2022年1月6日木曜日

滝田栄(俳優)               ・いつも挑戦、わたしの自分探し

 滝田栄(俳優)               ・いつも挑戦、わたしの自分探し

1950年(昭和25年)千葉県印西市出身 71歳。  高校を卒業したら好きな道に進みなさいと母親に自立することを促され、東京に出てアルバイトをしながら働き大学の夜間部に入ります。  そのころたまたま見た映画に感動し、その興奮した気持ちを友人に話すと、君は俳優になるべきだと勧められ俳優の道に進むことになりました。  文学座や劇団四季で演劇やミュージカルを経験し、「草燃える」「徳川家康」などNHK大河ドラマをはじめ、テレビ、舞台、ミュージカルで大活躍します。  特にミュージカル「レ・ミゼラブル」は14年ものロングランになり、大好評でした。

長野県の原村に住んでいて、八ヶ岳が見渡せて白銀の世界です。  ここにきて42年になります。   豊かな自然に恵まれています。  自分がやりたいもの、目指すものは何だろうと常に考えてやってきました。   俳優という仕事は個人なので、考え方など自分の中で整理して目標に向かって歩いてゆく、自由を堪能するわけですが、厳しさ、大変さはあります。 

 大学受験のための勉強が自分にとっては全く無駄だと感じてしまいました。   学校が嫌になり、母に高校を卒業したら本当に自分がやりたいもの、やってみたいものを捜しなさいと言われました。   自分でやりたいものだったら2,3倍10倍でも頑張れる力を出せると言われました。  アルバイトをしながら生活を始めましたが、自分自身では苦労したという感覚はなかったです。   兄(兄・詔生(つぐお)は成田高校陸上部の元監督)などから「お前は大きいことをやってみろ」と励ましの言葉を言われました。   

大学の夜間部に行ってその間にやりたいものが見つかればいいなと思っていたら、「アラビアのロレンス」という映画を見て、友人に話をしたら「君は俳優になるべきだ。」といったんです。  友人が調べてきて、文学座の養成所を受けてみました。  難問のところとは知らなかったが受かってしまいました。  2000人が受けて50人が選ばれて1年後には10人に翌年には3人になってしまいました。  劇団四季がミュージカルに力を入れようとしていて、そこから誘いがあり、或る女性(後の妻)から行きなさいと言われ移る事になりました。  ロックミュージック「ジーザス・クライスト・スーパースター」のユダ役が評判になりました。  日本のミュージカル史上で初めての大成功だったんじゃないでしょうか。   音楽には自信がありました。  

一番忙しい時期にNHKから「草燃える」の話が来ました。  ユダの役と並行してハードにこなしました。   疲労困憊の時に「草燃える」の或るシーンで背中がブチっと音がして、背中の筋肉が切れてしまいました。   撮影を中止して巨人軍のトレーナーのところに運ばれて、舞台に立てるようにしてほしいと言ったら、鍼を30何本打ち込んで、痛みを散らして、反対側の筋肉を痛めたら動けなくなるからだから絶対激しい動きは駄目だと言われました。  鍼を刺したまま劇場にも行って、ユダの役も急斜面を転がり落ちるような激しい役でしたが、その日だけはそのような事は出来ず、違った動きに変えました。      

「徳川家康」の主役をやってほしいと言う話が来てやらせてもらう事になりました。    台本を読んだら徳川家康という人がさっぱりわからなかった。    そのうちに怖さを感じました。   竹千代時代に人質になって住んだ臨済寺に行けば何かつかめると思って、電話をしてしばらく役作りをさせてもらえないかと言ったら、修行僧まで逃げ出してしまうような世界なので無理だと言われてしまいました。  家康が7歳から19歳まで居たんだと思うと、必死でお願いしたら了解を得ました。   幾つか家康の核心に触れるようなものがありました。  住職から声を掛けられて、お釈迦様の涅槃図を紹介され説明を受けました。   お釈迦様がお亡くなりになった時に、地球上の生きとし生けるもの命あるものがすべて涙を流しているという絵だという事でした。 「なんですべてのものが涙を流しているのかね。」と問われて、「お釈迦様の方ほどになるとお別れが悲しいんですよね。 それしかわかません。」と言ったら、「その通り、弱肉強食を繰り返してきた人類のなかで、今でも地球上はそうだ。 どうしたら消える事のない安心、幸福というものを自覚できるか、手にすることができるか、それが判らなかったら生きている価値がない、命を懸けてその安心の姿、宗教というものを、そこに至る道を人間の歴史のなかで初めて示してくださったのがお釈迦様です。  すべての生き物の大恩人が今亡くなられた。  それで生きとし生けるもの命あるものがすべて涙を流している。  竹千代に対しては「お前はお釈迦様のような人になるんだよ。」といってここで教えたところです。  「これだ」と僕には見えました。  ほかの武将とは全く違う心の魂の姿と思います。  欲望成就、今の人間も変わらないと思います。  すべての生き物が安心して暮らせるような世の中を実現するんだという核心がここで出来たと思いました。  一時の役だと思っていましたが、その思いは続いていきました。    

「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役   見た人が人間って素晴らしい、生きるって素晴らしいと根本にかかわるような大本の力を、なんかヒントでもいいから示すことができるような仕事をしたいとずーっと思い続けていました。  「草燃える」「徳川家康」があり、「レ・ミゼラブル」のオーディションを受けました。  難関でしたが、演じる事になりました。  1秒たりとも気を抜くことなく、14年間演じさせてもらいました。肉体的な限界を感じました。   演じ終えて自分でもよかった、これをしたかったんだと思いました。    試練、妨害とかいっぱい出てくるけれども、ジャン・バルジャンは道を外さずによく生きたという、たったそれだけの話ですが、それを舞台でやらせてもらう事が出来た。  ジャン・バルジャンはイエス・キリストの愛という思い、よく生きよういう思い、家康はお釈迦様が教えてくれた大きな慈悲、自分を戒め、人類一人一人が幸せになる大きな生き方をはっきり示してくれた、この二人だと電気が頭に点きました。  今でも仏教にアプロ―チしています。  お釈迦様の好きな言葉は「人間は百万の敵に打ち勝つことは簡単だが己という一人の自分に打ち勝つことは一番難しいことだ。」という事です。  大事なのは「この今という瞬間」を真剣に生きるという事で、その連続なんだという事だと思います。