土屋礼央(音楽家・ラジオパーソナリティー) ・肩のチカラが抜けたとき…
土屋礼央さんはミュージシャンであるかたわら、鉄道、野球、サッカー、F1など様々な趣味を持ったマルチタレントとしてテレビで活躍しています。 「肩のチカラが抜けたとき」と題して、順風満帆の芸能生活で突然であった転機と、そこにどう向き合ったかという体験をお話しいただきました。
1976年東京都国分寺市生まれ。 中学2年の時にミュージシャンになりたいと親に宣言していました。 子供のころに合唱を経験しました。 幼稚園の時に「コダーイ・メソッド」という最初の音だしぐらいはピアノを使うが、ピアノを使わないで、周りの声や自分の声で気持ちいい音を探ってゆく、耳の力を育てたいという教育を受けました。 自分のメロディーに変えたりして、オリジナルソングは楽しいと思っていました。 高校では自分に合った音楽のクラブはなかったので、卓球部に入りました。 進学校でしたがミュージシャンになりたいと言って、家で曲を作っていました。
早稲田大学のバンドサークルが早稲田大学にオープンカレッジがあって、高校卒業後もぐりこんでいました。 夜な夜な曲を作っていくという事が数年続きました。 一緒にやろうという女の子たちがいて、合宿でそこではじめて人前でオリジナルを歌いました。 こんな演奏では人に届かないと人に擦り付けてと言ったことを繰り返していました。 4年目に良かったと言われれのが、「ラブラブなカップリフリでチュー」でした。 その後「ズボンドズボン」の一員になりました。 「RAG FAIR」に卓球部の後輩が入って、彼から声がかかって参加しました。 「RAG FAIR」が北上のイベントで、お金を貰うイベントで、ミュージシャンを目指している身として、重要な経験だと思って参加しました。 アカペラがダサいと思うようになったことを箇条書き出してみました。 それを解消するようなやり方をすれば、元に戻れるのではないかと思いました。 お客さんに向けてのエンタメアカペラをやろうと提案して、やり始めました。
2002年に第53回紅白歌合戦に、「RAG FAIR」で出場しました。(デビューして1年) 自分で作ったものが、 「ラブラブなカップリフリでチュー」で行きたいと言っているレコードメーカーの社長がいるという事は、自分で作ったものが生活をしてビジネスしたいと言ってくれていることが非常に感動しました。 浮かれると言いうよりも、大変なことになったという事がデビューが決まってからです。 デビュー日のライブのパフォーマンスがありましたが、地上波のゴールデンタイムの生中継の放送でした。 紅白歌合戦が決まって事務所は本当に喜んでいました。 僕は最初のうちはいい加減にしてくれとしか思わなかった。 (また忙しくなる。 曲も作れていない。) 後で聞いた話だと土屋家及び親戚が全員集まって僕の応援をしてくれていたという事を聞いて、ほんとうに出てよかったと後悔の思いが多いぐらいです。
深夜放送のDJの話がありました。 アカペラを褒められるたびに自分を否定され続けられるようになっていました。 土屋礼央で仕事をしたいと言ってくれる人への嬉しさ、喜びがあり、これは全力で挑もうと思って快諾しました。 あれがあったから今のラジオ人生があります。 その間も「ズボンドズボン」、「RAG FAIR」、音楽もやっていました。 DJをやっていて、質問が有ったら一つぐらいは返せるようにした方がいいと言われて、好奇心が湧いてて、人の3倍生きてみようと思いました。 アンテナを張って学んでいけば、同じ24時間でも72時間分の情報を入れたら、一個一個同じ気持ちでやれるのではないかと思いました。 それからが面白い人生になりました。
或る時に声が出なくなりました。 (脳のストレスと思われる。) しゃべりもでなくなる時もありました。 だましだましやっていたが或るライブで声が出なくて、迷惑をかけると思ってライブを止めました。 結婚して子供もいるので、生業としていた歌が歌えなくなりました。 生放送のラジオは声が出たのでそちらに腹をくくれました。 落語を習っているうちに口も滑らかになり、歌も歌えないなら楽しめばいいと思いました。 若者へのアドアイスをしたらいいのかなあと思いました。 そういったことをやっていたら物凄く仕事が増えました。 「肩のチカラを抜く」と言うとらえ方もできるし、自分は成功者だと思って振り返って見ると、結構なアーカイブは残っているし、自信を持ってもいいんじゃないの俺ってと思えたら、これからの人生は楽しいんじゃないかあと思います。
どこを大事にしたいというところがあれば、何があっても自分の心は折れないような気がします。 若い頃はどんどんとがって、人に迷惑をかけても許されるような年齢の時には、自分の信じたことを徹底してやって、そこで反省して、傷ついて人のために生きようとようになるので、徹底してとがっていいよと、それを守るのが大人の責任だと思っています。