柳家さん生(落語家) ・落語で故郷・富山に挑む
江戸落語の演じ手として東京の寄席に出演する傍ら、ふるさと富山でも積極的に落語会を開催して落語ファンを拡大しています。 地元の声に応える形で始めた富山話と言われるオリジナル落語の制作、上演にも力を入れています。 東京と富山を行ったり来たりするなかで生まれた故郷への思い、江戸落語への思いを伺います。
東京と富山は半々です。 二拠点生活はコロナのちょっと前ぐらいからです。 1957年富山県富山市出身。 1975年に富山県立富山東高等学校を卒業、日本大学藝術学部に入学、1977年中退して5代目柳家小さん門下の3代目柳家小満んに入門する。 前座名は小勇。 1982年二つ目に昇進、1993年、真打に昇進し、さん生に改名する。
8代目文楽がいいなあと思って、3代目柳家小満ん師匠に訪ねて行きました。 自分ではなまっているつもりではないけれど、なまっていると言われて富山には帰らないでいました。 コロナ禍の半ばごろから富山でやるようになりました。 2023年から富山の人物を取り上げた新作落語を毎年1人づつのペースで発表しています。 最初は日本の治水技術、砂防技術の基礎を築いた赤木正雄さんを題材にした落語を上演する。 実は富山出身ではなかった。
飛越地震が昔あって山が崩れて、土砂が雪解け水、嵐などのたびに川に落ちてくる。 村が駄目になって砂防を明治からやって来るが、上手くいかなかった。 国に陳情して作り上げていった。 赤木正雄さんを題材にした落語を上演する。 まずは関係者約150人ぐらいのところで行いました。 2024年「鍬は刀なり」(富山県の名産の入善ジャンボ西瓜と流水客土にまつわる話。) 流水客土とは周辺台地の赤土を水と混合し用水路を通して水田に引き入れる工法で、昭和26年度から昭和35年度にかけて黒部川扇状地・小川扇状地の5,522ヘクタールで実施された。 県会議員になって口説いて予算を取ってしまう。 黒部川の両岸の土地の土壌をを変えてしまう。 入善ジャンボ西瓜は大きいのは25kgあります。 2025年発表が町医者萩野昇という人の話。 イタイイタイ病をテーマに取り上げた落語。 国と戦って弁護するときに、「僕は一介の町医者なのでとても国と戦う力はありません。 でも患者が可哀そうです。 だから僕は助けるんです。」と言っただけで帰って行くんです。 原因不明の奇病に苦しむ多くの女性患者たちがいた。 (ほんの一角だけ) 三井金属鉱業神岡鉱山から排出されるカドミウムが原因であることを突き止め発表する。 地元からも「嫁のきてが無くなる」「米が売れなくなる」と白眼視される。 しかし立ち上がる。 (1968年5月8日、厚生省はイタイイタイ病を公害病と認定した。同年日本医師会最高優功賞、朝日賞を受賞。)
新作を作るならば人情噺として作ります。 リアルにしゃべれないので、モルモットになっているネズミが喋るという風にしました。 古典落語をやったあとに、この新作落語をやったんですが、古典落語は余計だねと言われてしまいました。