2023年4月24日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)         ・〔絶望名言〕 遠藤周作

 頭木弘樹(文学紹介者)         ・〔絶望名言〕  遠藤周作

遠藤周作は1923年生まれで、今年生誕100年に当たります。  11歳でカトリックの洗礼を受け、大学卒業のフランスに留学します。  1955年「白い人」で芥川賞受賞、1995年文化勲章を受章しています。  翌年1996年に亡くなりました。  

「夜中に布団をひっかぶっていると、昨日今日の、あるいは過去の自分のやった恥ずかしいことが一つ一つ突然心によみがえって、いてもたってもいられなくなり、あー、あー、あー、と思わず大声を立てているのです。   あ―そんなことかと思われる人は気の強い奴。   気の弱い奴ならこの夜の経験は必ずある筈だ。 それがないような奴は友として語るに足りぬ。」遠藤周作

この番組が文庫本になります。  

代表作には「海と毒薬」「沈黙」「深い河」などがあります。  1923年3月27日生まれで今年生誕100年になります。 関東大震災からも100年。 同じ年の生まれの作家に司馬遼太郎、池波正太郎、佐藤愛子などがいます。  遠藤周作は雅号を「雲谷斎狐狸庵山人」とする。  「狐狸庵」とは「狐狸庵閑話」が関西弁で「こりゃあかんわ(=これはダメだな)」の意味のシャレである。  

僕(頭木)もお風呂とか、トイレで過去の恥ずかしいことを思い出して声を出したりします。  今もあります。  私(河野)もあります。  

「時々私はこんなことを想像することがある。  いつか私が死に、御棺の周りで妻や友人たちが私についていろいろ語ったとする。  あいつはいい奴だったとか厭な奴だったとか、沢山のその人たちの目を通した私が語られるが、それをじっと聞いてる私はやっぱり棺の中でつぶやく。   いや、俺はそれだけじゃないぞ、それだけじゃないぞ。」遠藤周作

俺はそれだけじゃないぞ、という思いはありますね。   沢木耕太郎さんの本に、「世界は使われなかった人生であふれている」、というのがありますが、映画評論家の淀川長治さんが本当は学校の先生になりたかったと言っていて、吃驚しました。  日常生活でも相手によっていろんな顔を見せている。  いろんな私があるが、なおそれだけじゃないぞとという思いが人間にはある。    自分をすべて出し切ることは難しい。 純文学とユーモアエッセー、でもそれだけではない。  

「自分が弱虫であり、その弱さは芯の芯まで自分の付きまとっているのだ、という事実を認めることから他人を見、社会を見、文学を読み、人生を考えることができる。」遠藤周作

ここまで自分の弱虫を認めることは難しい。   遠藤周作が「狐狸庵先生」を書き出したのは38歳の時に、大病して3度の大手術をして一時は心臓停止の危篤状態になって、それから「これはあかんわ」と思ったことがきっかけになっている。  その後病気と闘って、10回入院して8回手術をしている。  こういう経験が大きかったと思います。    自分の弱さに気が付けば他人の弱さにも共感できる。    遠藤周作は心暖かな医療の運動も展開している。      

*「おらしょ」  オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、隠れキリシタン(カクレキリシタン)によって300年間あまり、口伝えに伝承されたものである。カクレキリシタンにとって、オラショは一種の呪文のようなもの  1970年代以降、皆川達夫らにより原曲の比定などの研究する。

「沈黙」 映画化もされた。 作家グレアム・グリーンから遠藤周作は「20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家」と言われている。    江戸時代キリスト教が禁止されていた時代に、踏み絵をすることでキリスト教徒であると逮捕されてしまう。  しかし、踏んでしまった人たち、そういう弱い人たちをテーマにしたのがこの小説です。  

「私は、自分が宗教的、思想的な選択をしてキリスト教の洗礼を受けたのではなくて、私の家がそうだったからという理由でいつの間にか洗礼を受けさせられた。   いつの間にかとは変だけれど、母親に教会に行きなさいと言われて、意地汚いものですから教会でくれるパンやお菓子が目当てで行っているうちに、洗礼も受けさせられた。   皆さん年頃になってから、私はもう何回母親に勝手に着せられたキリスト教という洋服を脱ぎ捨てようとしたかわかりません。  全然私に合わないんだもの。  しかし、脱ぎ捨てても、脱いだら着るものがないんだ、私には。   裸になってしまうから、仕方なく着たままでいるのです。」 遠藤周作  

生まれた家とか親とか環境で決まってしまう事は色々多いと思います。  自分に合っていればいいが、どうしても合わないこともあるわけです。   遠藤周作は自分なりのキリスト観を持とうとした。   「沈黙」を発表したときにはキリスト教徒には反発する人も多くいた。  人は苦しい時に理解してくれる人を求める。    真の理解者となり、一緒に苦しんでくれて、苦しみを分かち合ってくれる、それが遠藤周作にとってのキリストなんじゃないかなと思います。  

「人生が愉快で楽しいなら、人生に愛はいりません。  人生が辛く醜いからこそ人生を捨てずに、これを生きようとするのが人生への愛です。」   遠藤周作

可成り逆転の発想です。  人生を捨ててはいけない、自殺してはいけない。 

第三高等学校を受験することになり、三高の帽子を買ってしまったが試験には落ちてしまった。  帽子をかぶって先生や友達に合格したといったんだそうです。  理由は自身にもわからなかったそうです。  学校中の笑いものになったが、浪人して翌年受験するが落ちてしまって二浪して,三浪して、医学部を受けるように言われたが、慶應義塾大学文学部を受けて合格する。  父親は医学部に受かったと思って大喜びしていたら、違っていて勘当されてしまう。  就職も松竹を受けるが落ちてしまう。  浪人時代から肺を病んで喀血していたりした。  

「陽気の時には、例えば本を読んでも頭の中には入らないんだ。  自分の中に問題がないからだ。   僕は滅入った時非常に読書量が増えるんです。  滅入っているからこそ書物に書かれている問題が時間をもって迫ってくる。  これまでに作り上げてきた僕の人生観などは、皆そういう状態の時に本を読み、考えたことによって形成されています。」遠藤周作