柏原寛司(脚本家・映画監督) ・あぶない脚本家の野望
柏原寛司さんは東京出身。 大学在学中に映画撮影所にアルバイトとして入り、特撮テレビ番組「クレクレタコラ」で脚本と助監督を経験しました。 1974年俳優萩原健一さん主演のドラマ「傷だらけの天使」で脚本家として本格的にデビュー。 その後「西部警察」、「大都会」、「危ない刑事」など数々の映画やドラマの脚本を執筆しています。
数々のドラマを描きましたが、NHKはないです。 毎回殴ったり蹴ったり撃ったり殺したり爆発したり、NHKぽくないです。 1949年東京・人形町に生まれました。 最初は紙芝居が好きでした。 次に漫画、次に映画となりました。 人形町には7軒映画観がありました。 銀座、上野も近いので映画を観る環境は凄くよかったです。 西部劇が大好きでそれが基本になりました。 石原プロは車の壊すのも派手で大変でした。 友人から日本の映画を観るように勧められたのが「用心棒」と「七人の侍」でした。 高校の時に観たんですが、吃驚しました。 それから日本映画を観るようになって監督をやろうと思いました。
助監督試験は大学を出ていないと受けられませんでした。 大学も落ちてしまってシナリオ研究所に入りました。 3浪を経て日本大学芸術学部文学科に入って、大学4年の時に「傷だらけの天使」、「俺たちの勲章」を書きました。 大学を卒業した時に日活の助監督試験がありましたが、新宿の交番のお巡りさんと喧嘩をしてしまって試験に行けませんでした。 それでライターになってしまいました。 中学、高校の体験が下地になっている部分もあります。 恋愛ものは書かないですね。 萩原健一さん、藤竜也さん、勝新太郎さん等と仕事をしたのは楽しかったです。
萩原さんとは「傷だらけの天使」のあとは「あいつがトラブル」で再開した様な形になりました。 「豆腐屋直次郎の裏の顔」辺りから萩原さんと仕事をするようになりました。 萩原さんはトラブルが多いので出資する側がビビるんですね。 撮って宣伝活動して劇場公開するまで2年ぐらいかかったりするんです。 萩原さんとやり始めてからはプロデューサー的なこともやり始めました。 映画館を作りたかったが、いろいろ規制がありできなくて、その代わりに試写室にしました。 藤竜也さん主演の映画「猫の息子」を撮りました。 2016年片桐竜次さん主演の映画「キリマンジャロは遠く」を撮りました。 映画監督は面白いすね。 ライターでは責任は取れないが、監督だと責任が取れます。 最終的な責任は現場にあるわけです。 監督だと責任が取れるのでそこが面白いです。 責任が取れる快感があります。 監督は決断をする仕事なんです。 もめ事も好きです、トラブルがない現場なんてつまらない。 それを解決してゆくのがまた快感なんです。
若手を育てる事には力を入れたい。 映画業界を活性化するためにはいろいろなことはやろうとは思っています。 町内に長く住んでいるので、老人クラブの会長にさせられました。 トラック野郎とは違った切り口で、静岡のトラックに関わる話をを映画化しようと画策中です。