重になる)
ある程度修行を積まないと出来ない

防衛機構があり血小板などが反応して襲ってくるので 時間と防衛機構を弱める薬を使いながら
治療する  カテーテルを排除しようとする(防衛機構)
レントゲン(最近は進歩してナビのような地図が出来てそれを頼りながら行う)を使いながら
モニタリングしながらカテーテルを持ってゆく 
脳の血管をあらかじめ記憶させておいてその中を辿りながら持ってゆく 
当初 1960年代アメリカでこの治療のきっかけみたいなのがあった 
みんなやったがうまく行かずこれは駄目だとなった
1974年にアメリカの有名な雑誌にソ連の脳神経外科の先生 セレビレンコ氏が血管の中にいれた風船
で血管のなかの治療が出来ると発表した 世界中が吃驚
開頭術が一般的だった

卒業当時が大学紛争時代 新設の科だったのと、父親が外科だった 
名古屋大学を卒業してアメリカに渡り留学する(360円時代で 日本人に対するわだかまりもあった) 
ハーバート大学の病院  患者さんとの会話が大変 東洋の医者が居なかったのでこの事も大変だった
フランスの血管内治療をやっている先生が講演にきて脳の血管に太ももから入れられると言う事を発表する
血管内治療の対象は全身 血管に関係した治療  入院期間が短い 社会復帰が非常に早い
 大きな傷も付かなくて済む→時代の要請にかなっている
心臓の弁を血管内治療でおこなえる 
アメリカから国際学会に参加してほしいとの要望があり参加する 
1982年1月 40名位が集まり皆で発表して意見交換する 
当時やっていた先生が全部参加していて凄い会だった(プログラムは手書きであり、山荘での会合
であり心配したが)

一番凄かったのは議論を止めない、制限時間がない 
ある問題で議論し始めると徹底的にみんなが納得しないと止めない
予定されたプログラムはまったく意味がない 白熱した 
血管内治療研究会を発足させる 1982年12月に開催 50名程度と考えていたら120名集まる 
非常に熱心に行われた
今は会員数2600人になる スタート時は教科書がなく(ロシア語で書かれてある書物を参考に) 
そこから始める 
血管拡張術(ロシアの先生)  頭の血管を開くのは彼が初めて 
ドラッグラグとかデバイスラグとか治療機材が何年後とかでしか入らない 
外国で非常に治療効果があがっている治療器具とかが5,6年経たないと入ってこない
日本は最先端とはいえなくなってしまった 

薬害の問題とか医療事故があって慎重になっているから  慎重になり過ぎているのが現状 
治療器具の開発は高額なため日本国内では開発しにくい状況
人工血管 作成→ 疑似操作 治療のまねた格好で若い人の習熟の為  
日本発の機器が出来るようにしたい 利益を考えるとなかなかうまくいかない 
パテントの問題もある
予防→血管に絞ると 血管内皮が非常に大事でそこを健康に保つためにはある程度の負荷を
かけてあげないといけない
血液の流れをある程度早くする(どんな場所も) 週 2回、3回と20分~30分 運動をするとか 
健康に保つことが大事  
心臓に負荷をかけると脳の血管にも負荷をかけることになる
日本はロボット技術が発達しているので応用出来ないか、いろいろなところで始まっている
小さなカプセルが血管内を通っていろんな箇所を治療することが出来るようになるかもしれない
故障した場合にどうやって回収するか 慎重にやらないといけない