森口健司(被差別部落出身の中学校教諭) ・〔人権インタビュー〕 語り合い、夢を託す
森口さんは1959年(昭和34年)に徳島県阿波市で生まれ、現在65歳。 被差別部落の出身で差別をなくしたい一心で、教師になりました。 中学生と部落問題について考えたいと、隠し続けてきた自らの体験をもとに、エッセー「スダチの苗木」などを執筆して朗読の教材として掲載され、全国に届けられました。 部落の出身であることを明かして、生徒たちと語り合い今年で43年目、教壇に立つ最後の年となりました。 差別をなくすという夢を子供たちに託し続けてきた森口さんの教師人生、そして今子供たちへ託す願いについて伺いました。
子供たちというのはほとんど部落問題を知りません。 先生方も部落問題を学習した経験のない方も沢山います。 そういう子供たちにどう届けてゆくかという時に、私自身の存在が資料になるわけです。 小学校5年の時、地区外の友達の家に3人で行きました。 私が駄菓子屋で菓子を買って3人で食べていた光景を見て友達のお父さんが叱るんです。 「情けないことをするな。」と言いました。 それ以後友人の家に行くことはなかったです。 部落の子は自分が部落の子だという事を知らない。 部落外の子は誰が部落の子だという事を知っているんです。
50年以上前、中学、2.3年の時に、私は仲間と柔道の全国大会に出場することになりました。 その時の指導された方が部落の大先輩でした。 部落問題についてもいろんな思いを伝えていただきました。 私に夢を託すように、今度は中学校の先生になって、この故郷の先生になって後輩たちを全国大会に導いて欲しい、そして部落問題をしっかり教えてこの問題を解決してゆく教師になって欲しい、そんな夢を語ってくれました。 中学2年の時に、一番の友人が差別をなくすのは学校の先生になるのが一番いいと思うといいました。 彼の言葉がずっと生き続けています。
中学では部落の仲間と柔道で夢を実現していました。 勉強も頑張っていました。 高校に行った時には部落の子はいませんでした。 同和問題ではそのクラスにはいないという前提で発言がありました。 その言葉を聞くたびに卑屈になりました。 自分の本当の事が言えない。 部落問題から逃げたいという思いで、故郷を離れて大学は徳島から離れました。 大学4年間京都で過ごしたことは本当に大きかったです。 私の生きる方向を明確に示してくれました。 アルバイト先で、部落の人をさげすんだ仕草があるんです。 私の前に4本指を出すんです。 頭では知っていましたが、実際にされました。 先輩と一緒に飲み屋へ行った時に、根掘り葉掘り聞かれたことがありました。 先輩にまた行きましょうといったら、もう行かないという事でした。 理由を聞いたら、この間連れて来た子は部落の子だ、連れてきたらいけない、と言われたそうです。 他にもありました。 大学ではいろいろ親しい友人が出来ましたが、部落の人間であることは隠し続けてきました。 同じゼミの友人に一人だけ伝えたことがありました。 お前が部落の人間であろうがなかろうが、俺には全く関係ないと言いました。 彼がいたから救われたし、励まされました。
大学卒業後故郷の母校の教師となりました。 堂々と部落のことを語れる子どもたちを育てていきたい、そういう思いでした。 私は子供と共に成長してゆくようになります。 何で先生は部落のことばっかり授業するんですかと生徒に言われました。 今だったら先生自身のことだと軽く言えますが、でも20代前半の頃はそうは言えませんでした。 或るお母さんが自分の子供のことを心配して、部落の子と仲良くなって心配しています、先生の方からその友達を呼ばないようにして頂けたら嬉しいです、と言われました。 これを聞き逃したら私は教師ではなくなると思いました。 私もその立場の人間です。 私も中学2年の時に部落のことを知って、それが教師になるエネルギーです、部落差別をなくすために教師になりましたと言いました。 差別の有りなしのないいいクラス、学年にしてゆきたいと言いました。 そういう取り組みをするんで安心してください。 お互いが信頼し、尊敬し、お互いを大事にするそんな関係を作る教育をきちっと続けます、と話をして一生懸命聞いてくれました。
誠実に伝えることによっていろいろな反応があります。 共感してくれる人、聞きたくない人などありますが、全部その反応を引き受けてきました。 それが全部私の生きる糧となって来ました。 伝えることによって何かが変わる。
「スダチの苗木」 私の中にある部落問題、自分の中にあるすべてをさらけ出すしかないと思いました。 父は8人兄弟の3番目です。 経済的に厳しい家庭に育っています。 父も母も部落で生まれました。 卒業の時に父が京都の下宿に来たんですが、父親の姿が恥かしいと思いました。 私は私のことを隠し続けていますから、卑屈な気持ちでいました。 部落のことが判ったらやっていけないというような恐怖もありました。 スダチの苗木を植えるのにスコップとツルハシを持ってきていて、それが恥ずかしくてたまりませんでした。 私は苗木に食って掛かりました。 自分をさらけ出すという取り組みの中で、苗木の件をしゃべった瞬間に、情けない父への思いがありましたが、いまは誇りに思っていますが。 変ってこれたのが大きな喜びになっています。
父の前で「スダチの苗木」を読んだんです。 目を真っ赤にして、「お前のような先生がいたら、部落の子はうれしいなあ。」と一言言いました。 父へ感謝しかないです。 自分の本当の気持ちを伝えてゆくという事は、こんなに自分を豊かにする、そのことを確信したのは「スダチの苗木」です。
小学校4年生の時にお父さんが亡くなった生徒がいました。 亡くなった背景に部落差別があります。 職場で差別的なことを言われ、酒におぼれるようになって、身体を壊して亡くなりました。 その生徒は学校でしゃべらなくなります。 彼がいろいろなことをしゃべる様になったのは中学3年の時でした。 「父ちゃんごっついいい人、優しかった、父ちゃんが食堂に連れて行ってくれてごっつい美味いんよ。」としゃべり出して、学ぶ意欲が広がっていって、彼が憧れていた高校に進学していきました。
安心して自分の心のうちにあるものが、語り合える、そういう人権学習を積み上げていきます。 自分自身に引き寄せて、自分の言葉で自分の思い、自分自身が抱えている事を語って行きます。 そのなかで子供たちがどんどん成長してゆくんですね。 クラスのなかに共感が生まれます。 部落問題の解決は、他人ごとではなく我が事です。 自分の言葉で語る、自分を伝えてゆく。 やっぱり知る事です、他人ごとにしない事です。 すべての子供たちが立場を越えて、自分に何が出来るかという事を問い続けてゆく、そんな積み上げのなかで、私たちの生きる世界は本当に豊かになると思います。 出来る限り子供たちや多くの仲間と繋がり続けたいと思います。