佐藤路子(旧優生保護法訴訟 原告の義理の姉)・〔人権インタビュー〕 旧優生保護法が問いかけたもの
旧優生保護法は障害などを理由に 強制的な不妊手術を認める法律です。 戦後間もない1948年から1996年まで施行され、およそ2万5000人が不妊手術を受けさせられました。 この問題を巡っては全国各地で39人が国を訴え、今年7月に最高裁判所大法廷が旧優生保護法は憲法違反であることを判断しました。 又10月には被害者に保証を行うための法案が成立しました。 2018年に全国で初めて裁判を起こしたのが、15歳の時に不妊手術を強制された宮城県の佐藤由美さん(60代)です。 知的障害の由美さんに替わって裁判に参加し続けたのが、義理の姉の路子さんです。 佐藤路子さん、由美さん共に仮名で本名は公表していません。 原告たちが戦後最大の人権侵害と呼んだ旧優生保護法が問いかけたものとは、伺いました。
由美さんは夫の妹に当たります。 交際中に障害の妹がいるという事は聞いていました。 妹は仙台の施設の方にて、面会しました。 人なつっくこくすぐ受け入れてくれたような気がします。 知的障害ですが、日常会話は普通に出来ました。 結婚については母親、祖母、叔父さんなどが心配をかけたようです。 私が結婚したのが19歳で由美さんは17歳でした。 由美さんは地元の中学を終わってから、仙台の学校で裁縫、料理などをするところで何年かいました。 学園祭とかことあるごとに行っていました。 仙台には25歳ぐらいまで居ましたが、その後家に来ました。 40年ぐらい一緒に暮らしてきました。 私には3人子供が居まして、妹が帰ってきた時に3番目が生まれたころでした。 おむつを替えたり面倒を見てくれました。
傷が目についてしまって、なんで大きな傷があるの吃驚しました。 私が結婚してその12月に義理のおかあさんが子供が出来ないように手術をしていると言われました。 詳しい内容については聞くことが出来ませんでした。 夫も判らなかったようで秘密にしていた様です。 由美さんが22,3歳の頃に縁談の話がありました。 仲人さんには子供が出来ない身であることを話したようです。 後遺症もあっていつもお腹が痛いというようなことは言っていました。 30歳ぐらいの時に痛みが酷くなって卵巣膿腫という事で、卵巣摘出手術をしています。(癒着の為) 当人は手術のことはわからなくて、不憫に思いました。
旧優生保護法が出来たのは1948年、議員立法で成立しました。 この時代人口過剰にも直面していた。 優生保護法第一条、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する、と書かれています。 人口を抑制するためには知的障害、精神障害は遺伝するという誤った知見をもとに強制的な不妊手術を認めるという、のがこの法律でした。
地元にはハンセンの施設があるので、障害、遺伝というような障害者には差別意識がありました。 飯塚純子さん(仮名)の活動がきっかけとなりました。 2017年2月、飯塚さんの人権救済の申し立てに対して、日弁連が国に意見書を出しました。 弁護士の新里宏二さんに電話をしました。 「優生手術に謝罪を求める会」(東京)の方が2017年3月2日に宮城県議会で勉強会をしたみたいです。 その機会に私はお会いし、話を聞きました。 飯塚さんは20年も自分の被害を訴えても、国から手術をした証拠があったら持ってきなさい、と言われたそうです。 手術した証拠がないので訴えることが出来ませんでした。 手術台帳が県の方で焼却していてなかった。 由美さんがまさか法律に関わる手術であったという事は想像していませんでした。(義母はもう亡くなっていて聞けなかった。)
妹の情報開示請求すれば判ると聞いたので、開示請求を出しました。 優生保護法に基づく手術で遺伝性精神薄弱という事で15歳の12月に手術をしていたことが判りました。 頭のなかが真っ白になり吃驚しました。 遺伝性精神薄弱ではなく、なぜ15歳でしなければいけなかったのかという怒りもありました。 1歳の頃に手術をした時に、麻酔が効きすぎて障害になったという事は、結婚するときから聞かされていました。 遺伝性精神薄弱であれば、手術しなさいと来たら、受けざるを得なかった状況でした。 国から宮城県に対して件数を増やすように指示があったようです。 北海道に次いで二番目に手術の件数が多い。
全国初の国家賠償訴訟に繋がりました。(2018年1月30日) 厚労省と3回交渉しましたが、当時は合法に行われていたという事を主張していました。 弁護士が「これは裁判するようですね。」ということで始まりました。 由美さんと同じような方が全国で沢山いらっしゃるのでは無いかと訴訟を起こしました。 娘からは反対されたが、一か月過ぎて理解してくれました。 最終的には39人の原告が国を訴えることになりました。 記録の残っているだけでも全国で2万5000人が手術を受けました。
勝たなければ駄目だと思いました。 一審が2019年5月仙台地裁で 旧優生保護法は憲法違反であるという事は認めたものの、20年が経つと賠償請求できる権利が消滅するという除斥期間を根拠として原告の訴えを退けました。 2022年2月に大赤高等裁判所で、初めて国の賠償責任を認める判決が出ました。 その後国が認める判決が続きましたが、2023年6月の仙台高等裁判所の判決では、再び20年間の除斥期間を理由に原告の訴えを退けました。 この時の仙台高裁の裁判長は向き合っていない感じでした。 判決文にはミスがあり、本当は私は義理の姉なのに義理の妹と書かれていた。 普通だったらありえない判決だった。 他の高等裁判所では国の責任は認めていて、最終的には最高裁大法廷で判断することになりました。 その結果今年7月3日に旧優生保護法は憲法13条と14条に違反するという初めての判断をしました。 20年の除斥期間については認めず国に賠償を命じました。 仙台高裁の判決については取り消して審議のやり直しを命じました。 勝利を認識しました。
憲法13条:すべて国民は個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。
憲法14条:すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
10月に補償法案が成立しました。 被害者本人に1500万円、配偶者に500万円まど。 2万5000人の存命の方には申請をしてください、という通知をあげるのがいいのではないかと思います。 差別のない社会を、と訴えたいです。