2019年4月11日木曜日

安田侃(彫刻家)             ・時空を超えた彫刻を目指して

安田侃(彫刻家)             ・時空を超えた彫刻を目指して
北海道美唄市に生まれ大理石やブロンズを用いた有機的な曲線と、環境を選ばずあらゆる空間と調和できる作品作りが特徴で、その作品は国際的に高く評価されています。
その安田さんの作品が置かれているのが、北海道の中央部美唄市の森の中に広がる「アルテピアッツァ美唄」です。
今年開園27年目を迎え世界からも注目を集めて来ます。
安田さんの作品にはここ以外にも札幌駅、北海道立近代美術館、東京ミッドタウン、東京国際フォーラムなどで出会う事が出来ます。
安田さんは作品に付いて昔のお地蔵さんのように触れて遊んで貰う事で生かされると言う事があるんですよと言います。
その作品に込めた思いや作品との向き合い方等に付いて伺いました。

「アルテピアッツァ美唄」が開館したのが1992年、今年で27年目になります。
日本に帰国するようになって美唄にアトリエがあればいいなあと思って相談したら、体育館で使っていないものがあるがどうだろうと言う事で、体育館を使わせてもらいました。
学生時代のものとか、イタリアで作ったものなどを置いていました。
どんな吹雪の日でもバス停から降りた子供たちが歩いているのを見て、遊ぶような広場が出来ないものかと思って、それがきっかけとなって、役所の若い人たちが取り組んでくれました。
昔は美唄市は9万人位いて、石炭を採掘していました。
盆踊り、雪祭りなどが物凄く盛んでした。
三井、三菱という大きな財閥でしたので文化的なものを最初に持ってきていました。
映画も札幌より早かったり、歌劇団も来ていました。

子供の時から知っているところに自分の作ったものを置くことは、何の違和感もなかったです。
彫刻を体験する授業もあります。
「ようこそ先輩」というNHKの番組を頼まれたが、何をやっていいかわからなかったが、抽象の物を石で彫らせてみたら面白いかなと思って、子供達に自分の心を石に彫ってもらいたいと言ったら、物凄く良くできたんです。
もやもやとした不定型のものを形にする、それに自分の気持ちも入り、一番難しい石を使ってすると言うのが小学校5年生で出来ると言う事が判りました。
それなら大人でもできるだろうと、いまでも続いています。
10歳ぐらいから80、90歳の方までもやっています。
「良い物を作らないでください」といって、「あくまで自分の心を正直に彫って下さい」と言っています。
或るお婆さんが「もう自分の心はいい、自分は判ってるんで、この石に山を掘りたい」と言うんです。
又或る人は「亡くなった妻を彫りたい」と言う事で、「顔ではなくて、奥さんのイメージが石に刻まれたらいいのではないか」と言ったりしました。
2日目になると段々無心になってきて、集中してきて、無心への入り口になる訳です。

私の作品は札幌駅、北海道立近代美術館、東京ミッドタウン、東京国際フォーラムなどでも出会う事が出来ます。
興味を持った人に応えられるものを持っているのが、凄くいいパブリックのアートではないかと思っています。
公共の場は誰も面倒は見てはくれないが、公共空間におけるモニュマーの日本での最高傑作は忠犬ハチ公だと思います。
興味のある人、好きな人が見に行くし、触るし、寒ければ襟巻をしてくれるし、大切にしてくれるし、人に愛されている。
精神性が多くのファンを離さないんだと思います。
見慣れてくるとごく自然に当たり前にあるように見えてくる。
環境の中になじんだ方がいいと思います。
なにも考えないでノミで彫り続けてできたものが一番いいと思っています。
ノミで彫って行くと瞬間、瞬間に形が変わるので、それを追っかけて行くと言う方が、自分が想像だにできなかった形に繋がって行くような気がします。

1991年にミラノで市が主催して、日本の銀座通りの様なところで個展をさせてもらいましたが、台座を置かないで直に作品を置いて、昇ることもできるし触る事もできる展覧会をさせてもらいました。
彫刻の材質にじかに触れると言う事は何かを感じてもらうのは一番近い、その人だけになると言う事を確信した。
5か月間の展示で5000万人の人が見たと言われます。
触ったりして何も感じない人でも記憶が残っていて、何年後かに感じると言う事があります。
ミラノをスタートにイタリアのいろいろな所要都市の街中全体を使って展覧会を使ってやらせてもらいましたが、子供の時に彫刻に触ったり遊んだりしたと言う事を大人になって挨拶されたりして、本当にうれしかったです。
子供の時に母親と歩いていた時に、必ずお地蔵さんに手を合わせて、僕には十円禿があったんですが、そこに母親は指に唾をつけて触って「髪が生えて来ますように」と拝んでその記憶がずーっと強烈に残っていて、願いを託すと言う事を理屈なしに身に付いたような気がします。
自分の彫刻もそういうふうに触ってもらって、その人の願い事、悲しい時、嬉しい時に話し合い手として、街角にさりげなくある彫刻の作品でありたいと思います。

六本木のミッドタウンの地下に、穴のある石がありますが、子供に大人気で、靴を脱いで下に並べて数人中に入ったりしていますが、外人が来て写真を撮っているんです。
彫刻を撮っていないで、靴を撮っているんです。
「日本の子供は何て可愛いんだ、入るのに靴を脱いで並べて入っている」と言うんです。
鮮明に日本のしつけ、文化が伝わるんだろうなあと思いました。
ドイツ系の或る美術評論家の人が言ってくれたのは、「貴方の彫刻はクルミの実の様だ、実の様に見たり触ったりする人は時々目の前に思いだしたりする、奇妙な形をしていて納得はいかない、納得がいかない分だけ、何日間か時々フッと思い出すだろう。
思い出すごとにクルミの実の種に肉がついてゆく。
実がどんどん増えて自分で実の種に肉付けをして、その人だけのオリジナルの形が出来て来る。
あなたの彫刻は実の種の役割りをしている」と言われました。

イタリアに50年近く生活していましたが、西洋の歴史は彫刻なんです。
歴史の出来事を彫刻が反映していると言われている。
平成の時代を無意識で表しているんだと思います。
100年後にみる人は平成はこんな良い時代だったんだなと思われるかもしれない。
時代の生き証人としての役割があるのではないかと思う。
イタリアではミケランジェロを越えたかと言われました。
パンテノンを越えた建築は3000年後にもないだろうと言われる、あの美しさ、格調の高さ。
ギリシャ人の考えは歴史は逆に決して進化している訳じゃないと言う事を証明しているのではないか、後退しているかも知れないと、ギリシャ時代の彫刻、建築が証明していると言われると、そうかなあと思ったりします。
平成時代はこんなにいい時代だったのかと言われたいと言う気はどこかにあります、戦争は起きていないし。
100年後に彫刻は土に埋まってるかも知れないが、一部が出てきてこれは大発見かもしれないと思うかもしれない、部分を疎かにできないと思って、すべての部分にエネルギーを注いで仕上げています。
六本木のミッドタウンの地下に、穴のある石がありますが、あれが一番の自信作です。
「意心帰」と言う名前で、形が心に帰り、心が形に帰る。