2011年10月31日月曜日

天野祐吉            ・隠居大学(細川護煕)

天野祐吉             隠居大学(細川護煕もりひろ)  
細川 護熙1938年〈昭和13年〉1月14日 - )は、日本の政治家、陶芸家。
公益財団法人永青文庫理事長、東北芸術工科大学学園長(初代京都造形芸術大学学園長(初代)。参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、日本新党代表(初代)、衆議院議員(2期)、内閣総理大臣(第79代)  
関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国大名・細川幽斎の子孫
細川家の18代目 幽斎は塚原卜伝に師事  源氏物語の研究、茶道(孫 山済) 48歳で隠居
60歳で政治から退く 晴耕雨読 陶器の道に進む 書、絵の方にも精通する
知事を止めてたら行政改革審議会に呼ばれて纏め役をしてほしいと当時の日経連の会長をしていた鈴木永二さんから依頼され日曜祭日も無く1年間かけて纏める
(日経連の会長時代に鈴木永二は理想のリーダーとして、今村均大将の名前を挙げている)
行政改革の基本的なもののペーパーを提出した 政府はまったく無視だった これだけみんな汗をかいてやっているのにどう言う事だと言うんで
一人で日本新党を旗揚げしてしまった  野田さんも一緒に加わった 
男性も文化的なものに関心を持ってもらいたい(女性は結構いろいろと文化的行事に行っている)
江戸時代の職人は3時には仕事を止めて将棋とか金の掛らないものをやっていた(杉浦日向子)ちょっとした事で焼きものをやっていると、横に広がってきた 釜傷 ひび割れが出来る 修正するのに漆を使用する 漆が油絵のチューブと同じようなものに入っている   
漆を使ってキャンバスに描いてみたら面白いと思い、描いてみたら良かったのでそれから油絵の世界に入った 
書は焼き物をすると箱書きをしなくてはいけない それで改めて書の勉強を始めた 
茶杓も漆を使うので自然に入って行った
嬰がい性がないとだめ うまく書こう、巧く作ろうという考えがあっては駄目 
感性を磨くには自然に親しむ事が必要 木に登り、月を眺める 
朝日、夕日を見る 虫、鳥等に親しむ、観察する