2011年10月24日月曜日

黒河内 康(元タンザニア大使)     ・第二の故郷・アフリカへの熱い思い

黒河内 康(元タンザニア大使)   第二の故郷・アフリカへの熱い思い
アフリカ開発国際会議がスタートした時には準備段階から力を尽くされました 
退官後もNGOのアフリカ協会や会員、顧問に就任して日本とアフリカの親善を図るため
助言や提言を行ってきました
今年のノーベル平和賞にアフリカ・リベリア 2人の女性と中近東 1人 リベリアでは エレン・サーリーフ大統領(72)と平和活動家のリーマ・ボウイーさん 
アフリカ開発会議の準備委員会が東京で有って 国際機関、主要援助協力国の代表 アフリカの有力な人々が集まってもらって委員会を開催しました
私は委員長を担当 其の時にエレン・サーリーフさんも来ていた 理論構成力がある人だと思った

ケニア人のワンガリ・マータイさんが2004年にアフリカ人女性で初めてノーベル平和賞を受賞 
マータイさんは9月25日に71歳で亡くなる
植樹活動など環境活動に尽力 「もったいない」(日本語)を世界に広めた人 行動力抜群の人
現在は会議への参加、翻訳等をしている(もう高齢になってきているので)  
次の世代への引き継ぎを進める
アフリカは日本の約80倍ある ビクトリア湖 6.8万平方km 北海道の0.9倍 キリマンジェロの山 5895m 人口が多く言葉が多い 約2000以上あると言われる    全世界の30%に相当する    
外務省入省 ケニアに昭和46年(1971年)に行く 在ケニア日本国大使館  
1960年代 アフリカで独立が相次いで進む   

日本に戻りアフリカ課長就任 (サハラ以南) 北は中近東になってしまう  3年と長くいる 
得られたもの→イメージとしては貧困、飢餓、紛争、病気、 とネガティブな要素に皆さん考えるが現地の人と接点を持つといろいろなことが見えてくる
国際協力事業団が派遣している青年海外協力隊員がいる 
この人たちがいろんな現場で働いて時々首都のナイロビ来て話し合いをする→目が開けてくる
怖い時間と怖い場所には行かないようにする 相手のやる事を先読みしていれば大丈夫  
青年協力隊で参加した人が最近 大使になった 
富永さんという人が途上国の技術指導ということで水泳指導 としてモロッコに行っていた

仕事に真面目さと 効率性が着目され外務省に入る事になる 
9月1日にコンゴ民主共和国特命全権大使に就任 そういう時代にようやくなったかと思った
以前もっと日本の閣僚がアフリカに行って欲しいと言っていた 
木村敏郎先生が外務大臣をやっていたとき5カ国を回った これが初めてだった
タンザニア、ナイジェリアに大使として行く 最後はスイス大使として退官する 
主脳部との付き合い、民間 現地の人達との接点が必要 アフリカの人は芸術感が有る 
音楽、器楽 がある テンポの早い音楽 紙に絵を書く 木彫 

文化交流はこっちから持ってゆくだけでなくて向こうのものを貰う 多目的に動き回る
アフリカ開発国際会議 1993年が第一回目 ナイジェリアの大使をして帰ってきていたところに素案を揉んでいて着々と進めていた
誰かシャッポになる人を探していて 一旦は拒否したが担当することになる 
1970年代は景気も悪くなり独立国になったところも経済がひっ迫してくる 
80年代はさらに悪化 国内的には独裁に基ずく不満が出てくる
汚職がだんだんはびこってくる 人権の抑圧が出てくる 食糧生産はうまく行かない 
自給自足のレベルからどんどん悪くなる 農政が失敗する

日本が決然と立って 他人事のように失われた10年というのではなくやって行こうと 
(北欧の国々はずっと援助をしていた) 準備会議を始めた
やってよかった 2008年に第4回 2013年に第5回を開催予定 
小切手外交みたいに考える人がいた それでは結局駄目になる 自助努力でしっかりやってゆく オーナーシップ パートナーシップ(理解し指示してゆきたい)のコンビネーションで
やってゆきましょうと言うことです 
中国のアフリカ進出が目立っている 報道では中国とアフリカと云うような関係でみているようだが 日本の場合は日本とアフリカではなく 日本とその他先進国とアフリカで話し合いをして大きな枠組を作っていく 
そしてイニシアティブはアフリカに有り こちらは逃げるわけではないがまず第一発目を向こうから言って貰いこちら側が二発して 3,4,5,6と行ったり来たりして良い物を作る
 
中国の場合は どうも自分で作ってこれはこうだと、ぱっとやってしまう  タンザニアとザンビアの間に鉄道を作った 其の時も大勢の労働者を中国から連れてきて仕事をさせて作った 
全部自分でやるのではなく半年余分に掛っても現地の人が一生懸命やって出来上がったら「ああ俺たちが作ったよ」というプライドを持てるように  
やって行かないといけないんで「中国さんそれでいいのかなあ」と思うわけです
今後のアフリカへの期待→そうだ早く俺たちがやらなければいけないんだと言うような意識で勉強する人 若い人たちを捕まえて別に日本の友達にならなくてもいいから
日本はこういう事をやってくれているなあというのを見て育って行ってほしいなあと思う 

アフリカに「松下村塾」をつくるのは不可能なのでアフリカにも多少のお金のある人は学校を
作って現地の子供たちを教えて というような人達もいるわけです 
教育は本当に大切なのだが 日本のNGO の人達 100ぐらいのNGOがアフリカに行ってやっているわけですね   
教育だとか衛生、それに関連したこと こういった人たちが仕事とお金が沢山出て来る様にもっと日本全体がお手伝いしていかなければいけないと思う