沢知恵(歌手) ・時を越えて響くこころのうた
沢さんは1971年神奈川県生まれ。 父は日本人、母は韓国人です。 日本、韓国、アメリカで育ち3歳からピアノを弾いていました。 東京芸術大学在学中に歌手デビュー。 ライブハウスでの公演のほか、国立ハンセン病療養所や災害の被災地、少年院、刑務所などでも精力的に歌っています。 一方で2018年には岡山大学大学院に入学して、ハンセン病療養所の音楽文化の研究をしました。 その研究の内容は歌に刻まれたハンセン病隔離の歴史、「演歌は歌う」と言う本になっています。 今年は日韓国交正常化60周年、実は沢さんの祖母も岡山と深いゆかりがあったと言います。
*「心」 作詞:キム・ドンミョン・訳:キム・ソウン 作曲:沢知恵 歌:沢知恵
およそ100年前に作られた詩を、詩人だった母方の祖父が日本語に翻訳し、沢さんが曲を付けました。 1998年に戦後初めて韓国で公式に日本語で歌われた歌です。 戦後長い間韓国では日本語の歌は放送でも流してはいけないし、歌ってもいけなかった。 2025年は戦後80年、ラジオ放送開始が100年、日韓国交正常化60周年です。 父は戦後初めて韓国に留学した日本人となりました。 キリスト教の牧師になりたくて日本の大学で学んでいて、韓国の隣人になりたいと言って韓国に留学しました。 留学先の大学で恋をして結婚を申し込みました。
日本人との結婚には当人も無理だと思っていたし、周り全部が反対した。 祖母だけは反対しませんでした。(心を訳した人の妻) 祖母は昭和7年から8年にかけて留学生として日本に来て、 笠岡高等女学校(当時)で学んで卒業しています。 卒業アルバムに母が移っていました。 笠岡教会で祖母はオルガン師として勤めたことも判りました。 40年以上使っていなかった小さなオルガンがありました。(祖母が使ったであろうオルガン) それを沢知恵さんが弾きました。 1971年2月14日に私が生まれました。 国と国とかの繋がりも有りますが、人と人の繋がり、温かさ、思いやりとかが一番大事じゃないかと思います。
ハンセン病療養所の大島青松園の近くに行きたいなあと思いました。 父は牧師になるための研修として1年間大島青松園の教会にお世話になり、その後韓国に留学しました。 父は生後6か月の私を連れて療養所に連れて行きました。(当時は赤ん坊を連れてゆく事に対し周りは反対した。) 父は私が高校生の時にがんでなくなりました。 20年ぶりに私が行ったら「知恵ちゃんかい」と言ったんです。 皆さんと共に泣いてしまいました。 2001年から毎年大島青松園でコンサートをしています。
全国に13の国立療養所がありますが、去年が750人ぐらいで、今年4月には639人になっています。 平均年齢は88,8歳。 岡山にはほかに長島愛生園、邑久光明園があり私の家から3つの療養所に通えるという事が判りました。 毎週のように通うになり、ハンセン病療養所には豊かな音楽文化があったという事を知りました。 岡山大学大学院に入って2021年に50歳で終了して、ハンセン病療養所にあった園歌を研究しました。 ハンセン病の患者がこの世からいなくなることが国家に奉仕する事、と言った内容もありました。 民族浄化という歌詞が出てくる園歌もあります。 歌を歌わせるときに上から働く力と言うものの恐ろしさ、と同時に辛い療養所生活を仲間と共に歌で乗り越えたという、下から湧き上がる力も又音楽の力なんだと思いました。 長島愛生園の歌が一番多いです。 全国療養所の中で唯一新良田教室(高等学校)が出来て(1955年)、全国から受験があり、1987年に閉校するまで300人以上が卒業しています。 その校歌があり、生徒が作詞、作曲しています。
*新良田教室 校歌 歌:沢知恵、森
挽歌「生と死」 人が亡くなった時、慰霊祭で歌ったという事です。 作詞:黒川ひとみ(開拓患者の一人 作詞して翌年亡くなる。 25歳)
*「生と死」 歌:沢知恵