2011年10月21日金曜日

王敏(ワン・ミン、教授)      ・日本へ宮澤賢治が架けた橋 2

王敏(ワン・ミン法政大学国際日本学研究所教授)日本へ宮澤賢治が架けた橋
1982年に日本への最初の留学  四川外国語大学大学院の先生をしていて、それを一時中断して日本へ
当時の中国では外国への留学はしていなかった 
試しに日本語が出来る若い先生から日本への留学を1名だけ行ってみる企画がありそれに選ばれ
た(第一号)
全て私にとって体験した事のない環境と生活状態でした  
特に私が一番戸惑ったのは家電製品使った事がありません 
見たことがない私が突然ドライヤー、電気釜
ストーブ、炬燵、洗濯機、全部電気を使うことになった まったく覚えられない 混乱してしまった

留学先が宮城教育大学 教師になりたかった事、東北の風土を体験したい事、宮澤賢治が
東北出身、魯迅がかつて仙台で勉強したので中国人にとって親しみやすい街
大学には1年3ケ月いた 貪欲な勉強と調査に明け暮れた 
私の知らない世界、触れた事のない知識の宝庫 大学の図書館 大学 日本の大地であった  
全て新鮮ですので過ごした毎日全部が勉強のいい機会、そして出合ったすべての日本人は私の
教員だと言うような感じでした
その風土を見ないとただただ読んで時間を過ごしてしまうよりも、自分の足を使って、頭を使って
行動してその行動の中で得られた見聞と本から読んだ知識を混合させて考えたいと思いました
この方法は宮澤賢治に教わった方法でもあります
 
宮澤賢治は学校の教員をしながら羅須地人協会(農民の学校)を作った
この様な宮澤賢治のあり方が私の小さい時から勉強した陽明学 王陽明の行動と知識体験と
一体して実践という形で体現すべきというようなあり方と
非常に共通点がありますので私もただただ文献を読んで文献から得られた知識を纏めると言う
よりも全ての事を現場で検証したくなるわけですね
幸い宮澤賢治もその様なやり方を通して作品を書かれたと言う事が有って、それが後々になって
私の博士号論文「宮澤賢治と西遊記」という繋がりを検証する方法にも
繋がって行ったわけです  宮澤賢治の作品の世界に現れる西遊記の影響と云ったものを
テーマにされて論文を書かれた
私の博士論文はお茶の水女子大学から博士号を授与された
 
テーマは宮澤賢治と中国というテーマですけれどもそのなかでも特に宮澤賢治と西遊記 それから
中国古典の中の人物と唐詩選
との係わりでその影響を受けたとはいえ、そのままの受け止め方ではなくて宮澤賢治がそれを
本当に咀嚼して自分のものにしたと言うような
受け止め方として自分の作品とその人生の中に反映させました  
しかしそれはただただ作品の検証を通して、だけではなくて実際に宮澤賢治が関係しているあるいは
それを反映できる現場へ私は全部調査しに行ってそれを検証してきて参りました 
宮澤賢治が書いている農民芸術概論等の中に 生産の現場である農業の現場として
そこから自分たちの芸術文化も立ち上げて行くんだと言う事を宣言のように書いてある部分が
あるがそういう部分についての共感というのもあったんでしょうか→
ありますね つまり知識そのものと実践の現場と一体となった時にその知識が生のものではなくて
熟したもの あるいはその熟したものから花を咲かせて 
あるいは実となると言う 持続発展の可能性になるわけですね
 
ですから宮澤賢治の方法論には私が沢山のものを勉強して影響を受けて 現在の日本と中国の
文化比較、しかも現在を切り口にしてその比較をする学問の道へ行けるようになった訳です
  一つは宮澤研究があってもう一つは日中文化比較があるが賢治研究がヒントになってきた
むしろ宮澤賢治に導かれましてこの研究の道に自然に通う事になった訳です 
宮澤賢治を通して西遊記の中の表現あるいはその中の精神が宮澤賢治という
日本人の描写或はその混合的な創作によって新たな形になったわけですね 
そうすると宮澤賢治の作品の中に反映された西遊記の中のものがすでに西遊記の
元の作品に有ったものではなくなったわけです 
つまり外国人同士で生まれた子供がどっちでもなくなってしまったわけです 
そのハーフ的なものを宮澤賢治の作品から沢山私は見付けました
そのハーフの父親は誰か母親は誰か判った事から見るとこの父親、母親は実は似ているようですが
似ていない処が沢山あることが判った

新しい文化が生まれてきた 宮澤賢治の作品がむしろ文化的、芸術的 発明の産物だと言う
ような言い方で  別の角度から見ると非常に面白くなってくる
その事を通して私が祖国の文化を再認識することになりました 
中国の古典のなかにあるもの一人の外国人によって外国文化の混合によってこんなにハーフとして
再生出来たと言う事は以前は考えていなかった 
宮澤賢治を通して新たなモデルというかそういったものが見えてきた 
文化比較という道に自然と入るようになった 
私は大変参考になったのでこれを体系化して理論化してそれを比較を通して判るように示して
置けば宮澤賢治の世界
或はその世界に見え隠れしているもっともっと広い可能性 もし整理出来れば私個人としての
大きな収穫となりますし、両国の人々に御参考になれば一層の喜びとなります

「鏡の国としての日本 互いの参照枠となる日中関係」(最新の刊行の本) 相互の文化を
それぞれがどのように影響しあって、それを知る事によってそれぞれの国を
絶対としてみるのではなく相対化することが出来る 
これも宮澤賢治の方法に見る結果なんです
 宮澤賢治は「どんぐりと山猫」という作品の中でどんぐりの背比べという場面
があるが、皆自分が一番だと思うから宮澤賢治が相対的に見て判断するわけです 
その見方が私にとって大きな方法論になったわけです

宮澤賢治が短い人生ですけれども「雨にも負けず」のように働いてきたのは自分自身の成長と
自己完成 自己改革常に新しい知識を新しい血液、空気のように
吸収して毎日自分を新たにすると言う事が目標の一つだと思います 
これは古来 日本人も中国人も実践してきた学ぶと言う事の目標だと思います
学ぶと言う事は自分自身の成長と認識の更新と進化と繋がらないとその勉強という事は結局
それは飾り物になる
この事を宮澤賢治を通して私が再確認できたわけです 
古来日中両国の人々達が学ぶこと或は行動をすることに対して大体大きな目標を持っていて、
それを目指してやってきた
何か理想、大きな目標 と一直線に結び付くような事を目指してきた訳ですから 
それを私の場合は生まれた時代 大学に入った時代、特殊な背景があったから
日中の相互理解 そして日中友好の善隣友好の懸け橋というような使命感があったから私に
とって大きな目標になった

日本で使われている漢字であり、或は孔子の論語の世界であり、、日本に対して日本人の
精神形成の中に大きな影響を及ぼしているのは当たり前の事ですが
元を正すと中国と云うのは一杯ありますよね 
逆に今日本が中国に対してもいろいろ影響を及ぼしている部分 お互いの文化の影響のしあいと
言うのが有る様に思うのですが →
中国の文化を古代自発的に取り入れてそれを生かして日本自身の発展と成長を可能にしたわけです 
ただただ学ぶじゃなくて
ただただ真似るじゃなくて、社会の持続発展を可能にしたわけです 
中国から取り入れたもの日本の風土にマッチさせる様な形で取り込んできた
文化の吸収と輸入、輸出と云ったものがそれを積極的に選ぶ側にとってそれがまず有用だという
判断が有ったと思います

それをいかに自国の発展を可能にする媒介として方法論として活かしたと言うプロセスをしてきた
と思います
日本にとって中国の古代の文化の中の有効と思われる部分を良く活かしました 
日本の古代社会の発展を促進することに成功したと言えると思います
16世紀になりますと西洋と出会って、西洋に学ぶことになったわけです 
それも当時古代の中国に学ぶことと同じような発想と判断に基づくものだと思います
和魂漢才というものが和魂洋才というものに変わって行った 
日本の心を以て中国から学ぶ 明治になって西洋から取りこうもうとしてきた
それが出来たのも前の経験があったからだと言う事 前の経験があった事が宮澤賢治の時代に
なると宮澤賢治がそれを作品に反映させたわけです
そして実際の宮澤賢治の活動の中にも反映させました
 
宮澤賢治が生きた時代は西洋からも学ぶ時代でしたから 宮澤賢治がの作品は二つの部分に
分かれています
一つは中国から学んだものの伝承といったものでもう一つは西洋から学んだものの合成と 
この二つが見事に宮澤賢治に合体させていったわけです
宮澤賢治を通して学んだことの一つには日本という社会、日本文化の発展のプロセスを宮澤賢治
と云う人間を通して、作品を通して両方を見る事を可能にした
現代文明の利点とその副作用とつまりプラスとマイナスとその両面を宮澤賢治が非常に見極めて
いるわけです
注文の多い料理店の中で反映されているのはイギリス紳士のような2人の都会人が山に入って
山猫に食べられそうになったというような風刺的作品になります

代々伝わってきた自然に対する人間の敬意と云ったものが薄れてしまって段々人間と自然の関係
が所謂西洋の物質中心或は実利中心の風土によって変化させてゆく危ない状況を訴えたわけですね
そのために宮澤賢治の作品が今現在読んでも深い意味を読み取ることが出来るし、正に先進国になった
国々にとって振り返って自己認識を再度確認する作品になると思います
後進国或は新興国に取って一生懸命当時の日本の高度経済成長期のように一生懸命豊かに
なりたいと言うこの気持ちに対して冷静に自己認識する作品でもあると思います
その様な時期を経て日本は今のような不景気になってしまうわけです 
むしろこの不景気は良かったかも知れません
これは自己認識の機会であってそれから元々本来人間と自然 人間と人間との有るべき関係でも
あると言う事です

中国でも凄く経済的に繁栄して発展をし続けていますよね
 一方で弊害を指摘する部分もありますが 中国の人に取っても宮澤賢治が訴えている世界と云うのは
有効だと思いますか→ そうだと思います ここ数年中国国内で宮澤賢治の翻訳が数種類出てきました  
大学で宮澤賢治を卒論を書く学生も増えてきました
甲南大学で宮澤賢治の論文を指導する先生と学生と話してきました 
この高度経済成長期の日本と共通しているところ ある経済発展を目指している現在の中国にとって
近代文明の副作用による後遺症 やがて発生してしまうかも判らないというメッセージがとても
参考になると思います
この世界で中国以外に漢字を使う国は日本しか有りません 
実際に学校教育の中で教養体験の中で漢文を扱い、漢字を使用する国は日本だけですから 
どの国よりも日本人の持っている漢文、漢字の素養が高いと言えると思います 
日本人と中国人が持っている教養ベースが一番近いという事も言えると思います

中国と日本の教科書を調べてみたが両国の教科書の中で特に古典の部分で共通する教材の処
が非常に多いですね
中国と日本の少なくとも高校までの子供たちの持っている常用漢字の数と漢文の素養と非常に
近い とすれば人間の持っている知識構築のベースは共通している
処が多いと言う事なんですね だとすれば本来非常に交流しやすい 
共通の話題も多いはずですね 2000年来やってきた事なので非常に貴重なものだと思います 

この貴重な絆を大事にして、さらにこの共通している部分をもっと強固にしてゆくと両国の政治と
経済だけでなく文化、教育 教養、生活 人と人 の繋がりの各分野に
おいても共に出来ることが増えてそして新たな創造も可能になると言う事なんですね
こんな恵まれた条件と環境はどの国も持っていないと思います 
戦後日本の教育もそうですし、全て西洋の価値基準を最高の価値に置いてきています
これは日本の発展にとって必要なことであって、その必要性は今もあるともいます
 しかしこの様に深い広い基盤があるのにこの有利な部分を矢張り大切にして
もう一度ここに力を払うと言う事が必要じゃないかと思います