谷川浩司十七世名人(将棋棋士) ・考え続ける棋士であれ ~史上3人目、1400勝達成~
谷川さんは今年1月通算1400勝と言う記録を達成しました。 大山泰治15世名人、羽生善治9段に続く史上3人目の快挙です。 阪神淡路大震災から30年となる今年1月に打ち立てたことに特別な思いがあると話します。 棋士として生きて半世紀、さらなる高みを目指そうとしている谷川さんの棋士人生を伺いました。
14歳から初めてまもなく50年になります。 20代、30代がプロ棋士として最盛期ですので20代は年間40勝するのが当たり前といった感じですが、40代を過ぎるとなかなか勝てなくなってきて、最近は二桁10勝するのがやっとという事なってきています。 昨年11月、12月は成績が悪くて7連敗しました。 1398勝になってから進みませんでした。 新年早々の対局で一つ勝つことが出来ました。 1月15日に達成できました。 郷田さんとの対局でした。 30年以上対局してきた相手で、或る意味安心感はありました。 持ち時間が一人6時間で、休憩の時間などを合わせると、午前10時から始めて23時ごろまでかかりました。 20代から得意にしている戦法を選びました。 勝ってホッとして記者会見を行いました。 節目が新会館でした。 阪神淡路大震災30年の節目の年もありました。
1433勝が大山15世名人の記録で、30代のころから大きな目標としてきました。 その目標を掲げる事にはなったと思います。 42年前になりますが、21歳で名人戦の挑戦者になって加藤一二三名人に勝って最年少名人の記録を作りました。 30年前は震災の中、羽生善治さんを挑戦者に迎えて王将戦の7番勝負で第7局で勝利を納めました。 そういった様々な場面が浮かんできます。
兄と二人兄弟ですが、喧嘩をしないように父が将棋盤を買ってきたのがきっかけです。 一つのことをはじめれば長く続く性格です。 体力が必要なので室内自転車も30年以上やっています。 10手、20手先の局面は頭の中で動かしていきます。 私の場合はパソコンの画面で白黒です。 頭のなかの駒の文字は一つです。(王、飛、角とか) どういう映像が浮かぶかは棋士によってちがうようです。
序盤が駒組で、中盤が戦いがあって、終盤は相手の玉を詰ませるとなりますが、終盤の寄せを20代に「高速の寄せ」と付けていただきました。 終盤の始まりでいろいろなイメージが出来ていたのかなと思います。 詰将棋を小学生、中学生にかなりやっていたのでその影響があったのかと思います。 「高速寄せ」は30年前は私の得意分野でしたが、私を研究してくるので、平成、令和のトップのレベルは高くなってきています。 AIを使ってパソコンで研究してゆくので、定石の整備、進化は昔とは比べられないほど早くなってきています。
震災を経験したことで神戸に対する愛着が強くなりました。 自分が住み続けることで神戸の復興を見届けたいと思います。 私の住んでいるところは被害はなかったのですが、両親が住んでいる実家は全壊しました。 大きな怪我はなかったのは不幸中の幸いでした。 羽生さんが7冠達成の挑戦者としてきて、第一局(1月12,13日)の4日後が1月17日でした。 19日妻の運転で大阪に行きました。 普段は大阪まで30分ですが、朝出掛けて大阪のホテルに着いたのが夜の9時になっていました。 20日に対局がありました。 23日には栃木県の日光に行きました。 羽生さんにはタイトル戦で7連敗をしていました。 大坂では温かいご飯が食べられたり、今迄当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったんだという事がわかりました。 対局が出来るという事が幸せだと思えました。 初心を取り戻すことが出来ました。 被災地のためにという思いは強かったですね。 防衛が出来ました。 1月17日生まれの子が弟子にしてほしいという事で受け入れました。 考えるヒントを与えるようにしています。
ここ3年ぐらいは藤井さんの圧倒的な強さがあります。 藤井さんが25歳になるころには将棋界も様替わりして、藤井さんと同年代、後輩の棋士たちによるタイトル争いになって行ってしまうかもしれないです。 ここ数年でAIの影響が凄いですね。 50手ぐらいまではシュミレーションして臨むとか、詰みの近くまで調べておかないといけないぐらい、最新の流行の形で戦おうとすると、それぐらいの準備が必要と言われて来ています。
1時間かけて結論が出そうもないと思うと、指してしまう事が多いんですが、藤井さんは苦労をいとわずに真剣に考えてきたことの蓄積が、今の藤井時代に繋がっていると思います。 40歳ぐらい若い棋士と対局するのも楽しみの一つです。 1433勝は一つに目標として行きたいと思います。 年齢を重ねる程将棋の奥深さを感じます。