2025年9月23日火曜日

坂崎幸之助 (THE ALFEE ミュージシャン)  ・走り続けてなお、終わらない夢

 坂崎幸之助 (THE ALFEE ミュージシャン)  ・走り続けてなお、終わらない夢

THE ALFEEは1974年にデビュー、桜井賢さん、高見沢俊彦さんと共に去年50周年を迎えました。 ライブ通算本数3000本を目前にして、今なお精力的に活動しています。 坂崎さんは今年6月寄席デビューを果たしました。  幼いころから通っていた演芸場で71歳にしてデビューしたいきさつについて、また多くの趣味を持ちカメラや骨董などコレクターとも知られる坂崎さんが幅広い分野で活動を続ける思いも伺います。

紅白に41年振りに出ました。  新規のファンが増えました。  来年でライブ通算本数3000本になります。  メインボーカルを皆で歌うことを目指していたので、当たり前と思っています。  THE ALFEEの雰囲気は良く平和だと言われます。  最近は寄席デビューしました。  初代林家三平生誕百年記念興行の浅草演芸ホールで行いました。 三平さんは子供のころから好きでした。 小さいころから浅草演芸場、上野鈴本などに行っていました。   深夜放送で「すみません」コーナーをやっていました。  事務所に三平さんの弟子の新平さんが来たので、三平さんのところに連れて行って貰うように頼みました。  家に伺ったらミュジシャンで弟子になったのが二人いるんだと言いました。  YMOの高橋幸宏とTHE ALFEEの坂崎幸之助だと言ってくれました。 (本当の弟子ではないのですが、そういって下さいました。)  そこから付き合いが始まりました。  

生誕百年になるので出てくれませんかと言われました。  どうせやるならギター漫談をやろうかなと思いました。  ネタは書いていました。  大変受けました。 落語協会に入ってくれないかと言われましたが、さすがに敷居が高いです。 71歳でデビューと言うのは自分の人生の中でも大きな出来事でした。  続けているといろいろと夢が降って来ます。  フォーク・クルセーダーズに中学1年の時に憧れましたが、2002年に再結成すると言って、加藤さん、北山さんが坂崎を呼ぼうと言って、3人でやろうと言ってこれも一大事でした。 吉田拓郎さんとか憧れた方と共演と言うのが結構ありました。 それもTHE ALFEEを続けているからだと思います。 

メインの趣味はカメラ、骨董一般ですが特にガラスです。  江戸切子大使をやっていて、江戸切子は、昔は江東区、墨田区が一番盛んでした。  カメラ、骨董は40年以上やっています。  始まると好奇心が旺盛なのでどんどんはまってしまいます。  中学の時にグッピーを飼いだして、同じ仲間にどんな魚がいるのだとか、グッピーは卵をお腹の中で孵して出てくるので、他の同様な魚はいるのかとか調べて、飼ったりしました。  ギターは200本弱あります。  去年欲しいギターがあり、それを買うのに30本ぐらい手離しましたが、半額ぐらいにしかなりませんでした。 30年ぐらい前から売らないのか聞いていました。 日本では1本のギターと思っていたら、マーチン社の1968年製の試作器でずーっとウインドウの中にあったんです。  憧れていたギターだったんです。 カメラも2000台買ったことがあるんです。  カメラをセリで売ったりしました。  

コレクターは自分で抱えてしまうのではなくて、継承していくこともあると思うんです。 海外から買い戻したものもいいものがいっぱいいあります。  生き物はカメが5,6匹とヤモリの仲間が3匹、猫が6匹です。 (減りました。)  

自分がギターを弾きたくなったのは、エレキギターブームです。  小学校4年ぐらいからベンチャーズ、ビートルズが好きになりました。  中一でフォークギターを買って、フォーク・クルセーダーズ、そして日本のフォークにはまって、拓郎さんに行くんですね。 桜井とはコンテストで知り合いました。(彼らが優勝した。)  高見沢(当時ロック)も桜井と同じ高校でした。  大学で又ばったり高見沢と会って、その後3人でやるようになりました。

「結婚しようよ」で吉田拓郎が世に出て、フォークがメジャーになって行き、その後いろいろなグループが出てきます。  大ヒットし始めたのが1973年ごろです。 僕らがでた1974年は何百組と出たんです。  3,4年ぐらいはレコード会社のない時代がありました。  独りだと落ち込みましたが、3人集まると頑張ろうみたいな雰囲気になりました。 

29歳の時に一回目の紅白歌合戦に出ることになりました。  3人の音楽がちょっとずつ違っていたので、お互いの刺激になりました。  アコースティックギターをバンドの中に取り入れた方が面白いと思いました。  作品に関しては高見沢任せです。