2022年1月15日土曜日

臼井真(元小学校教諭)         ・"しあわせ運べるように"は こうして生まれた(初回:2016/1)

臼井真(元小学校教諭)         ・"しあわせ運べるように"は こうして生まれた(初回:2016/1) 

*"しあわせ運べるように"   歌は神戸市立住吉小学校合唱部です。

今から27年前の平成7年(1995年)1月17日阪神淡路大震災が発生、6400人を超える人達が犠牲になり、建物の倒壊によって多くの方たちが学校の教室や体育館などで長期間の避難生活を余儀なくされました。  愛する人たちを亡くした絶望と先の見えない避難生活、そんな中、或る神戸の小学校のスピーカーから流れたこの歌が市内だけでなく、広く被災地に広がり多くの人たちを勇気づけました。  その後新潟中越地震や、東日本大震災の被災地でも歌われ、今では各国語に訳されて世界の被災地で歌われています。   この歌を作ったのが臼井真さん、現在61歳、去年まで小学校の音楽専科の教諭でした。  この歌が生まれるまでにはどのようなドラマがあったのか、臼井真さんに伺いました。  2016年1月16日のインタビューの再放送です。

(参照:https://asuhenokotoba.blogspot.com/2020/03/blog-post_21.html

あれからあっという間のようですが、神戸市の成人式に参加させていただいた時に、新成人の方たちが"しあわせ運べるように"を歌ってくれて、あの時に生まれた子供たちがこんな立派な大人になっているんだという事で時の流れを感じました。   平成7年(1995年)1月17日午前5時46分ごろ、地震が起きましたが、音楽指導のことがありいつもより早く4時半ぐらいに起きて、朝食を済ませ2階に上がった直後に地震がありました。   奇跡的に立っていた場所がよかったのか無事でした。   1階は完全に押しつぶされて、叔母が1階に寝ていましたが、ベッド毎横に押し出されて奇跡的に助かりました。 私がもし1階にいたら完全に死んでいたと思います。  二駅先に親類がいたので、スリッパで二駅歩きました。   電話もつながらず情報がつかめませんでした。   その後校長先生から連絡が入り避難所には2000人ぐらい入っていることを聞きました。    翌日学校である避難所に向かいました。    避難してきた人たちであふれかえっていました。    修羅場のような避難所でどうやって行けるだろうと何も頭に浮かびませんでした。  同僚の人々も大丈夫でした。  音楽何て何にも役に立たないと無力感を感じました。   

1月の末の夜に帰れた時に、ニュースで三宮の町が慣れ親しんでいた町ではなくなっているのにショックでした。   突然こみあげた思いをテーブルの上にあった紙に走り書きをしてその後に作曲、合計で10分ぐらいだったと思います。    2月中旬ぐらいに初めて授業らしいものが出来た時に、この歌を生徒に披露しました。  当時3年生だった子供たちが最初に歌いました。   ピアノが弾けて授業が出来たことがこんなに幸せだという事に涙が出ました。   ボランティアの方たちに子供たちが歌いましたが、多くの方が涙して聞いてくださいました。   2月27日に学校が再開するときに全校生で歌おうという事になり、ボランティアの人たちにも歌ってもらおうという事で子供たちが貼り紙をしたりしていました。  ボランティアの人たちからラジオ体操の前に流したいという要望がありました。   徐々に覚えていただきました。   全校生と避難者との橋渡しの役割にと言ってくださった先生が職員朝集で紹介した時に調理師さんなどを含め沢山の方が曲が終わった時に強い拍手が起こりました。   何もできないと思っていたのに自分にもできたことに感動しました。    

教員として「心のハーモニー」というキャンプファイアの歌を作ったのが最初でした。(教員として2年目)    4,5歳の時に友達のことを曲にしたことが最初でした。   シンガーソングライターになりたいと言う思いはありました。    ポピュラーソングコンテストがあり、「大和撫子」という曲を作詞作曲して出ましたが駄目で、その時に優勝したのが、「時代」を歌った中島みゆきさんでした。   子供たちと向き合う事によってどんどん曲が出来ました。  入学、卒業の行事の時の歌なども作りました。   天使の歌声合唱団で震災前から小学校では歌の活動はしていました。  神戸復興のシンボル曲になりました。   神戸市内の小学校をはじめ、追悼式、成人式、新潟中越地震、東日本大震災の被災地にも広がって行きました。   福島の小学校との交流がいまでも続いています。    10か国語に翻訳されて世界でも歌われています。   「神戸」をその土地の被災地名にすることで気持ちを共有することができます。   

最初、自分がこの歌で収入を得ることは絶対だめだと思って居まして10年ぐらい著作権を取りませんでした。   東日本大震災が起こった時、本が出版できた時に、直接的に目に見える形で支援が出来ることを知って、今は歌のCD、本とかの印税を全額東日本大震災で被災した子供たちへの支援のために使っています。  歌自体が語り部となってたくさんの人に届いているというのが嬉しいです。   歌自体が何かを届けているような気がして不思議な気持ちです。   20数年経って見ると、音楽の神様が何か力を与えてくれたのかなという感覚がします。   全国の子どもたちが知っている歌になってほしいと思っています。