2024年12月1日日曜日

秋野暢子(俳優)             ・“鬼退治”を終えて~食道がん闘病記~

秋野暢子(俳優)             ・“鬼退治”を終えて~食道がん闘病記~

 秋野暢子さんは1957年大阪府生まれ。 中学、高校と演劇部に所属していてその実績が評価され1974年にNHK銀河テレビ小説「おおさか・三月・三年」のウェイトレス役で俳優デビューしました。 1975年のNHK連続テレビ小説おはようさん』のヒロイン・殿村鮎子役で18歳で抜擢され本格的に女優活動を開始しました。 その後もテレビドラマや映画で幅広い役柄を演じ、情報番組のコメンテーターとしても活躍しています。 又東日本大震災や熊本大地震などの被災地を訪れ、ラジオ体操やヨガなどの指導を行って、支援を行っています。  その一方で2022年7月には食道がんの治療の為、芸能活動を休止することを発表、治療を終えて去年1月に復帰しました。 秋野さんはがん治療は一人ではなく医療関係者とチームを組むことで行う為、鬼退治と称して前向きに治療を行いました。  がん治療を通じて感じた人生観の変化などについて伺いました。 

体調はとてもいいです。 食道がん(私の場合はステージ3)を科学放射線治療した場合、だいたい50%2年以内に再発するという統計が出ているそうです。 2年を過ぎて、来年1月にPETをやってみて、大丈夫だったら半年に一回検査をするという事になっています。  がんのことを話すと言ったこともあり、仕事の幅が増えてきました。  病気をしてみると仕事だけではなくて日常一つ一つを大事に生きるという事を考えると、仕事に対する姿勢も変わって来るかなと思います。 60歳の時にフルマラソンは辞めろと言われまいた。 ひざ、腰に師匠が出てくるだろうと言われました。 フルマラソンのために10km走っていましたが、5kmにしました。 薬の後遺症で足首あたりがしびれていて、現在はトレッドミルで家で走っています。 

2022年に頸部食道がんと診断されました。  2021年12月に鎖骨と鎖骨の間になんかあるなと感じました。(11月には人間ドックに入ってなんでもなかった。)   大学病院などで血液検査、耳鼻科に通ったが原因が判らなかった。 ピンポン玉の大きさぐらいに感じるようになりました。 6月に内視鏡をやったらがんだという事が判りました。  原因が判ったのでショックはなかったです。 手術をするとなると、食道を全部取って、声帯まで取らなければいけないので、抗がん剤と放射線治療を選びました。 これは効く場合がある人とない人があると言われましたが。 がん治療はチームになって向かって行かなくてはいけないので、桃太郎の鬼退治と似ているなと思いました。 

治療の選択は私自身だと思いました。(主治医は自分だという考え方)  病気になったこと、どういう風に治療してゆくのか、それらを報告するのが私の生き方だろうなと思って、ブログで発信することにしました。  そのことで意見交換、励まし合いなどがありました。 抗癌剤の副作用で髪の毛が抜けるという事を聞いて厭だなと思ったので、バリカンで切ってもらって、自分で剃刀を使って剃っちゃいました。 それを見た先生は秋野さんへの抗癌剤は毛が抜けないんですが、と言われちゃいました。  

1957年大阪府生まれ。 呉服屋の末娘でした。 5歳の時に父が訳の判らない保証人のハンコを押してしまって、家屋敷が全部なくなってしまうという大事件がありました。   取り立てが来たりして精神的にダメージを受けて吃音が出るようになりました。 小学校に行っても引っ込み思案で明るい子ではありませんでした。 小学校5年生の時に学芸会で面白い役をやることになりました。 演劇の盛んな中学高校に入ることになりました。 徹底したアクセントを習って吃音が直って行きました。  審査員の中から仕事の依頼が来たりしました。 仕事をこなしているうちに、NHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』にウェイトレス役で出演して、18歳になって1975年のNHK連続テレビ小説おはようさん』のヒロイン本格的に俳優の道に進みました。 

役者をやって、自分ではない人の人生を生きるという事が面白いですね。 役柄によってはバッシングされることもありましたが、三国連太郎さんが「これもきっと君の演技の幅になるから、力を入れてやりなさい。」と言われました。  絵を描くこともやっていて個展を開いたりもしています。 絵も芝居と似ているところがあります。 全く何にもないところから始まる。(役柄も同様)  絵はやめどころが判らない。(演技も同様) 絵も芝居も点数が出ない。 明るくて元気になると言っていただけます。 生き物を描くことが好きです。 生きる事への思いとかが、生き物を描くことに繋がっているのかもしれません。   病気前後での画風は特に変わってはいません。  

東日本大震災の時には、私のブログに飛んできてくださったいわき市の方とコンタクトが取れて、東北に伺うようになりました。  皆さんと一緒に運動したり、花作り、料理などを始めました。 行くと喜んでくれました。  勉強をして今は呼吸筋のトレーナーでもあります。 ですので皆さんと呼吸の運動をしたりしています。  闘病中に朝昼晩と呼吸筋の運動をしていました。 海馬に情動部分(感情をコントロールする部分)があり、これが乱れるのが自律神経の乱れとなる。 不安になったり恐怖感を持ったりうつ病になったりする。 乱れをなくするためには呼吸しかない。 闘病中も心を穏やかにしてくるれることにつながったのかなと思います。  大災害では皆さん大変な目に遭っているが、生きようとする力、諦めない姿、凄いなあと思います。

がんを経験して、命には限りが有るという事をしっかり知りました。  その日一日一日を大事に生きる、これは奇跡だなあと思います。 食べて、飲んで、歩いたり、考えたり、いろんなことが出来るという事は当たり前ではなくて、奇跡だと思います。 奇跡は突然降って来るのではなくて、毎日の中にあるなあと思います。 大事に生きなければいけないと思います。  娘が結婚することになり、子供が出来ました。  我が身に死の思いがあって、数か月後に新しい命が生まれてくる。  生きると言う事、命とはどういうことか、つくづく思います。 孫を前にすると長生きしたいなあと思う様になりました。