大川義秋(箏奏者) ・東日本大震災15年 いのちの大切さを“箏”で奏でる
大川義秋さんは双葉町出身の30歳。 東日本大震災の時は中学3年生でした。 県外での避難生活で大川さんは琴に出会い惹かれ、プロの道を目指し、現在は文化庁の邦楽普及大使を務めています。 震災をテーマにしたオリジナルの曲や国内外の演奏会で、東日本大震災の経験を語り、命の大切さを語る大川さんにお話を伺いました。
東日本大震災から15年、そのなかでは沢山の出会いがあり、避難をした時のことを思い出すこともあれば、そこでの助けてくれた出会い、感謝を思い出すこともあり、琴を始めた瞬間の記憶もあります。 2011年3月11日午後2時46分、卒業式の日でした。 12時に終わって家に帰って進学のことなど話していた時に、被災しました。 長く揺れて怖かったです。 地面が割れてゆく音、家の家具が全部倒れて、食器など中身が自分の方に降りかかって来たり、窓が割れる音など今でも覚えています。 原発事故については、正直何があったのか判らなかったです。 卒業した中学校に避難しましたが、5000人近くの人が避難していたので、校舎の中は埋まってしまっていて、グラウンドに車を止めて過ごしていました。
翌朝、防具服を着た人が入って来て、1,2分後には警報が鳴って(放射能の情報がないまま)「遠くに避難してください。」と言われて車で避難しました。 埼玉に家族と避難して、そこで琴との出会いがありました。 避難者は汚いという風に思われるのが怖くて、部員ゼロのクラブを捜しました。 琴などの邦楽部が部員ゼロでした。 琴をやりたいとも思っていませんでした。 ピアノ、ドラムはやっていて、明るい楽器はやっていましたが、繊細な音色は触れたこともありませんでした。 悲しげな音色の琴にどんどんはまっていきました。 音色で会話出来ていて、支え合いながら寂しさを共有していた、そんな琴に出会ったのが人生のなかの財産だと思います。(僕が入らなければ琴は捨てられる運命にあった。)
*「レモンアカシヤ」 作曲、演奏:大川義秋 双葉町を想って作った曲
ベーシックな13弦だけではなくて、25弦、17弦、がありますが、僕は27弦と言うオリジナルを作ってもらいました。 人前に出てやることが苦手でしたが、中学に入って吹奏楽にはいって一つうえの先輩が凄く明るい人で、音楽を通していろいろ楽しく過ごすことが出来ました。 その先輩が津波で亡くなってしまいました。 音楽の楽しさを教えてくれたその人のことを思って作りました。 今では自然が豊かだった双葉町は大切な作曲をする時に大切な要素が詰まった街だと思っています。
東京都内のデザイン系の大学に進んで、教えてもらう伝手が無く、一人で琴を続けました。 琴は自分自身で思っていることを表せる大切なものになってゆくのではないかと思いました。 現在は文化庁の邦楽普及大使を務めています。 昨年は16ヶ国で琴の演奏をしました。 震災に関するやり取り、命の大切さについても話してきました。
*「ソラシドレ」 作曲、演奏:大川義秋 広島、長崎原爆を忘れないために。 2020年の8月頃に作りました。 災害を語り継いでゆく大切さに気が付きました。(コロナ禍) どんなコンサートでも命を大切にするという思いで、セットリストを組んでいて、辛い事を乗り越えた事、震災のことを触れながら、構成して演奏しています。 家族が支えてくれたというメッセージは必ず話すようにしています。 この15年の間の思い出が沢山増えたなと思っています。 2年前に双葉町で演奏した後に、50人ぐらいで街歩きをしました。 街は新しい住宅が出来たりさら地になって居たり、景色は変わっていますが、 お祭りが再開したり前に進んでいるなと感じます。
*「虹」 作曲、演奏:大川義秋 どこかで繋がっているなと言う思いをテーマに作りました。