村瀬麻利子(岐阜県在住の里親) ・〔人権インタビューシリーズ〕 一緒に幸せになろうよ
経済的な理由や虐待などで実の親と暮らせない子供の数はおよそ4万2000人、里親はそうした子供を家庭で受け入れ育てる制度です。 国は家庭的な環境で子供を育てることが大切だとして、法律で里親制度を推進しています。 しかし児童養護施設などで暮らす子供が7割以上、里親家庭で暮らすのは2割ほどにとどまっています。 村瀬さんは現在59歳、4人まで受け入れが出来る児童養育里親を務めた後、より多くの子供に提供したいと、6人まで受け入れ可能なファミリーホームという形に規模を広げて、活動を続けています。 村瀬さんは共に暮らす子供一人一人とどのように向き合い、今どんなことが必要だと考えているのか、お話を伺いました。
生後間もない子から18歳までの子を6人委託してます。 年齢はバラバラで2歳、3歳、小学校4年生、6年生、中学2年、高校1年生です。 朝から晩までてんやわんやです。 仲良くするときもあれば喧嘩もしますが、基本的には仲良しです。 コロナがきっかけで保護される子が多くいるという事を聞いて、6人受け入れることが可能なファミリーホームに移行しました。 家庭での経験をさせてあげるという事が目的です。
最初養護施設の子(2歳)を週末だけ預かっていました。 5年後に職員さんから養育里親になりませんかと言われました。 研修を受けて登録しました。 おかあさんがシングルで生後4日から来た子もいました。 育児放棄で来た子(幼稚園)もいます。 幼稚園の子が凄く食べるというんですが、実際は食べれなくてトイレで吐いていました。 今目の前にあるご飯を食べなかったら明日は無いと思ってしまうらしいんです。 安心させるためにいつもごはんはあるから大丈夫だよとかなり長い期間言い続けていました。
自分が甲状腺の病気をして、もう少し遅かったら死んでいたという状態になって、子供を預ける制度が有ったらいいなあと思っていました。 幼少期に父親から理不尽な扱いをされたという事もありました。 過去の経験から何か力になれたらいいなあと思い里親を始めました。 父親からは殴られたり、生むんじゃなかったとか言葉で伐倒されたりして、家族が幸せと思ったことはなかったです。 うちにくる子もそういう思いがあると思います。 一緒に幸せになりたいし、子供たちのお陰で自分も元気でいられる。
怒ったりするかもしれないが、必ず一人ぼっちにはさせないという事は根底にあります。 愛情に飢えていた子は、どれだけ愛情をかけてもざるの様に流れでて忘れてゆくんです。 だから常に全力で頑張っています。(時には疲れますが) 最初来たころは物欲ですが、何年か暮らしているうちにものではなくなり、ぎゅーして変わっていきます。 目に見えないもので繋がり始めたのかも知れません。 常に真剣なのでぶつかり合ったりします。
残り物を出したり、ちょっとしたことで、本当はママは自分のことを好きじゃなかったんだと、毎日言われました。 好きだよ好きだよという思いで接しました。 大人になったら私の思いが判ってくれたらいいかなという思いでいます。 里親のことろに来た時にはマイナスの状態になっているので、それをゼロにするのが難しい。 「ありがとう」、「ごめんね」が知らない。 他人の言う事を聞く耳を持たない。 遮断してしまうのでなかなか入って行けない。 「馬鹿野郎、死ね」と言い続けけられてきているので、すべてを敵と思って誰かと戦おうとする。 1年ぐらいすると、この家の中には怒ってくる人がいないんだねとついこの間言った子がいました。 育つ環境が大事だと日々感じます。
風呂にも毎日入っていない、歯磨きもして居なくてはが全部虫歯、靴もボロボロで破れている子が来ました。 名前は言えるが、後3か月で小学校へ入学するのに読み書きが出来ない。 3か月でひらがな、数字を教え込みました。 学ぶことを知らない子でした。 根気よく続けて、あいうえおをものすごいスピードで覚えました。 しかし長い単語「しんかんせん」とかがなかな覚えられない。 入学直前には読めるようになりました。 数字も10までは書けるようになりました。 学校に入って国語、算数を覚えていきました。 でもちょっと油断すると崩れて立て直すのに時間をかけたりしました。 日常生活も何も知らない子でした。(トイレに行くタイミング、風呂に入ることも知らない、服を洗う事、着替えることも知らない。) 転んで血を流しても言わない。(言ってくれれば手当をするんですが) 日常生活も大半が出来るようになり、勉強も教えれば出来る子だと判りました。 教えるが楽しくなって、今では学年でトップになってしまって、将来学校の先生になると張り切っています。
私の幼少期は本当に死んだ方がいいのかなあと思いました。 病気で死んでしまう可能性が有ることを経験して、自分の命はここまでかなあと思いました。 パートで働いたことがありましたが、体力が持たなくて自分は世間に必要ではない人間なんだなと、落ち込んだ時期がありました。 そんな時に三日里親をやりませんかという広報を観ました。 これだったら自分の過去を生かせると思いました。 子供の為にも母親の為にもなれると思いました。 自分の生きた証を残したかったのかもしれない。 何があっても折れないし、自分根底はぶれない。
子供たちがなりたい道に進めてあげたいので、何になりたいのか日々聞いています。 高校1年生の子は自分はちっちゃい子が好きだと気付いたみたいで、乳児院で働こうか、保育士の免許を取ろうかと言っています。 夜の大学に通わせようかと思っています。
国が社会的養護のことを理解していないと思います。 実際に子供のことを考えていてくれるのかなと思います。 お金のことで言うと足りていないと思います。 里親はみんな優しいのでお金ではないという思いでやっているので、皆さんがんばってやっていますが、時給換算すると凄い事です。 社会枝的養護の子は本当に育てにくい、生きにくい、ひび里親の方はみんな悩んでいます。(暴力、暴言など) 里親制度をちゃんと国は理解していないと思います。 国は里親の方から直に生の声を聞いてもらいたい。 地域と一緒にやっていけたらいいという思いはあります。(偏見とか、理解してもらえない部分がある。) 生まれて来た子には差別はないが、でも世の中は偏見の目で見られてしまう。 なじみがないのかもしれない。 一人でも多くの子供たちに勇気と自信をもって、社会に出られる子供に育ててあげたいという思いです。 まだ2歳の子がいるので、彼らが20歳になった頃も生きていたい、ずっと子供たちを見守っていてあげたい。 この場所はみんなの安心安全基地でありたい。 子供たちの「ただいま」の笑顔が観たいから。