渡辺謙(俳優) ・〔私の人生手帖〕
渡辺謙さんは1959年生まれ、新潟県出身。 デビュー以来大河ドラマ「独眼竜正宗」の主演など国内外で活躍を続け、去年は大河ドラマ「べらぼう」の田沼意次役、社会現象となりました映画「国宝」では主人公の第二の父ともいえる重要な役柄を演じ注目を集めました。 一方ハリウッド映画「ラストサムライ」ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、世界的に知名度の高い俳優として知られます。 今年もこの1月からは、BSのプレミアムドラマ「京都人の密かな愉しみ」、2月末の痛快時代劇映画では物語の鍵を握る役どころを演じるなど、話題作への出演が相次ぎます。 渡辺さんが俳優としての人生や、多彩な役柄を演じきるうえで大切にしている事、一方で命を向き合った日々の困惑や乗り越えたキーポイントなど俳優人生を丁寧に話してくださっています。
寝が浅くなっているせいか、リアルな夢を沢山見ます。 起きて落語を聞きます。 仕事が無い時には9時には寝ます。 「京都人の密かな愉しみ」シリーズとしては3シリーズ目になります。 僕は今回からの参加です。 今回は継承と言う事をテーマにしていて、300~500年続く老舗があります。 継承してきた人は一体何を背負い何を捨ててきたのか、どう生きて来て伝統を受け継いできたのか、店独特の伝承の仕方に対する時間の流れみたいなものが、日本の中でも独特の時間の流れがあるんじゃないかなと言う気がします。
映画「国宝」では精神世界では近しいものはありました。 凄く挫折したこともあるし、大病した時もあるので、自分が描いた通りにはなない、でもその中で水かきは水面下であがき続けてきたみたいなことは今までもありましたから、舞台上のすばらしさはあるんですが、彼らがどうやって生きてどうやってその芸に向き合って来たかという事が一番のテーマだったので、自分が今迄いろんな役をやらしてもらったので、時間軸が上手くはまっていけてたらよかったと思っています.
テレビとか、映画の仕事をやってはいましたが、自分のなかで確信的な、こういう風にお芝居に向き合ったら自分の俳優としての立脚点が出来るんだというのがなかなか見出せませんでした。 『タンポポ』、『海と毒薬』などにやらしていただいたんですが、舞台でやった「ピサロ」で、自分で立っている実感がつかめないんだったら、辞めてもいいかなと思うぐらい、自分の中で揺らいでいました。 そこで覚悟がようやく固まって、その舞台をやったので、俳優として役と向き合うという事はこういう事なのかと言うのを非常に強く体感したのはそこからですかね。
僕たちは何のために演じるという事を選んでいるのかという事を、なかなかわからない。 本質的に人間として、何をもとめて演劇、俳優になろうとしたのか、という事で言うと自由になりたいんですよね。 世の中のしがらみ、社会のしがらみ、年齢のしがらみ、いろんなしがらみから自由になるために、その役を借りてその舞台の世界観の中で、日常ではできないことを舞台上ではできるわけです。 自分の心とか精神を自由にするためにこういう仕事を選んでいるんだという事を眼の前で体験してくれたんです。 稽古の時に如何に自由になるか、如何に自由な発想でそのシーンを積み上げていくかという事を、稽古でやってくれたんです。 僕の演劇観にも凄く影響を与えてくれました。 表現の自由を僕らに伝えてくれました。
劇団の養成所に入った時に、志が無いような状態でお芝居をはじめたところがありました。 音楽をやりたかったが、才能はないし、大学に入って4年間過ごしても何か得るものがあるのか、と言った中から劇団の養成所に入りました。 周りには志の高い青年がたくさんいました。 取り残されると思って必死でついていきました。 与えられた役を必死でこなしていきました。 大河ドラマが終わって2年目に病気をしてしまいました。 その時に後ろを振りかえる余裕が出来ました。(今考えるとよかったと思う。) 復帰した時に、僕の後ろには沢山の人がいたんだなという事を感じさせられました。
「天と地と」でカナダに乗り込んだんですが、そこで白血病が見つかり、1年近く療養して復帰しました。 まずは強い体に生んでくれた母親には感謝しました。(通常強い抗癌剤の使用で内臓がダメージを受けるがそれが無かった。) 生きるためにはどうしたらいいのかなあと言う事があって、先生の処方、対応に対して、上手く患者役をこなしたというような所はありました。 友人が「百連発」というお笑いのギャグのDVDを3,4本送ってくれて、病室で見て、笑っていて助かりました。 キラー細胞が笑い事で活性化されるという事を今では普通に言われているが、30年前にはそういったことは具体的には出ていなかった。 矢張り笑う事は大事です。
乗り越えたつもりが5年目で再発しました。 その時の方がショックでした。 2回目のときには、俳優として戻らないと生きている意味がないかも知れない、と思うぐらい強い意志を持って治療し始めました。 復帰後もなかなか大きな仕事は回って来ませんでした。 40歳になって脇役を2年ほどしてから、「ラストサムライ」の話が来ました。 全部英語だし、ミュージカルをやったことがないのによくやったという感じでした。 知らないからできたんだと思います。 そこでの経験は一回ガラガラと崩しておかないと、次の世界にはいかない様な気して、40~50代はやったことは過去のことという思いでした。
激しく波打つものよりも、穏やかに染み入って行くようなドラマの方が僕は今好きです。 好奇心はその時々で変わって行っていいものですね。 自分が表現したことが、こういう風に届いて欲しいとあまり思った事は無いです。 作品を選ぶときには僕が面白がれる事、興味がある事に針が振れないと、凄く仕事っぽくなってしまう。 自由になりたいと思い続けているのかもしれません。 スケジュールを聞いたり現場に行くことは仕事だと思っています。 メイクして衣装を着て、ある役を背負って現場に入ると、そこからは一切仕事だとは思わない。 身体、心を通してきっと何かを吐き出しているんです。
最終的には自分の身体と声しか使わないので、稽古とかいろいろな時間の中、ストーリーと頭に中でグルグル回っている時があり、それはある意味大事な時間です。 身体を貸している感じです。(終わったら自分に戻してほしい。) セリフは、目から耳から入れないと反芻できない。 相手のセリフも全部手書きます。 震災以降宮城県でカフェをやっていますが、一日5分でもいいから、あなた方のことは忘れません、という思いでA4の紙に筆ペンで、その日の思いを書いてファックスで送っていました。(13年間やっていました。) 継承のことを考えています。 折々で大きな作品に出会っているので、相当恵まれているとは思います。 2月末の痛快時代劇映画では物語の鍵を握る役どころを演じます。