根岸季衣(女優) ・〔私の人生手帖〕
朝の連続テレビ小説、114作「風薫る」に出演が発表されている女優の根岸季衣さん。「ハイカラさん」「澪つくし」の連続テレビ小説、民放の「ふぞろいの林檎たち」と数多くのドラマに出演、映画の大林宣彦監督の作品の常連としても知られています。 根岸季衣さんは1954年東京都出身、つかこうへいさんの、『蒲田行進曲』で注目を集めました。 20歳のころ演劇科の大学を辞め、保育士を目指して短大に入りなおしましたが、その短大も『ストリッパー物語』の主役に
「風薫る」に出演が決まりました。 明治時代のことで、看護師としての職業はまだなくて、看護学校に学んで、二人の女性の生き方をずっと描いていきます。 姑の役です。 栃木弁でやります。 母は95歳になりますが、朝ドラに出ると言ったら喜んでくれました。 11月の夜ドラにも出演します。 偏屈なばあちゃん役をやります。 平屋に住んでいる若者の話ですが、おばあゃちゃんが若者と触れ合ってゆく、楽しいい仕事でした。
デビューが1974年、映画「廃市」恋に滅びてゆく愛の物語ですが、大林監督に抜擢されて感謝しています。(美人役でした。) 愛に滅びてゆく役なので痩せてくるように言われ、それほど無理をしないでも落とせました。 行ったら監督も感動してくれました。 下剤も使ったこともありましたが。 今も1週間に一度絶食するようにしていますが、これは体にいいです。 痩せないけれど体はスッキリします。 水はがぶがぶ飲みます。 一晩ぶっ通しで撮影したりしていました。(低予算) 大林監督の作品は27本出ています。 内容の判らないまま出てくれと言われて出演した作品もあります。
映画を作るってこんなに楽しくって面白くて素敵な事なんだという事を、大林監督から教えてもらいました。 「時をかける少女」は恋物語でもあるので、「私たちはまだまだ青春と思っていたのに、青春を見守る側になっちゃったんですね。」と言ったら、監督が「僕たちはずっと青春なんだよ、でもあの子たちは無自覚の青春なんだ。」っていいました。 素敵な表現をする監督でした。 いい出会いが出来てラッキーだったと思います。
小さいころは出たがり屋でした。(学芸会とか) 劇団とかダンスとかは近くになくて何もやれませんでした。 高校の時にダンス(モダンバレエ)を始めました。 19歳の時につかこうへい事務所に見に行って、入団しました。 アルバイトで保育園に行ったら楽しくて資格を取らないといけないと思って、専門学校に入りなおしましたがそこではおもしろくなかった。 1975年の『ストリッパー物語』の主役に
ダンスをしていたことによって、凄く助けられたかなと思います。 ダンスは身体が喜ぶと言った感じです。 『蒲田行進曲』では3か月やっていて一日も真っすぐ家には帰りませんでした。 20代なのに毎日身体がきつかったです。 喜びも考える暇もないようでした。 オファーして頂けるので、それを受けているだけで十分楽しいというか、そういった感じです。 子供に対しては今思うともっと時間を割いてあげればよかったと思いますが、よくまともに育ってくれたと思います。 長男はお坊さんになっていて、次男はドラムをやりながらライブハウスの仕事をしています。 弁当にはポリシーがあって、夜の残り物、冷凍食品は使わないという事をしてきました。 両親が助けてくれたので助かりました。 70歳を越すとやたら昔が懐かしくなります。 それまでは振り返る暇がなかったんでしょうね。
熱海に住んでいるので、週2回日が出る15分前にビーチに行って、ラジオ体操とストレッチヨガをやっています。 (冬は厳しいが日の出がいい。)