原辰徳(前読売ジャイアンツ監督) ・原辰徳が語る~夢の続きのそのまた続き~
原さんは1958年生まれ。 1980年代から90年代中盤にかけて、巨人の4番に座り選手として6回のリーグ優勝、3回の日本シリーズに貢献しました。 選手引退後はコーチを経て2002年から2年間、2006年からは10年間、2019年から2023年までの5年間の通算17年間球団歴代最長の長期にわたって、読売ジャイアンツの監督を務め、監督としてリーグ優勝9回、日本シリーズ優勝3回、アジアシリーズの優勝、WBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表監督としても 見事優勝を果たしています。
昨年11月日韓ドリームプレイヤーズゲームが北海道でありました。 両国のレジェンドが集まって交流の試合でした。 その時の日本の監督を担当、相手の監督が、キム・インシュク監督でした。 2009年の時は5試合戦って2勝2敗で決勝戦(世界一を争う)監督です。 40,50歳代の選手が集まっても一生懸命にやりました。 今年3月に第6回WBCがあります。 第2回WBCは星野さんで戦うものと思っていました。 そうしたら私の方に話が来ました。 西武と日本シリーズを戦っている最中なので、終わったらしっかりお話させてくださいと話しました。 受けると言う事でスタートしました。 第1回目は世界一になりました。 二回目もいいメンバーが集まりました。 まずイチローに連絡しました。
最初イチローを3番にして世界一を取ろうと決断しました。 1番はヤクルトの青木選手、2番西武の中島でスタートしましたが、結果はイチローはあまり良くなかった。 コーチと相談した結果、イチローを1番、青木を3番にしました。 選手と言うのはプライドもあり、強くもあり弱くもあります。 そんななかでお互いが「独り言」という事で、意見交換をしました。 決勝の延長戦で2アウト2塁3塁でイチローの勝ち越し打で勝負が決まりました。 その前に2アウト1塁3塁で1塁走者を走らせました。 それで2,3塁となり相手がどう出るか相手側のベンチの動きを観察しました。 キャッチャーはベンチの方を見ています。 監督とピッチングコーチは話をしていて、何となく決断が出来ていなかったように見えました。 歩かせるのではなく勝負するんだと思いました。 イチローは4つファールが続いて、ボールもあり8球目にセンター前に打つ。
父はWBCの日本の全試合を見てくれました。 父は優勝の表彰式をみて、感激したんでしょう、私に電話をしてきました。 「お前にもう何も言う事は無い。 本当におめでとう。」と言ってくれました。 私はプロ野球の選手になりたいという思いはありましたが、監督になるという事は全く思っていませんでした。 長嶋さんの元で3年間コーチをして、命を受けて監督になるわけです。 監督は、決断、戦法、戦術、セオリーなど当然勉強するわけです。
父が監督をしていた高校1年の時の試合で、2アウトの時に9番(鈴木さん)がフォアボールで1塁に出ました。 サインを見ていたら初球に盗塁のサインが出たんです。 鈴木さんは果敢に走って、砂埃の舞った直後、セカンド審判がセーフと言ったんです。 あれ以上の作戦は無いと思いました。 ゲームが終わってうちの父がミーティングをしました。 1点ビハインドの中、ああいったシチュエーションで、あそこで出さないでどこで出す。 日頃からの準備があったからこそ、鈴木にスチールを出した、成功するに決まっているじゃないかといって、僕はそのミーティングのことが残っています。 そこが僕の原点でした。 僕は思い切った戦術、戦法は使いました。
クライマックスの中日戦ではノーアウト1塁、二塁でセオリーで行くとバントで1アウト2,3塁ですが、1点が取れない場合もあります。 その時に左ピッチャーだったし思い切ってダブルスチールのサインを出しました。 (しびれましたが) 結果ノーアウト2,3塁となり、好転してクライマックスをジャイアンツが勝つことが出来ました。 成功する確率が高いことを思いこまないと駄目ですが、闇雲にと言うのは駄目です。 そのための準備は必要です。
父はゴルフが好きで一緒に回る時には、ハンディーを2貰っていまいたが、その後はハンディー2をあげていました。 父は78歳で他界しました。 ゴルフを終わって家に帰って来て、心筋梗塞で25日間頑張りましたが、亡くなりました。 父の教えの中にチャレンジャーでなければいけない、という事があります。 三池工業高校の監督をしていた父は東海大第一高校をコテンパンにやっつけました。 東海大第一高校への監督の要請があり、静岡に行くのかと思っていて「都には学校が無いんですか。」と言ったようです。 都で勝負をしたかった。(チャレンジャー)
心の中に目的、目標を持って、寝て朝起きると差が違います。 ゴルフもシニアーオープンに出たりして、飛距離は260ヤードぐらいは出ます。 若い頃にはジャンボ尾崎さんと廻ったりしましたが飛距離はそん色なかったですね。 ゴルフは我流でやってきましたが、教えてもらうようになって、なるほどなあと思う様になりました。
WBCが開催されますが、相当打倒ジャパンと言う中で戦わなくてはいけないので、今年又世界一になるというようなことであれば、胸を張れることだと思います。