2026年1月8日木曜日

田海哲也(新潟県立海洋高校 相撲部総監督)  ・横綱・大の里の原点を語る

田海哲也(新潟県立海洋高校 相撲部総監督)  ・横綱・大の里の原点を語る 

幕下付け出しからわずか13場所で横綱迄スピード出世した横綱・大の里関は3場所連続の優勝がかかった去年納めの九州場所千秋楽を左肩のけがのため優勝争いをしながら休場しなければなりませんでした。  久しぶりの日本出身の大型の横綱として期待のかかる大の里関ですが、石川県出身ながら中学校、高校と相撲の強化のため新潟県で過ごしました。 新潟県立海洋高校 相撲部総監督を務める田海哲也さんと妻の悦子さんが親代わりとなり、糸魚川市の旅館を寮にして公私両面に渡って指導し、支えてきました。 田海さんは1960年新潟県糸魚川市の出身で65歳、高校から相撲を始め、能水産高校から日本体育大学に進み、奥さんの悦子さんの実家の旅館を継ぎながら、相撲の新潟県チームの監督を務め、旅館を相撲部の合宿所にして強化を図って来ました。 これまで角界に11人の人材を送り出してきました。    その中のに横綱大の里関(中村 泰輝)との出会いがありました。  田海さんにとって相撲との関りや横綱大の里関との出会い、その原点について聞きました。

安青錦との対戦で負傷した様です。  琴桜戦は力がでなかった様です。  横綱と言う地位ですが、正しい判断だったと思います。  幕下付け出しからわずか13場所で横綱迄スピード出世。   デビューの時には怪我をせずに一つ一つ積み上げていって欲しいと思っていました。    初土俵から7場所で幕内優勝、史上最速で横綱になる。 5回優勝。   優勝して大関になった時に優勝者のラッピング電車を走らせようとか、イベントもあり大変な騒ぎで私も感動しました。  高校ではキャプテンとしてしっかりまとめて、大学でも進化をして頑張り、プロにはいってもデビューから見ていても、成長、進化して堂々としていて、横綱になると責任もあり思っていた以上に制約もあると思いますが、日本中から愛される横綱になって貰えればと思います。

私は高校2年生から相撲を始めました。 野球が好きでずっと野球をやっていて相撲を薦められて両立しました。  相撲は個人競技ですが、野球をやっていたおかげで、相撲でのチームワークとかチームを纏めるとか、指導するうえで野球を生かせられました。  日本体育大学に進み学校の先生になろうと思っていました。  相撲部に入りましたが、監督からマネージャーをやるように言われました。  2年生で後輩に教えるのですがなかなか聞く耳を持たず、レギュラーからは聞いていました。 矢張り強くならないと駄目なんだと思って、3年生では準レギュラーになり4年生ではレギュラーになりました。 マネージャーからレギュラーになったのは日体大創部以来私だけです。  マネージャーの仕事は指導者になってから生かされました。  

1983年に日体大を卒業、高校の教員になって相撲の指導も始める。 9年間相撲部の指導をしていました。  結婚を機に相撲から離れることにしました。 教員も辞めて妻の実家の家業を継ぐことにしていました。  カニ漁、カニの船の運営、カニ販売、旅館の経営となりました。 こちらの経験も勉強になり今に繋がっています。  2009年に新潟国体があるので協力してほしいとの要請がありました。  中学、高校の一環強化が行われました。(1年間分の時間の寸断がなくなる。)  12歳から18歳と言うと体力差、技術力等で差があるので段階枝的な指導方法を取って、これが凄く効果がありました。 

レギュラーになれない子について気を使ってフォローしています。(野球からの経験) 1年間のうちで全国で3位以内に入らなかったら指導者を辞める、入ったら翌年もやると、宣言しました。 (子供たちも本気度を受けて入れてくれました。)  大の里は皆の刺激になっています。  子供たちを指導するうえでは、 正しいことを継続する。(しこを踏むのにも正しい方法でなど)  

中村 泰輝君は小学校5年生の時に練習会に来ました。  6年生の時に高校の全国大会が金澤であり、一番前で見ていました。  その時に海洋高校全国優勝しました。 そして自分で決めて私のところに来ることになりました。  小学6年生で「何かを犠牲にしないと強くはなれない。」と言っていたそうです。  中学、高校、大学、二所ノ関親方のところ、全て自分で決めました。  身長体重に恵まれていて、いまは192cm、190kgぐらいで、均整がとれていて下半身にしっかり筋肉が付いている。  今後は怪我に注意をしてしっかりした体つくりをしてくれると思います。 

「中学、高校の厳しい6年間があったからこそ今の自分がある。」と言っていますが有難いです。 朝6時に起きて11時に寝るまで相撲浸けでした。  強くしたいという思いもありますが、その前に人間的にも成長する段階でもあるので、しっかりと根を張って卒業すればいつかはその根っこが花を咲かせてくれるだろうというのが、私の信条でもあるかもしれない。   なんと表現していいのか、感動、幸福感が私の中にずーっと続いているんです。  教え子から幸せを与えてもらっています。  前市長が中心になって、個人ではなく街出身の力士を応援する後援会を立ち上げました。