2025年9月25日木曜日

村田あやこ(路上園芸鑑賞家・ライター)  ・〔私のアート交遊録〕 道ばたに咲く植物に魅せられて

村田あやこ(路上園芸鑑賞家・ライター)・〔私のアート交遊録〕 道ばたに咲く植物に魅せられて 

福岡の自然豊かな街で育た村田さん、東京にはコンクリートジャングルのイメージがあったが、住んでみると緑の多いのに気が付いたと言います。 道端の何気ない植物たちは計算された美ではないが、あれているとも違う、その場に共存している姿に思わず見入ってい仕舞い、気は付けば疲れた自分が癒されていたと言います。 こうしたた村田さんの路上園芸観察がSNSを中心に話題を呼び、路上園芸学会を立ち上げ、園芸活動や植物の魅力を発信していますが、あえて会員は募りません。  あくまで緩く楽しみたいというのがその理由です。 村田さんに道端の花や草などの見方を通して日常の光景に価値を見出すその視点について聞きます。

福岡で生まれて家のすぐ裏に山があって、毎日山の中を駆け回るような子供時代を送っていました。  大学は北海道に行って、そこでも自然豊かな状況でした。  東京で就職をして20代半ばで植物と付き合うような仕事っていいなあと突然思い立ちました。  植物を使った空間デザインに興味を持ちました。  その後街角の緑に目が止まるようになりました。 自然と一緒になって長年かけて育ってきたような風景はなんか健やかで素敵だなあと思いました。或る時から写真をSNSにコメントを一言添えて投稿する様になりました。  そうするとよく見るようになりました。  そういったことが重なって本に繋がっていきました。 

言語化するという事が良かったと思います。  自分の正直な思いを言葉にすることによって、そこが誰かと響く部分と言うのは大きかったと思います。  美術を楽しむことと共通するところがありますね。  当時、神保町での昼の散歩が日々の楽しみになっていて、街角の植物を観た時に独り脳内大喜利大会のような感じで脳トレをはじめて、ゴロのいい言葉はないかなあと親父ギャグを思い浮かべるよいうになりました。  漬物の樽を転用した鉢が有ったら、これは別の業界で活躍していた器が転職していたという事で「転職鉢」といた風に言葉にしていきました。  そういったことはメジャーな楽しみ方だと思います。  言葉にすることによって、自分にとっての名所になります。 「植物壁画」「果肉御殿」とか本の中にあります。  発砲スチロールは「転職鉢」でもメジャーなものです。(軽い、加工しやすい、手に入りやすいなど)

蔓系の植物ではビルの壁面にはって、面白いと思います。  落葉性だと綺麗に紅葉することがあります。  落葉すると茎だけになってドローイングのようになって、偶然出来たアートのようなものになります。  楽しみ方の素材は街中にごろごろ転がっています。 

中、高校時代には植林のボランティアなどもしました。  本を作る仕事をしたいと漠然に思っていました。  巡り巡っていまは植物の本を出したりしています。  カメラで写真に撮って記録してみると、何年後かの風景と比べてみると、その差が楽しいです。  コンクリートの隙間から生えている様な小さな草花でも、俯瞰で撮ってみると砂漠の中のオアシスに見えたり、撮る角度によって全然違ったものに見えてきます。  他人の撮った写真と見比べてみるのも楽しいです。  

塚谷裕一先生の「スキマの植物図鑑」には、道端の草と言うのは人間から見るとド根性〇〇というキーワードで語られがちですが、意外とそういう場所は光を遮るという事がなかったり、水を独り占めできる楽園なんだよと言う様なことが書かれています。  偶然種がたどり着いて、そこがあっているからだけで、不思議に見えるがそこが何かしらの理由であっているからそこにいるんだろうなあと思って、想像しながら見ていると不思議だなあと思います。

街中に大きなサボテンを見かけましたが、そこにも物語があり、東日本大震災で水道管が壊れて根腐れして枯れてしまったが、以前株わけしたところから逆に分けてもらって大きくなったと言った話もあります。  路上園芸に関して言うと、人の生活が濃厚なエリアにたのしい風景がひろがっているように見えます。  その街のリアルな生活風景に触れられる入口になるのではと思います。  名前を憶えてゆくのも楽しくなると思います。 お薦めに一点はドラマで「パンとスープとネコ日和」です。 (鉢植えの風景などが良く出てくる。)