2021年6月17日木曜日

鯉沼廣行(横笛奏者)          ・笛との出会い、人との出会い

 鯉沼廣行(横笛奏者)          ・笛との出会い、人との出会い

1943年 横浜生まれ。 中学時代TVから流れるフルートの音色に魅せられて、1963年国立音楽大学フルート科に入学、卒業後はリコーダーの演奏と指導に当たりました。   ヨーロッパ音楽一筋の鯉沼さんでしたけれど、故横山勝也さんの尺八や、女性琵琶奏者の琵琶の演奏に深く影響を受けて、日本の伝統楽器の演奏者に転身しました。   国内外で幅広く演奏活動を続けている横笛奏者の鯉沼さんに伺いました。

*「蘭(あららぎ)」  横笛奏者:鯉沼廣行

篠笛は竹のなかでも竹質が柔らかくて細くて一節が長い篠竹という竹で必ず一節で作るのが原則です。  日本の楽器はほとんどが中国、韓国、沖縄から入ってきていますが、日本人の生み育てた唯一の楽器が篠笛だといわれています。  雅楽の笛(龍笛,神楽笛、高麗笛)お能に使う能管、こんなところが日本の横笛の種類です。 

龍笛、能管などは真竹を使います。  頭の部分はバランスを取るために鉛が入っていたり石ます。   中は漆と石の粉で塗り固めています。   篠笛は温かいところほど一節が長い。  九州とか四国が多いが私のは千葉の竹を使っています。  福島が北限になって居ます。   楽器は高いが篠笛だけは安いので、商売にする人がなかなか出てこないんです。 フルートは元々木でできていて、くりぬいて、指孔が6つでバロック時代に小指にキーが一つ付いて、段々キーが増えてきて金属になっていまの楽器になりました。  

西洋の音楽は音程がきちんとしています。  日本の音楽にはハーモニーがありませんから、音色を大事にします。   

去年も駄目で今年の演奏会は計画していません。  お稽古はしています。  海外は一昨年春にシチリア、秋にポルトガル、ニューヨークに演奏会で行ってきました。   所沢に自宅,稽古場があり、山梨県にアトリエがあります。  

子供のころお祭りの神社に行ったら笛を吹いて売っているおじさんがいました。  いい音だなあと思って自分の小遣いで買いました。(安かったと思う)   2,3曲吹いたがあきてしまいました。    中学時代にフルートの音色に魅了され、国立音楽大学のフルート科に入学しました。   バロックの音楽に興味を持ってリコーダーという楽器を知って、大学を卒業後リコーダーの演奏家として、踏み出して、母校の講師も務めました。   

横山勝也先生の尺八を聞くチャンスがあり、大変なショックを受けました。  美しいという事だけでは言い表せない人生を深く見つめ直すような音楽でした。   大島の旅館で枇杷の演奏を聴きました。  その時も大変感動しました。  スイスのバーテル音楽院に行ってリコーダーを極めようと思って、多少日本の音楽も知っておかなければと思って、家内がお琴を始めて私が能管を始めました。  どんどん面白くてのめりこんでいきました。 

*「 篠の音取り」  横笛奏者:鯉沼廣行

音取りは雅楽で用いる前奏曲。 「禰取」とも書く。  比較的短い無拍節の曲で、これから演奏する曲(これを「当曲」という)の調子を知らせる。  各楽器の主奏者によって奏され、楽器の音合わせの役割も兼ねる。

子供のころ祭りの神社で出会った笛作りで笛を吹いてくれたおじさんは、笛作りの名人の朗童さんでした。   京都に笛を求めに行って話しているうちに川崎の神社の祭りで出会ったことがわかりました。   注文の笛を要望しましたが最初は首を縦に振ってくれませんでしたが、私の理論が勝ったようで以後、どんどん作ってくれるようになりました。  秋山ちえ子先生の講演の時に笛を吹いてといわれて吹かせていただきました。   秋山先生はいろんな方との出会いをくださいました。

武満 徹さんとも黒澤明監督の「乱」で篠笛の場面で演奏したり演技指導もしました。   話が来た時にはとても喜びました。  大河ドラマ1994年の「花の乱」 1997年の「毛利元就」で笛の演奏と指導を担当をしました。  

高田三郎先生からは作曲を学びました。  怖い先生でした。  音楽の教育科を立て直せと言って先生の鶴の一声で講師になってしまいました。  25歳から50歳まで25年間勤めました。 

演奏旅行で全国を回るようになって、写真を撮るようになり、仏像に関心がり、全国の石仏を撮るようになりました。  「出会いの時」写真集を去年の秋に出しました。  エストニアでの演奏では「悲しみ」がわかりましたといわれて感動しました。