2024年12月4日水曜日

村山浩昭(元裁判官・弁護士)       ・〔人権インタビュー〕 想像できますか、袴田巌さんの“58年”を

 村山浩昭(元裁判官・弁護士)・〔人権インタビュー〕 想像できますか、袴田巌さんの“58年”を

58年前静岡県で味噌製造会社の一家4人が殺害された事件で、死刑囚となった袴田巌さん(88歳)の再審で今年9月静岡地方裁判所は無罪を言い渡し、その後確定しました。 巌さんと巌さんを長年支え続けた姉のひで子さん(91歳)にとって半世紀以上に渡って待ち望んでいた判決でした。 その無罪判決を裁判所の前で喜びつつも複雑な思いを抱きながら聞いた人がいます。 10年前静岡地裁の裁判長として、袴田さんの再審の開始と拘置所からの釈放を決定した元裁判官で今は弁護士の村山浩昭さん(67歳)です。 村山さんは無実の人を冤罪から救済するための最後の砦とも言われる再審に、これだけの時間があってはならないと,、再審に関する法律の改正を呼び掛けています。 村山さんに袴田さんのような思いを知る人を二度と生み出さないためには、どうするべきなのかをお聞きしました。

無罪判決が出るであろうという事は予測はしていました。 ホッとしたというのが第一印象です。 ようやく無罪になった長かったなあと思いました。 私どもが2014年に再審開始決定を出し、中々再審決定がしなかった。 東京高裁で取り消されてしまったという事がありました。 取り消されただけで救済が遅れる、再審公判が遅れるという事が間違いなかったので、驚くと同時に後悔しました。 58年という長きによる苦しみに責任を負わなければいけない一人だったものですから、余計辛かったし、「良かったですね」という事で済ましてはいけないのではないかという気持ちがあったんだと思います。 

袴田さん自身は長い間死刑の恐怖におびえながら拘置所に収容された影響で、今も意思の疎通が難しくなっていて、今回の判決を法廷で直接聞くことが出来なかった。 ご本人が一番聞きたかったはずですね。 それが叶わないようになってしまった、そのようにしてしまったという責任は重大だと思います。 国家権力が無実の袴田さんを死刑囚にしてしまったんですね。 58年間苦しみ続けてしまった。 人権侵害の最たるものです。 名誉回復は出来るけれども、どこまで行っても回復できない損害を負わせている。  こういうことが起きないように何をなすべきか、国を挙げて考える必要がある。 再発防止、早期救済の道すじをつける、そのことを実現しなければ、袴田事件の責任を取ったことにはならない。

再審は非常にハードルが高くて、中々開始にならない。 袴田事件が冤罪ではないかという風に言われていた死刑事件だという事も承知していました。 大変な事件を引き受けるという事は思っていました。 この時にはすでに46年もの歳月が経っている。 事件を担当するにあたっては、私が静岡にいる間には必ず結論を出すと、そういう覚悟で行った記憶があります。 2012年から審理を担当。 2014年に再審の決定文を書くことになります。 今迄の裁判に関わった人たちは、大先輩、著名な方たちがいるわけです。 そういった方々の判断が間違っているかもしれないという事をはっきりという訳ですから、勇気は必要だと思います。 私は新証拠があっての再審ですので、従前有罪にした裁判官もこの新証拠を観ていたら無罪にしたかもしれない、そういう可能性はあります。 

袴田さんが怪しいのではないかと思った理由の一つが、犯行時に袴田さんが着ていた服とされていて、過去の裁判で有罪の決め手とされてていた証拠が、事件発生から1年2か月後に現場近くの味噌タンクの中から見つかった血の付いたシャツやズボンなどの5点の衣類が2010年に検察側から5点の衣類のカラー写真が新たに開示されたことで、これが袴田さんの犯行着衣だったのかどうかという事が争われた。 それを見て正直随分鮮やか(血の赤い色など)だなあと思いました。 味噌に浸けていて、そういう色が残るのかなあと思いました。 事件発生から1年2か月の間味噌タンクに漬かっていた5点の衣類の血痕に赤みが残るかどうか、争われました。 弁護側は実際実験をして赤みは残らないと主張、検察側は赤みが残るとした。  赤みが残るんだという学者さんを見つけてきて、そういう意見書を書いてもらうという発想になってしまうのがとても悲しいですね。 5点の衣類について捏造の疑いに言及しました。  袴田さんを犯人に決定つけるためにやったとすれば、捜査機関以外にはないと私は思いました。 

袴田さんの釈放ですが、刑の執行停止の条文で、拘置の停止もできるという解釈論を行いました。  そこで考えたのは袴田さんの健康問題です。 もう一つは捏造の疑いをはっきり書きました。  国家権力が無実の袴田さんを死刑囚にしてしまった、そう言う疑いがありますよ、しかも違法な捏造という行為によって死刑囚に陥れてしまった、という事態なわけです。 そういう事態を想定しながら、まだ拘束するんですかと、人道上の問題としてもやってはいけない事ではないかと思いました。 

検察は抗告をして、高等裁判所、最高裁判所で審理、最高裁判所で指し戻されて再び高等裁判所で審理がおこなわれた。 再審開始決定から9年後でした。 無罪判決まで10年が掛かった。  これは長すぎですね。 (袴田さんの再審開始決定を村山さんが出した後、村山さんの手を離れて袴田さんの審理が続くことになる。 静岡を離れる。)  早く再審公判が開かれて欲しいと思いました。  きちんと真実が探求されて、無罪になることを祈っていました。 

再審を開かずの扉にしてしまっているのは、裁判所であり、検察官であり、場合によっては弁護人もその責任者の一人かもしれません。 検察官の一番大きな問題は証拠を出さない。 検察官としては最もよい証拠を提出します。 検察側にとって良くない、不利な証拠は証拠請求しないという事が出来てしまう。 被告人の不利益になるという可能性も大いにはらんでいる。 改めないといけないと思っています。 再審請求事件はあまり多くない。 どうしたらいいのかとか、条文も非常に少ない。裁判官はどうしても期日を指定してゆく事件に追われてるので、そちらが優先する。 裁判官一つのポストで3,4年で転勤してしまう。  そういったことが積み重なるととんでもなく時間がかかってしまう。 裁判官の職業倫理の問題だと思っています。 寝かせてしまうという事はあってはならないと思いますが、起きないとは限らない。 

裁判官を定年退官して2年になります、弁護士になり、刑事訴訟法の再審に関する規定(再審法)、を変えようと日弁連の再審法改正実現本部の副本部長として活動しています。  3つの法改正を訴えています。 ①検察側の証拠の開示に関するルールがないので、重要な証拠が眠ったままになってしまうので、一定のルールを設ける。 ②再審開始決定の段階で検察側が抗告できる仕組みに今はなっているが、再審を始めるという決定にもし検察側が不服があるんだとすると、再審裁判の審議の中で有罪の立証をすればいいわけなので、検察の抗告権を禁止する。 ③再審に関する規定の整備。

③再審に関する規定の整備。 裁判官の立場から見ると、手続き指定がないために、審議を進めるという事がやや難しい。 そのアクションがないと進まないままになってしまう。 それが長期化の大きな原因になってしまっている。 刑が確定しているので、受刑中か、死刑の場合は刑の執行を待っているか、刑の執行が終わって受刑後に社会に戻っているか、と考えられるので、進行形で冤罪被害が続いている。  そこを理解しないといけない。  確定しているから、基本的には動かさなくてもいいんだという発想の法律の制度ではないかと思います。 

検察側は証拠開示については事案ごとに適切に対応している。 証拠開示によって事件の関係者などのプライバシーの侵害につながる恐れがある。  検察の抗告については裁判所による不当な再審開始の決定の是正をしている。 抗告できずに安易な再審開始を認めると、司法制度への信頼が失われる。 と言った見解を示している。  全く賛同できません。 証拠開示がスムースに言っていたらこんなに時間はかからなかっただろうと思います。   そういう例ばかりです。 検察官が抗告した多くの事件では、抗告が棄却されて再審になって無罪になっているのが、圧倒的に多数なんです。  抗告を禁止すれば早く再審公判に行くわけなので、早く無罪判決になるというケースが当然出てくる。 

無罪かもしれないという人を救済するために、再審法はそのためにある法律だと理解すべきだと思っています。  逮捕されると悪い奴が捕まっても当たり前だと、多くの人が思っています。 捕まったから犯人視する見方はこの社会から亡くさなければいけないと思います。 無罪推定原則は実社会では結構虚しく響いているのかなあと思います。 姉のひで子さんは巌の58年を無駄にしないでほしい、再審法の改正を実現してほしいと訴えています。 あれだけ酷いことにあったら恨み言の一つや二つは言いたくなるのが当然だと思いますが、そういう響きではないです。 巌さんだけではなく、本当にそういう立場に置かれた方を救済する、そのために巌さんとひで子さんが経験したこの事実を、大事に使ってほしいという意味だと思います。  私たちに向けられた大きなメッセージ、ミッションだと受け止めています。 再審法は変えられると思います、その最後の一押しは世論だと思います。法務省の後ろ向きの態度は一向に変わっていません、専門家同士の議論では決着がつかないという事だと思います。 結局人権を大事にしない、救済を求めている人たちに対して、手を差し伸べない社会になってしまう。  いつか実現できると思ってやらなければいけないし、テーマの一つである再審法の改正については必ず改正できると思って取り組んでいます。